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生き抜きたいかどうか

一部2019年を含めた2020年からの567騒動。
大きく俯瞰すると、徐々にフェーズが移行しているのが分かる。
現在のフェーズから、どの辺までかを見ていくことにする。
一つ目は、高齢者以外の低年齢層の接種はそれほど進まないものの、世界的に見ればかなりの接種者となり、目的とする接種の第一段階はきちんと完了している。
しかしながら、接種は世界中を往来する人間にこそ接種したいものなので、今後ますます接種率を上げるための方策が打ち出されると予測される。
この目的は、自由往来だった従来の方法では誰が何をしているのか本当に不明で、各国パスポートの権利で保障されて活動していたため管理できなかった。
これまでは入国も従来のパスポートに不備がなければ特に制限なく渡航できた。接種は、それらを新たに管理する手法の第一歩としている。紐づくものは何か、それはグローバリズムである。世界中で同時に始まった謎のSDGsである。
そして、中間的なエリート層は何らか世界と関わって活動しているため接種証明が欲しくなる。足掛かりに高齢者で始めて、有効性など実際には無いようなデータを世界各国で国を上げて発表し、年齢を下げていく。そうすると、接種証明があたかも有効なものに見えてきて、それを彼らが欲することになる。そして、8910を好むと好まざると関係なく、合理的な事実に基づいて、早い経済復帰のために命のリスクも顧みず接種しようとする。
人間は、答えをある程度は探すものだが、見つからない答えをいつまでも探すこともない。面倒とか仕方ないとか、現実優先となるのである。
案外、生存本能が低いと今回の件で理解したのだが、地球上の人口が多すぎるのは事実でこれ以上地球上に人間が増えるのは、確かに好ましくない。
動物は、一定の地域に増えすぎると場合によっては集団自殺をしてその秩序を保つ。流石に人間がそうした事実は過去にはない。愚かではあるが、戦争などがその一翼を担ってきた。当然だが戦争は断固反対だ。
昨今多様な恋愛形式があるのだが、それらもある意味で集団的な本能が人口抑制のためにそのようになって行ったのではないかと分析したことがある。それに近い考えで、いろいろな情報を持つ人間の脳は、奥底できちんと考えていて本能的に命のリスクであることを承知で、シャットダウンする情報を自ら選択し、未知の8910に対して一種の賭けをするように命を差し出しているのではないだろうか。そう考えないと、なぜ命のリスクを理解していながら接種しようとするのか考える力を持つ人間の行動とは思えない稚拙な判断をすることを説明出来ない。

通常8910は、免疫のないものに予防のため免疫を作らせるのに接種を進める。しかし、どういうわけか本来1番免疫を持っているはずの高齢者から接種がスタートした。これは、どういうことだろうか。インフルワクチンでも子供が接種の主体である。1番免疫を持っていないからである。なのに567は子供がかかることは少なく、高齢者が死亡しやすいという理由で高齢者から始まったのだが、この免疫の順番など何も話し合われていないのが学術的に理にかなっているのだろうか。そんな素人の考えは何も当てはまらない、話し合うべき事柄ではないのだろうか。ついでに言えば、インフルワクチンも接種するから蔓延していると考えている。型が違ったとしても体に取り込んだそれは時限的にいつか出てしまっているのではないだろうか。だからいつまでも、終わらない。そんな8910は、どれも摂取する必要などない。

二つ目は、何らかの病気が接種の進捗とともに少なからず蔓延していて、これまでの風邪とは違い、死の危険もあるものだということ。
もともと無かった567であるが、人工説がほぼ証明され海外では裁判等が起こっているが、何らかの病気があったことは事実となったのだ。しかし、それほど蔓延させる力は無かったのだろうか。実際にはパンデミックは世界中どこでも起こっていない。当初は、567はない。と言う意見であったが、それは病原を見つけられず証明出来なかったからだ。何故かと言えば、恐怖を煽り偽のパンデミックを作り上げスタートした567なのである。そう簡単に見つかるわけがない。
しかし、まんまと一つ目で言ったように接種をある程度進めることが出来た。ここでフェーズが変わっているのである。
8910はもともと病原体を微量に体に入れて免疫を作り予防するものである。人々に、蔓延させることの出来なかった何らかの病気も接種が進めば体に植え付けていくことが出来る。
そして始まったのが、接種者由来による感染だ。8910の中身は知らないので勝手なことを言うと誤解や批判を受けであろうけど、当然微量でも免疫のために何かを注入しているのだから、そうなってもおかしくないと考えている。
職域接種の進んだ会社などで、567陽性とされる何らかの病気が蔓延するのはどういうことなのか、説明できるとしたら8910により接種された内容物から周囲も感染しているとしか説明出来ないのだが、未接種者が居るからだと言う誤解がまかり通る。ビフォーアフターが好きな割には、何をしたらどうなったかをきちんと俯瞰している人間は少ない。

人間は、自分の選択を間違いだと言われたくない。この心理から、仮に会社などで接種が進めば、未接種者が魔女になるのは当然である。未接種者が多く接種者が少なければ、魔女狩りは行われないだろう。

少しまとめると、接種が進んだ今は、567当初とは違い何らかの病気が蔓延を始めている。人によってその重症度は異なり、特にどうということもない程度の人から、死に至る可能性のある人まで様々である。
接種と未接種の心理が、巧みに動き出しているということを理解して俯瞰しなければならない。

想像したり空想して遊ぶことはあるだろうか、何かのシーンを想像してどんな風に誰が思い考えるだろうかと。そういう細かい部分での心理を実によく研究されてしまっているのだということを忘れてはいけない。
自分の考えで何かに陥った時、本当に自分の考えで陥ったのか俯瞰してみることだ。良いことの時は、それほど深く考える必要はないと思う。個人的にはそれも俯瞰して偶然や幸運という言葉で処理するのはやめた方が良いと思っているが、感情的には少しくらい純粋に喜んで良いと思っている。
何かに誰かが陥り、その心理まで計算されていて、そこに自分が嵌っていることは考えられないだろうか。

シンプソンズは、その良い例だと言えよう。
あれは良く当たる恐ろしいマンガではなく、あらゆる人の心理を考えて作ったシナリオなのだと思われる。最近の支配層のパワーバランスのせいか、その精度は落ちてきているように思われるが。
イルミナティカードもその類なのだが、こちらも今はどのくらい有効なのだろうか。
それらのバランスが崩れた最初の事件は、エプスタイン事件だろう。あれから世の中は一気に動き出したというか、何らかのバランスが崩れ、誰かの計画がスタートしたと見るのが妥当ではないだろうか。何故なら世界中の上層の秘密を握る人間の事件である。

そういった物事と、567や8910は全て繋がっている。
だから、フェーズを俯瞰して、腑に落ちるストーリーを見つけることが重要だ。
そうでないと、答えの見つからないものを処理出来なくなり、「何とかなるさ。」「誰かが良いようにしてくれてる。」など、人任せになったり、「もうどっちでも良いだろう。」と思考を停止することになる。
また集合意識は、確かに世の中を変える力を持つのだが、結局そこに頼ってしまい行動が伴わない場合が多い。それではやはりただの運任せである。過去の歴史を見ても人間に90%以上は運任せだから、それはそれで人間的な本能なのかもしれないので否定はしない。

世界中の人々が繋がっているものは何かと言えば、お金である。このお金の鎖こそが、陥れるための重要な役割を担っていることが俯瞰できるだろうか。
まずは、そこが理解出来ないとこの問題の根幹に辿り着く事はできない。

ただ、こんな時期だから誰しも節制しているとは思うので効果はあるがまだまだ世の中が変わるような程度ではないだろう。
お金との関わりをゼロにするのが理想ではあるが、それは難しい話なので、税金や付加価値に対して極力支払わないということに努めている。
出来る限り物々交換をしたり、利益を与えないような支払いをする。これは、次の時代が迫っていることを表している。それは決して明るいものとは言い切れない。しかしそれでも、世の中を俯瞰し生き方を見つけておけば、人間にとって新たな幕開けもあり得ると信じている。

また人間は、善も悪もそれぞれが備えている。その中で、多くの人間の善の大きさと力を信じることにしている。
ただし、安心することは出来ない。善と悪は、状況に応じて割合が簡単に変わるのも人間だからだ。目の前に美味しそうな自分の利益があれば簡単にそれを優先するのが人間なのだ。

それを自分の戒めにも肝に銘じて、俯瞰し納得できる流れを見つけ、生き方を探し続ける。大河に引き寄せられるのが人間だが、既存の大河に集まるのではなく、未来に灯が見える大河になり得る小さな流れを見つける時代なのだ。小さくとも清らかで確かな流れ、大きな水脈に変わるであろう善な流れを見つけるための時代なのだ。

今、灯っている大きな灯りは、人間が集まるべき灯りではない。今流れている大河は、人間が集まるべき流れではない。
原発、太陽光発電など人間の未来を明るく照らすどころか、不安と問題を多く抱えさせたドス黒い代物でしかない。
8910という大きな河の流れは、人が集まるべきものではない。何かしらの薬物を体に取り込むことが健康な訳がない。
これらの灯りは、イカ釣りの照明や蛾の群がる街灯と同じだ。皆、そこが天国であるかのように大きい流れや巨大な照明に群がっている。その利権に群がり食い尽くし美味しくなったらどうするのか。
そう訴えた人は多くいたが、今その人たちは不審死によりほとんどがこの世にいいない。
映画の中の話のように思われるかもしれないが、そのような賢人がいたことを知り探せばその末路が未解決なものも知ることが出来る。そしてほとんどの場合、有りもしない汚名を着せられているため、多くの人々はゴシップ記事のようにオモシロオカシク解釈し、真相を知ろうとしない。

集まるべき灯りを見極めるのは、自分しか出来ない。
大河が良く見えるのは、人が多いからという理由なら、それは考える力をきちんと使っていない。

本物の灯りは、常に灯っている。それを見つけるのは自分だ。


余談
567
8910
123・・・接種回数、3はブースター
4・・・言わずもがな