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障害理解とは「何を・誰を」理解するのか。

NPO法人Collalble(コラブル)です。
Collalbleは、インクルーシブデザインをキーワードに活動しています。

インクルーシブデザイン
障害のある人や高齢者、小さな子どもなど、これまでデザインのメインターゲットにされてこなかった人々を、積極的にデザインプロセスに巻き込む手法です。

小学校で出張授業をしたり、企業の商品開発にご一緒させていただいたり、毎月19日にミートアップイベントを通してインクルーシブデザインの普及活動を行っています。

今回は「障害理解のその先」について考えるイベント「障害の有無をこえたインクルーシブな社会の考え方 〜みんな違って、みんないい…んだっけ?〜 Talk Studio [ mix ] 002」を、一般社団法人Plus-handicap (プラスハンディキャップ)代表の佐々木さんをゲストにお迎えし、開催いたしました。

佐々木一成(ささきかずなり)
1985年福岡県生まれ。生きづらさをテーマにしたwebマガジンPlus-handicap編集長。生まれつき両足と右手が不自由な義足ユーザー。障害があっても楽しく人生を送るひと・そうでないひとの違いや境目を研究中。

CollalbleとPlus-handicapは3月、協働で浦安市の障害理解啓発動画の作成を行いました。この動画のお披露目と動画の趣旨・意図をお話しし、そこから「障害理解のその先」についてトークセッションをしていきました。
(トークセッションのアーカイブはこちら!


「障害者を障害者が助けるという構図があってもいいよね」

まずはCollableとPlus-handicapが協働で作成した、浦安市の障害理解啓発動画を見ました。ある親子が2人で、お母さんの知り合いが開いている個展へ出かけるという内容です。

お母さんは車椅子に乗っていて、娘さんがその車椅子を押しています。個展が開かれている会場へ向かうと、ドアの前には階段がありました。娘さん1人の力ではとても登りきれません。そこへ通りがかった男性が声をかけてくれます。その後、会場にいたスタッフにもお願いし、3人がかりで階段を登りきりました。

上の情報だけ見ると、障害を抱えていたのはお母さんだけのように見えます。しかし、実は娘さんも耳が聞こえません。この親子はそれぞれが違う障害を抱えていたのです。

動画作成を依頼されたとき、障害者が「支援されるだけ」で終わるストーリーになるのは避けようという話になったそうです。障害理解というと、「障害のない人が障害のある人のことを理解する」という意識の人もいると思います。一般的にも、障害のある人を障害のない人が支えることがスタンダードだとされています。ですが、この動画のように、障害があっても自分ができる範囲で助け合うことは可能です。

自分が障害者だったとしても、目の前に困っている人が居たときに手を差し伸べたりお手伝いをしたり支えたりするのはふつうのこと。そこに障害があるとかないとかは関係なく、自分が手伝える範囲で手伝うのが理想的。(佐々木さん)

施設や設備等のハード面の課題もソフト面によって解決できるからこそ、障害者側からの声掛けも必要だということ。そのようなメッセージが動画には込められていました。
*動画はまだ一般公開されていません。


「主語を障害者にする時代はもうやめませんか」

「障害理解のその先」というテーマについて、佐々木さんから語られたのが上記の言葉です。

例えば、ある障害の情報を完全に覚えているから「僕は皆さん(障害)のことを理解しています」って言ったら、「そうじゃない」って言われると思うんです。もうちょっと自分の感情や苦しみに寄り添って欲しいって。でもそこ(感情や苦しみ)って属人的な話。その辺のバランスは障害理解やマイノリティ理解などを考えたときに社会側・スピーカー側・当事者側が考えなければならないこと。(佐々木さん)

自分自身の障害を語るにあたって、そのしんどさや苦しみは欠かせないもの。ただ、そのしんどさを丸ごと受け入れることを「理解」として求められた時、理解する側の人たちはそれを受け入れられるのでしょうか。

理解してもらう側は、「理解してもらうこと」ばかりに意識を向けていて、相手を「理解しようとすること」が忘れられていることが多いこともあります。それは理解する側にだけ、大きく負担がかかります。

(障害理解と言ったときに)健常者は自分を変える必要に迫られる場合がある。障害者が(自分は障害が)あるからって(相手のことを理解する努力を)しなくていいというのは違うのでは。 社会が障害者のことを理解しなきゃという土壌はできてきているので、当事者自身も相手を理解しようと、その土壌に入り込む努力をする必要がある時代。(佐々木さん)

障害を「理解してほしい」側にとっては、一見厳しく聞こえる言葉。
ですが、主体的に自分の生活を変えていける力があると信じているからこそ、このような話が出てきたのだと感じました。「障害者」だけを主語に語るのではなく、お互いがお互いのことを知ること、歩み寄ることを双方向で行うことで「障害理解のその先」に近づけるのでしょう。


「砂山は片方からだけ掘っていくと必ず崩れる」

佐々木さんは、ある講演会で社会と障害者側とがそれぞれ歩み寄る必要性について、砂山のトンネルに例えた話を聞いたそうです。砂山のトンネルをつくる時、両側からトンネルの穴を均等に掘っていかないと砂山は崩れてしまうのだそうです。社会と障害者が歩み寄る構造は、まるで砂山でトンネルを作ることと同じ。社会側から穴をほっても崩れてしまうだけだと危惧します。

そのトンネルの話から「社会だけが歩み寄ってもバランスは崩れてしまう。Plus-handicapは、【障害者側から穴を掘る事】を目指して働きかけを行っていきたい」と仰っていました。その話の中で例えるなら、Collalbleの活動は「お互いが出会い、理解するための環境」(砂山)を用意し、双方から穴を掘るためのお手伝いをすることだという気づきも生まれました。

「出会う場がないなら出会えるための環境をつくる」
「障害者側への理解ではなく、お互いの理解を深める機会をつくる」
Collableは、今後も「砂山」となる場をつくっていきたいと思います。

佐々木さん、参加者の皆様、そしてオンライン配信を見て下さった皆様、本当にありがとうございました!

編集:くりのさやか

(Special Thanks! 敬称略)
執筆:大竹結花(一般社団法人Plus-handicap インターン)
撮影:白勢竜彦
会場提供:Peatix Japan

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