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タイのアパートで猫と暮らす日常

私はバンコクの端っこの街に移動して、このタイ人しか住んでいないアパートメントで暮らしている。

この暮らしが今月で1年半経過したことに気づいた。
そしてこの生活のはじまりと共に人生初の猫と関わる暮らしも同じく1年半経っていた。

今日はそんな猫との暮らしで私が成長したところや、猫に助けてもらったこと、なぜここの猫たちの生き方が好きなのか、なぜチェンマイを好きになったのか、などを書いていこうと思う。

思い起こすとはじめて動物と関わったのが小学2年生の頃。
風呂なしアパートに暮らす人生で一番貧乏だった時代、でもそのおかげで銭湯通いをしていたので楽しかった印象でもある。

私の住むアパートから歩いてすぐのところに、一軒家がありそこにゴールデンレトリーバーが2匹住んでいた。ビックともう一匹の名前は忘れてしまった。この大型犬の彼らがとっても優しくフレンドリー、そして賢くてとても印象的だったのを覚えている。

小学校へ通う行きと帰りにビックたちをいいこってしてから、家に帰るのが日課だった。おそらく彼らの出会いから、動物と暮らすことに憧れたんだと思う。もしかしたら、姉よりも私が強く犬を飼いたいと主張していたのかもしれない。

私がかなりしつこく親を説得し小学生の間に、ポメラニアンのちび太郎を我が家に招き入れた。
その後引っ越しを繰り返した我が家だったので、ペット不可物件に住まなくてはいけなくなり、わんちゃんを他の方にゆずって離れてしまう。

その後もそんなことを何回か繰り返した。
今思うと、いい飼い主さんとは言えない我が家だった。

そんな中でも私の記憶の中には、そばにいてくれて心の内を聞いてもらったり癒しを与えてくれる。相棒のような存在が犬だった。

そんな犬と共に暮らす生活の中で、いつしか疑問に思っていたことがこんなことだった。

「どうしてリードで繋ぐ必要があるんだろう」

「人間は繋がないのに、どうして犬は繋がれなきゃいけないんだろう」

「車を避けるのは、なぜだろう。車のが偉いのか?」

「大きいサイズの順にこの社会は偉い順番なのか?だとしたらそれは誰が決めたのだろうか」

小学生で感じていた疑問はこれらだった。もちろん姉や家族にもこの疑問をすぐぶつけたけど、いつものように軽くあしらわれた。

その疑問、不満、想いを抱いたまま社会人になり動物と暮らす生活とは離れていった。

そして、ひょんなことから私は一人でタイ北部チェンマイに初めて上陸した。そしてそこで目にした印象的な光景の数々。

ゲストハウス、カフェなどで猫が当たり前に堂々とたたずんでいる。
お客さんよりも猫ファーストなスタッフさん。
犬がひとりで散歩している、道路を堂々と渡っている。
犬が道路を渡るのを、車が止まって待ってあげている。

こういった瞬間に何度も出会った私は心から幸せな気持ちになった。
「見つけた!」そんな気持ちにちかいものだったのかもしれない。

こんな世界ないのかも、て諦めていた動物が自由に生きる世界。
偉いに順番なんかなく、人間も動物も大きな機械もお互いに譲り合える対等な世界があってもいい。

そんな願いをもっていた私のひとつの願いがチェンマイで叶った気がした。
ここに住みたい、ここで毎日こんな光景に出会いたい。
今振り返るとこの想いもチェンマイに住みたい理由の大きな一つだったんだろう。

それから台湾へと移り住み、特に台湾離島の島猫とのふれあいや動物保護施設でのボランティアが印象的で暮らしを充実でき、
念願のタイへ戻った一発目がバンコクの暮らし。

このアパートとの出会いは偶然でしかないけど、住んで2 週間で1匹目の猫と出会いそのうちにまた1匹と。

そのうちにはじめに出会った猫が私に懐いて部屋に遊びに来るようになり、
そうしてるうちに飼い主さんと遭遇し「うちの猫があなたの部屋で寝てるよね、ごめんね」という会話をするよになり。

アパートに移り住む住人が代わり変化が訪れ、はじめの1匹とその弟猫が自由に外出できなくなった。
寂しく思っていてしばらく経つと、今度は他のおうちの猫が自由に解放される時間が生まれる。

今はその子猫と毎日朝の時間を過ごしてる。
この猫の前の日常は、朝8時半頃に玄関からにゃーとくるかベランダ側からにゃーと呼ばれておうちへ招き入れる。

猫たちが私の部屋を好きな理由、それはわたしの部屋のベランダの目の前がお庭になっているからだ。
大きな木や小さな木に、もりもりの葉っぱにつつまれて鳥たちも毎日やってくる。野生にとってはミニジャングルのように楽しめるスポットになっている。

私の部屋に来る猫たちは、もちろんこのアパートに住んでいるおうちの猫たちなんだけど彼らの家のベランダからの景色は駐車場。
車の出入りする姿や音、そして番犬の大型犬は見えるものの、緑や鳥のサウンドはない。

何より猫たちのおうちはベランダが厳重に出入りできないように細工されてしまっているため、ベランダから外へ自由に出入りできない。

最近うちに遊びにくる子猫は、夜の時間帯にアパート内に解放されている為朝5時頃になると私の部屋の前でスタンバイし控えめににゃーと鳴いて私がそれに気づくと部屋に招き入れる。

こうして子猫は、私に挨拶し部屋内をパトロール完了するとさっさとベランダへ出て行って庭へと冒険へ繰り出していくのだ。

いいように私の部屋をトンネルのように利用しつつ、
冒険を終えると戻ってきては一緒に過ごしたり、お気に入りの場所で寝たりしている。

だいたい平日は8時15分前後に飼い主さんが子猫を呼びながら探しに来る、
その声に気づくとすぐに動き出し飼い主さんの元へ戻り帰っていく。

こうしてここから私の部屋掃除などがスタートする。

こんな暮らしをして1年半。

私はこの暮らしからいろんな経験し、学びを感じている。

まず、猫という生物を観察し知ることがとても楽しい。
タイの飼い主さんは、部屋に猫をしまうだけでなく彼らの意思や自由を尊重している。そのスタイルが何より私は好きだ。

飼い猫なんだけど、そうは言い切れない。
半飼い猫というか、半同棲というか、家族というのをより感じる。
もちろんここがペット可のアパートだから、ということもあるだろう。
それに、人によって飼育スタイルももちろん異なる。

しかし、ここの今まで出会った猫と飼い主さんは毎日猫を外に出して自由に探検する時間を大切にしている。
チェンマイ出会った動物との関わり方と同様
「共に自由に暮らす」そんなスタイルに感じる。

猫を見ていると、彼らは自分で散歩し獲物をとらえて、トイレも自分でして一切私の部屋でしたことがない。
自立していて、私が今まで想像していた飼い猫のイメージとは程遠い。

どちらが良い悪いという話ではなく、こういうスタイル、こういう暮らしのあり方もあるんだな。

そしてこんな風にのびのび生きる姿を見るのが私は好きで、幸せを感じているんだ、ということになにより気づくことができた。

辛い時にうちに遊びに来てくれて、一緒に過ごしたり
力強く生きる姿を日々観察すると「私も強くなろう、猫のように」そんな風にも思わせてくれる。

いつかは別れがやってくることももちろんわかっているけど、
今はこの暮らし、この時間を大切にしていきたい。

動物がすぐそばで制限なくのびのび生きる、それを見ながら満足げにコーヒーを飲んでこうして私もこの部屋でこんな風に書いている。

また明日も朝会えたら、会いましょう。
ありがとうございます。


2024.6.29 concoji