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名前を呼ばれるだけで


愛のカタチはひとつじゃないから、そのすべての可能性、素晴らしさを、出来るだけたくさん感じて受け取れる人生でありたい。

手の届く距離で共に過ごせることも大事だけれど、離れているからこそ、心の繋がりを育めることだってある。

何より、自分が自分を大好きでいられるためには、守るべき聖域があり、その時々に適切な距離感があることがようやく腑に落ちた。

そのことを認めたら、すべての人間関係が輝きはじめた。

わたしはわたしの聖域を、ただ蔑ろにしていただけだった。

感情なんてものは一過性で、相手との距離感ひとつでいとも簡単に変わってしまう。

離れ過ぎると恋しいし、近過ぎると鬱陶しい。

そうやって常に揺らいでいるのが感情であり、それは突き詰めれば、身体の訴える自然なリズムであり、抑揚に過ぎないこともわかった。

愛とは、その揺らぎも含めた、存在から溢れるすべてであって、数ある感情のひとつではないのだ。

相手を好きとか嫌いとか、うざいとかときめかないとか、ある概念に当て嵌めた瞬間、身動きが取れなくなり、心地悪さを感じるのはいつだって自分だ。

相手にはなんの問題もなくて、ただ、自分の心のセンサーが、距離感を見誤ってしまっただけのこと。

大事なのは、相手をずっと好きで尊重していられる心地よい距離感が存在することに気付き、それを理解して守ること。

その中でいつも満たし合えるような繋がりでいられるように、日々穏やかに過ごせる時間を持つこと。

離れていても、エネルギーは繋がっていることに気付くこと。

想いは常に相手に届いて、そのまま自分に還ってきていることを知ること。

表面的な言葉や態度ではなく、奥底で抱いている想念が伝わっているということ。

起こってきたすべてのアクシデントは、わたしがわたしを大好きでいられるための警告的合図だった。

必要な余白や空白が失われたとき、人生がうまくいかなくなるのはもはや必然で、そんなときは、自分の半径数メートル範囲の、当たり前のことを整え手放すチャンスなのだ。

お互いを尊重出来る距離感を掴めたら、好意を抱いたどんな相手とだって愛は育める。

言葉を交わす時間も、言葉の数だって、少なくたっていい。

好きや愛してるの直接的な表現さえなくたって、少ない言葉で紡がれる事実の中に、ありったけの愛が込められているのを、わたしは知っている。

本当は、名前を呼ばれるだけで、胸がいっぱいになることだって知っている。

それを感じ合える、悦び。

誰かと愛し愛される心地よさは、自分を大切に出来ている証でもあったんだね。

愛しい想いが溢れてくるとき、やわらかな光に満たされるのは、他でもない自分自身だから。

愛するって、自分に搭載されてるエンジンふかすみたいなものなんだ。

自分以外にそんな対象がいて、受け取ってもらえることで、いのちはイキイキと輝きだす。

そして愛されることもまた、ひとつの輪の中にある同じ愛(受け取ること)を体現しているだけのこと。 

だから、極論どっちでもいいの。

好みの体験を選んで表現しさえすれば。

最後はどっちみち、すべてを愛したくなるから。




大好きだからずっと

無邪気に笑ってくださいな 

いつまでも



宇多田ヒカル 『 Stay Gold 』

 







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