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自己責任という言葉

“自己責任”という言葉は、解釈の仕方で意味が変わる。この言葉の意味を印象的に操作するようなロジックが拡散されている。

目的に到達させるために。

少しだけ何故そんな回りくどいことをするのか説明すると、目的が達成した際に、「みなさんがこう言って決めたでしょ。」と責任をなすりつけるためです。そう、自己責任でしょ。っていうため。わかりますかね?(笑)

依存しすぎないこと。という意味が強いのに、自己責任を求める政府は間違っているから改憲しよう。とか、自己責任という人は、〇〇だ。とか、長い文章でうまいこと言ってるなと思うけど、シャツをひっくり返すように、裏を見ればそれこそ責任を負わせるためのもの。

みんなでやろう!ってよく見かけるようになったけど、それは、みんなで責任取ろうね。ってことだよw

自己責任っていうのは、自分のしていることや、出来ることに責任を持つってことで、何かを抱えることじゃない。

もっと、砕いて言えば、依存しないっていう意味だ。

「自己責任と言って押し付ける。」???
他者が誰かの状態を決めることじゃないでしょ。
依存せず、自分の判断で行動する。という、主観が自己責任じゃないのかな。

お金のこと、改憲のこと、事故事件のこと、そういうことの解釈の仕方までプロパガンダして、世の中を変えようとする。

そして、いわゆる今の構造の中での社会的に立派な人ほど、簡単に引っかかる。社会通念というのは、客観であって主観ではない。社会通念が主観と同じ人は、完全に構造に飲み込まれている。客観性だけで生きていると言っていい。どういうことかと言えば、社会に依存し、他者に責任を求めてしまっているということ。

日本語が、言葉が大切だと常々言っているけれど、理論武装や社会通念に流されている暇があったら、日本語を勉強したらいい。国語ではなく、日本語=本当の意味を持つ言葉をだ。


それだけで、見える世界は変わってゆく。