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わからないことをわからないままでいられる自由


わたしは、自己啓発本の類が好きじゃない。読んできた本は小説が大半で、たとえ作られた物語だとしても、人の懸命な生き様や心模様、その独創性を感じるのが好きだ。

もちろん何冊か自己啓発系の本を読んだことはあるし、影響を受けたものもあるけれど、それはすべて詩的な表現のものばかりだ。

それよりも、小説やエッセイ、少し専門性の高いマニアックな本を読むほうが楽しい。

今年に入って、ぶっ倒れて、死にかけて、心身をクリアにするためだけに過ごしてきた2020年。

もう、自分以外の誰かの意見や感覚を、自分の中に取り入れられなくなってしまった。

どんなに凄いと言われる人が、凄い感じのノウハウを謳っていても、わたしには関係ない。

だって、わたしのことは、わたしにしかわからない。

一般的に当てはめやすいように、咀嚼しやすいように話していたとしても、わたしはわたしでしかないから、どうあがいても当てはまらない。一般的にはなれない。

だから、もう、そう言った類のものは、一切取り入れていない。

昔は、わからないことをわからないままにしておくのが心許なくて、必死で答えを探すために、人に話を聞いてもらったり、時々セミナーや講演会に足を運んだり、メンター的な存在に頼ったりしたこともあった。

今ならわかるけど、もう、自分の中が自分じゃないものでいっぱいになっていた。

笑顔、感謝、人格者であれ的な、よくある理想論・意識高い系メッセージに丸め込まれ、そうでなければならないと思い込み、わかったような気になって、生身の感覚を抑え付けた。

でも、わたしじゃないもの、その全部を手放さざるを得ない状況に追い込まれて、何にも出来なくなって、やっとわかったんです。

自分にとって、何が大事なのか。

自分がどう感じるか、その中にしか、答えはないって。

誰かのこうすればいいよ、的な発信に触れるたびに、置き去りになっていく自分。

無理やり言い聴かせるように出した答えの中に閉じ込めれた自分は、ずっと苦しいと泣いていました。

でもわかった。

外側からの答えなんて、いらない。

わたしの感じたことがすべて。

わからないことは、わからないままにしておく。

それこそが、何にもハマらない、自由だと知りました。

人生は答えを出すためにあるんじゃない。人生は目まぐるしく変わってゆく彩りを楽しむためにある。

美しいことばかり言う人より、醜さを晒してる人が好き。その醜さが、一周回って美しさに見えることを知った。

誰かのために生きたいと言ってる人より、目の前のことに泥臭くがむしゃらになってる人が好き。その嘘のない生き様が、一周回って誰かの心を救うことを知った。

その人が、他の誰でもなくその人自身の人生を生きてるんだなって感じられるものに触れるとき、勇気をもらえることを知った。

わたしの望みは、そんな人たちに囲まれて生きることだと知った。

晴れの日や雨の日、台風や嵐の日、雪の日や虹の日、いろんな日があるから、人生は儚く美しい。

いつから、【人間らしい】なんて言葉が使われるようになったのだろう?

人間が、自然の一部であることを、忘れてしまったからじゃないか?

【人間らしい】なんて、そもそも生きることの本質を忘れてしまった人から出てくる言葉だ。

自然と同様に、心身の天気の変化が当たり前に起こるものだと言うことを受け入れる。

躁の日もあれば、鬱の日もある。

それって、おかしなことなの?

それをおかしいと思い込まされてしまった世界の方が、おかしくはないですか?

揺れ動くことは自然の摂理なのだから、躁だろうが鬱だろうがその時々の状態に身を委ねて、自由に在ればいいんです。


自然は、常に移り変わっていく。

山があり谷がある。

春があり夏がきて、秋になり冬がくる。

その変化や流れは誰にも止められない。

あなたも。わたしも。


誰もがその瞬間瞬間に自分から湧き上がってくるものに抵抗せずに寛ぎ、自然体でいられる世界。

それが、わたしたちが住むこの地球が、示してくれている本来の在り方なんじゃないか。

見渡せば、空には太陽と雲があって、緑が風に揺らされて、花は咲き、鳥たちが鳴いている。川は流れ、魚たちは泳ぎ、やがてその水は海に還ってゆく。

すべては巡り巡っている。

人間の心も身体も。

何かを知ろうとしなくても、何かを変えようとしなくても、型にはまらない自由、その不安定さの中でいのちが望むままに在ること。

別の何かになろうとしないこと。

身体の声に、細胞の感覚に、反応に、全身全霊で意識を傾けていれば、自分の望むものはすべてわかるようになっている。

それがいのちの声です。

いのちは、『それがいい』『それは嫌だ』ってその都度言ってるよ。

『あの人が好き』『あの人は好きじゃない』って叫んでるよ。

探してる答えは、YouTubeのあの人は教えてくれないよ。

あなたのずっと奥の方に閉じ込められて、暴れています。

それが体調不良だよ。

そんな時は、目を閉じて、心臓の鼓動を感じてください。

鼓動に連動して、蠢く37兆個の細胞を感じてください。

全身に流れる血の熱さを感じてください。

それが、いのちと向き合うこと。

すべての生の始まり。


わたしのいのちの願いは、気持ちよくなりたい。

ただそれだけ。

それ以外はおまけです。



トップのサムネ画像はわりと最近買った本たちと、長年何度も読んでいる本たち。

装丁とタイトルに惹かれて買っただけで、このまま読まないものもあると思います(笑)

OSHOだけは鼻息荒くしながらしっかり読みます❤︎


不安は生の本質の一部である。

それが生を自由にする。

生を驚きの連続にする。

でもそれを、不安と呼んではならない。

自由と呼びなさい。                                                   OSHO「Courage-勇気-」より














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