【note】アドラー心理学から考える「コメントする勇気」①
日々noteという街で過ごしていて、色々やってみて、気付いたことがありました。「コメントしたいけどなかなかできない」「しようと思ったけどやっぱやめる」というような「相手との交流に関する悩み」が多いというものです。
そこで今回は!嫌われる勇気、ではなく「コメントする勇気」という記事を書いていきます。アドラー心理学を、実際にnoteで実践するための記事となります。
人によって違うコメントのしかた
まず、なぜコメントを躊躇するんでしょうか。
「自分がコメントしてもいいんだろうか」
「コメントして相手が嫌な気持ちになったらどうしよう」
「今忙しいかもしれない」
「記事の趣旨と違ったら?」
「無視されるかもしれない」
こういった「相手の気持ちを考えて」もしくは「自分がどう思われるかを考えて」みたいなことが、大きい原因だと思います。
もちろん、わざとコメントしないとかだったら全然いいんです。「時間がない」とか「そういうスタイル」とか「仲良い人だけ」とか色々考えかた、やりかたはありますよね。
でも「したいけどなかなかできない」「仲良くなりたいのにできない」みたいな場合は、できるようになったほうがいいじゃないですか。
良い縁が巡るかもしれないのに、もったいないですよね。
自分の課題と相手の課題
そこで実践したいアドラー心理学の理論は「課題の分離」です。
※課題の分離とは?
自分の課題と相手の課題を分けること。
それでは例えを出します。
まず大前提として、相手が嫌な気持ちにならないように、迷惑にならないように想像しますよね。当たり前ですが、これは大事です。
そして次に、これは誰の課題なのか?ということを考えていきます。
例えば相手の立場を想像して、大丈夫だと思ったのでコメントをした。であるならば、そこから先に相手がどう思うか、どうするかは「相手の課題」なんですよね。
もちろん、自分に責任がないということではありません。
でも、相手の立場を、最大限配慮してからコメントしたとしても「相手が実際にどう思うか」は分からないわけですよね。
つまり、そこから先は「相手の課題」ですから、自分の課題ではないですし、踏み込んではならない領域なんです。
自分の課題と相手の課題を分ける
例えば、ラインを無視されてるのに、何回も追撃するのはウザいじゃないですか。
相手がラインを返すか返さないかは「相手の課題」ですからね。
つまり、最終的にその課題を引き受けるのは相手なので、自分の課題とは分離して考えるということなんですね。
では、もう一度整理します。
コメントをする場合の課題の分離とは?
自分の課題とは
最大限相手の立場を想像して、配慮してコメントする。
相手の課題とは
それをうけた相手がどう思うか、どうするか。
では実際にどうするか?
私は、こういうふうに思います。
「仲良くなりたい」「感謝を伝えたい」「自分の気持ちを伝えたい」という「コメントしたい」という気持ちになった場合は、一回、勇気を出してコメントしてみてもいいんじゃないでしょうか。
そのあと、相手がどうするかで、また考えたらいいじゃないですか。
自分の課題を最大限こなしたあとは、相手の課題ですから、相手に判断を委ねるということなんですね。
このような考え方が「課題の分離」となります。
おわりに
今回はアドラー心理学の理論を、身近な例に応用してみました。
こういう考えかたを自然とできれば、スキ、フォロー、コメント、拡散などをしたあとに、相手がどういう反応をしたとしても、必要以上にネガティブに考えるということも少なくなります。
完璧に、全ての人に良く思われるなんてことは不可能です。
自分の課題を最大限こなしたら、あとはそれを受け取る相手の課題です。それら全てをコントロールすることはできません!
好きな人や、仲良くなりたい人などに、一度コメントしてみてはいかがでしょうか。
あ、ちなみに私は自分からコメントはあんまできませんけど!!!
いつものかたも、初めましてのかたもここまで読んでくれてありがとうございました!
それではまた!
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