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「청실홍실」(青糸紅糸)と「君の名は」

ご無沙汰しております
今年も残すところわずかとなり、だんだん年の瀬になりました。世界ではリーダーが代わり、激動な2024年でした。そして韓国は12/5に戒厳令が布かれ、6時間後に解除されたものの、国民の怒りは収まらず、現政権には大きなダメージとなり国際的にも醜態をさらす結果となってしまった。年内にも政権が倒れ、野党への政権交代も時間の問題なのでは?などと思うようになった。

私は専ら昭和の話題に対して常にアンテナを張っているのですが、たびたび韓国の話題に触れるたび日本ととても共通している事象に出くわすことがある。先日とある方が戦後のラジオドラマの研究をされた書籍を頂戴した時に「君の名は」の話題に触れていた。そこを読んでいたら、韓国でもたしかラジオドラマで有名な作品があったと思い出し、今回筆を執ることとなった。あまりこうした日韓比較をされている方が少ない分資料を読み込むなど結構手間がかかるので更新がこまめに出来ないのが目下の不満ではありますが、なかなか調べてみると奥深い結果が出てきました。

戦後の映画とラジオドラマ

ご存知の通り、1945年に戦争が終結し、その後GHQが日本放送協会(NHK)が統制することとなり、戦後まもなくは米兵向けの当時のレコードのL版やS版アワーと称して欧米音楽を放送していた。その影響もあり戦後には”敵国”アメリカが”憧れの国”へと変貌した。そして多くの洋楽が人々の間に流行るようになる。
戦後の最先端メディアとして君臨したラジオだが戦後まもなくには戦時中では考えられなかったメルヘンなドラマが放送された。NHK連続ドラマ第一号は「鐘の鳴る丘」だった。1947~1950年に放送され敗戦動乱期を象徴するドラマだった。舞台は長野の安曇野、戦争で親や親族を亡くした子供や復員兵が鐘の鳴る丘の集会所に集い戦後の激動する時代を生き抜くストーリーだった。
主題歌は戦前から童謡を吹き込んで「みかんの花咲く丘」をヒットさせた川田正子さんが歌う「とんがり帽子」
こちらは戦後を代表する歌となる。

一方韓国でも映画やドラマがブームとなる。1948年の光復節に封切となった「푸른언덕(青い丘)」が本格的な映画音楽としてヒットし、これを皮切りに1956年以降は映画が多く製作されるようになる。また同時に映画主題歌も多くの人に愛唱された。映画とレコード産業は戦後大きく発展し、多くのレコードレーベルが誕生したものの、1960年以降は下火となり衰退の一途をたどることとなる。

「청실홍실」と「君の名は」

「鐘の鳴る丘」がヒットした後、NHKは連続ラジオドラマの金字塔ともいえる大ヒットを飛ばす。それが「君の名は」(1952~1954年)である。
舞台は戦時中で主人公の春樹と真知子はたままた数寄屋橋のたもとで出会うこととなり、戦後になった時にこの橋のたもとでまた会おうと約束する。
そこから二人の思いをめぐるドラマが展開されるというストーリーであった。
原作は作詞家・劇作家である菊田一夫、このドラマが放送された木曜日の21時以降は銭湯から女性が居なくなる社会現象が起きるほどの逸話も残るほど多くの人に浸透されていたドラマだった。
またこのドラマの主題歌もヒットし、多くの人に歌われた。作曲は朝ドラ「エール」でも取り上げられた古関裕而。哀調切々としたメロディがなんとも沁みる一曲となっている。

1969年「思い出のメロディー」にて「君の名は」の収録風景の再現
主題歌を歌った織井茂子

その2年後の1956年韓国でも連続ラジオドラマが社会現象を起こす。それがKBSラジオ「청실홍실」(1956~1957年 青糸紅糸)である。
主人公の羅技師は将来が期待されている有望株だったが、ひそかに勤めている社長の娘であるドンスクと昔の恋人の二人に好意を抱く。その後ドンスクの会社が倒産、二人の女性をめぐる運命に翻弄される羅の激動の人生を描くストーリーである。ちなみにタイトルの「청실홍실」は結納の際に男女を模した赤と青の熨斗紙の紐の互い違いの結び方を差す。韓国ではハレの言葉として広く使われている。原作はこちらも作詞家・劇作家である조남사(趙南史)。조남사は専修大学で勉強していた経験もあり、朝鮮戦争後はアメリカで演劇を学び、帰国後始めて書いた作品がこの「청실홍실」だった。その後はテレビドラマの演出も多く手掛け、韓国を代表する劇作家・演出家となる。
こちらも主題歌がヒットした。こちらはデュエット曲となり、名曲「신라의 달밤」(新羅の月夜)で有名な현인(玄仁)が歌っている。

KBS「가요무대」1995年7月放送より
「청실홍실」の収録風景

どちらのドラマの共通点

・戦時中ではタブーだった男女の駆け引き
・大人の恋とそれを取り巻く社会情勢
・当時の女性に爆発的ヒット
・実写ドラマ化
・主題歌も大ヒット
と、お国が違えどラジオドラマが大衆にもたらす影響力は大差がないといういい例ではないだろうか。
戦後の動乱期、大衆は争いに疲弊した分これからの未来に向かい、明るい恋愛を求めていたのだろうかと感じてしまう。しかしいつの世も恋愛の障壁は常に厳しく、男女の仲は永遠ともいえる難解さをはらんだテーマとなっている。
恋愛ドラマが戦後に解禁となり、今まで描けなかった男女の駆け引きをラジオという媒体で皆が一斉に共感できることで、共通の話題や憧れに変貌した。何もなかった時代、恋愛だけはいつもそこにあった。そんなことを教えてくれた作品だった。
叶わぬ恋やそれを取り巻く社会情勢や人間関係のもどかしさ、いつの時代も恋愛に難はつきものなのでしょう。

【参考文献】

『韓国歌謡史Ⅱ』 朴燦鎬 邑楽社 2018

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