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あの頃の私たちにとって、学校が世界の全てだった ①

伝えたいことがありすぎて、何から書けばいいか少し迷いました。でも、少しずつ気長に更新していきます...!(とりあえず①、②と書きます)


10年前の私を置いていこうとしてた今の私

不登校から10年も経ち、今の私にとっては遠い日の記憶で、その時の自分は別人に見える。これって、成長できた証なんだな…と最近思います。
あの頃を思い出すことはもうほとんど無いし、あった出来事を思い出したとしても平気になりました。
誰かに対しての恨みとかも、もう無いです。

ただ、これを書くにあたって、あまり俯瞰しすぎても響かないかな、と思うのです。もし、当時の私が読むとしたら。

あの頃の私には、前向きな言葉なんて武器みたいなものだった。
それよりただ、寄り添ってわかってほしかったんだろうと思うのです。

だからこそ、ノウハウみたいなことも、回復のコツ~みたいなことも書きたくないのです。(そういう類のものは絶望してる時に読んだら、心が疲れます)
ノウハウとかは私もわからないし、もし現に不登校の人が読むとしたら、自分の日記、未来日記みたいな感じで読めたらいいなと思います。

なので、なるべく当時の心境に還って書いていきたいのですが、
リアルにその頃の精神状態を辿っていると、さすがに落ち込みが蘇りました…
普段なら、今あの時と同じレベルまで落ち込むことはもう無いのですが、
まるで、過去の私が「私のことを置いていかないで、忘れないで」と言うように、もう何年もなっていなかったあの時の絶望感や寂しさが、戻ってくるのです。
そう、私はもうすっかり忘れてた。当時の沢山の気持ちを。

ただ「あの頃は辛かったな」という事実だけ覚えていて、どんな感情だったかは結構忘れてたんです。
今は過去に引っ張られて、戻ってしまったような気分です。

それでも、届かせるためにはそうしたいし、
私自身も書きながら整理して、思春期の自分に寄り添えたらなあと思うのです。
私も、今落ち込んでしまう自分を受け入れながら。
忘れてしまっていて本当にごめん、と謝りたい。
苦しんだことを忘れて、達観して前向きなことを書いてしまえば、過去の私は傷付いてしまう。

なので、心境を思い出しながら色々と書いていきたいと思います。(でもなるべく重くなりすぎないようにね!)


あの頃の私たちにとって、学校が世界の全てだった 


学校が全てでしたよね、特に小学校から中学校って。

わたしにとって、学校が世界の全てだったから、世界は全部、辛かった。辛さと苦しみで溢れてた。 

そしてその世界は敵だらけ。

毎日、家と学校の往復。学校8割、家2割くらいか。
大人になった今と違って、交友関係は学校のみ。これって、今考えると結構恐ろしくないですか?

ここが崩れたら、もう全部パァです。

学校の世界、狭いですからね。いわゆる権力の高い子が1人を嫌えば、一発でひとりぼっちの子が完成します。(クラスを超え、部活にも影響が出たりします)

スクールカーストってやつね、子供の世界ってこわいです。
私の母の時代なんかはそんなことは無かったらしいのですが、時代とともにそうなっているとしたら何故なんでしょうね。


もし家の居心地も悪ければ、そりゃもう生きた心地がしなかったと思う。

私は幸い、家には敵がいなくて安心できた。でも学校での出来事、辛いこと、学校に行かなくなるまで絶対に言わなかった。

なんでだろうな、思春期の見栄、意地だったと思う。自分の子供は外では愛されてないのだと、蔑まれているのだと親には知られたくなかった。 
なんだか親にも申し訳ない気がしてた。 

不登校になる原因、9割はいじめだと思う。(10割とも思ったけど、例外もあるかもなので)

物が無くなっていたり、何かにつけて呼び出しされたり、よくローテーションでハブかれたりしていたなあーー・・・(遠い目) 

今でこそ達観できるけど、当時は本当に思い出したくなかった。 
暴力沙汰は無かったわけだけど、まあある意味わかりづらい、陰湿なやり方だった。
暴力じゃないだけに「この程度で不登校になんてなっていいのか、辛いと言っていいのか!」とも思ってた。

いいんです。比べるもんじゃありませんそんなの。傷付けられるのは同じ。
それにまあ、こういうのも十分暴力なんだけどね。心のね。

中2の夏休み明けから学校に行けなくなる子が1番多いって聞いたことあるけど、私はまさに典型的なそのパターンでした。

夏休み明けに始業式行って、なんかもう絶望しちゃうのね。
夏休み前も、毎日行きたくなくて寝れないし起きれないし、連日遅刻。
遅れて行くから更に行きづらいの悪循環。この頃から、人目が気になって気になってしょうがないのです。
一挙一動、見張られている気がしてしまうのです。 

それである日、もう足がすくんで校舎に入れないの。どうしても行けなくて家に戻ってきちゃって、そこからが始まりだった。

親は、物が盗まれたことは知ってたり、たぶん完全に行かなくなる前も休みがちにはなってたので、もうわかってはいたんだと思う。(盗まれた時はさすがに私も言って、母が学校に報告してくれました)

最初は「学校行きなさい」とかやっぱり言われてたと思うけど、
校舎に入れなかった、と戻ってきた私を見て、さすがにわかってくれたみたい。もうあまり覚えてないのだけど、「行かなくていい」と言ってくれた。

私の母は、私の意志を尊重してくれる親だったし、マイノリティにも理解のある人だったから、比較的説得は楽だったかな。
常識的であらねば!という人では全くないので、これはかなり恵まれていたと思います。

そして母子家庭なので、父の説得はとりあえずいりませんでした。 

(まあ少なくともこの時は、ね!) 
男性は「強くあらねば」「諦めるのは良くない」という概念がより強いと思うので、子供が不登校になったら母親以上に、かなりぶつかりやすいんじゃないかなあ...と思います。


そして親を説得したあとは、おばあちゃんという第2関門。

近所に住んでるおばあちゃんが連日来て、毎日学校に行くように説得してくる。心配性なところもあって、私の今後をやはり心配していたのです。
これが、苦痛でしかたなかった。(親と2人がかりで説得されたことも、あった気がする...笑)

私がムキになって言い返したら、
おばあちゃん泣かせてしまうし...。(地獄絵図)

でもそこからおばあちゃんも何も言ってこなくなり、一応理解を示してくれるようにはなった。

私は昔から、家族には主張ができる子供だったからこうして言えたけど、言えずに苦しむ子も多いと思う。

ただ一方的に学校に行きなさい、って延々と言われて黙って聞いてるとかね...。それこそ地獄絵図。

この時代にそう言う親も減っているかもしれないけど、よくよくの事情があると思うからまずはそこを理解してほしいし、しばらくは休ませて欲しい。

少し落ち着いてから、また行くか行かないかは本人と話していっしょに考えてあげればいいし...。

でも親だったら、心配するしできたら学校行って欲しいよね、普通は。その気持ちもわかるんだけどね...

でも
本当は不登校になんてなりたくない、といちばん思ってるのは、本人なの!

私は何なら、「不登校にだけはなりたくない」と思ってた...

そういうものに限ってなってしまう、人生の不思議さよ...

それでも、致し方ないのです...。
限界なのです、もう。 


でも最近は不登校も増えてると聞くし、逆に珍しくないってことでいいんじゃないかなと思います。

そして次に続きます…

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