【お知らせ】「現代短歌」7月号に寄稿:補注ーパレスチナ問題について
【お知らせ】
本日はお知らせです。(いろいろ下書き記事が溜まってるんですが…ほんとにどうしよう)
15日に発売された「現代短歌」7月号に「パレスチナは自由になる」というタイトルの10首を寄稿させていただきました。
(ご購入はこちら↑)
歌集を出してから、まったく短歌を作っていなかったので、2年か3年ぶりの「実作への復帰」となりました。
事実ここ数年は、体調不良で総合誌のご依頼をドタキャンしたり、引き受けたものの結局とりかかれず「放棄」したりしていたので、まさか依頼が来るとは思わず、油断しておりました。「現代短歌」さんからご依頼いただいたのも初めてです。
体調も悪かったし、『ダスビダーニャ』みたいな世界はもう書きたくないな、と思っていたので、「じゃあどういう歌を」ということにずっと悩みながら日々、療養生活を送っていました。
そんなときいただいた特集テーマが「GAZA」。つまり「パレスチナ問題」。で、なんとなく「あ、これは書かなければいけないな」と思ったのです。
私は自分が作品を作るときの最低条件として、「今自分が根ざしているこの社会を、自分の身体やこころを通した言葉で表現する」というのを心がけています。なんとなく「現代語で社会へのスタンスを明確にした作品を作りたい」という思いはずっと持っていて、それを結実させようと言う思いが湧きました。
10首の原稿依頼なのに、検索技術や自分の外国語の理解力を総動員して、がんばって「パレスチナ問題」を書こうとしました。
ご依頼いただいた現代短歌社さんに感謝申し上げます。
ただ、はじめてのご依頼で、短歌に変な「注」をいっぱいつけてお送りしたら、「字数が多すぎて全然入らない」というお返事をいただいてしまいました。
実際、めちゃくちゃ校了までが時間のかかる原稿を送ってしまい、わたしも「こういうことを商業誌でやるのはどうすればいいんだ」ということに、かなり悩みました。
編集の真野さんのアドバイスを重視し、「歌う内容」よりも「歌わない内容を考える」工夫をし、おそらく「総合誌に掲載された自作」の中では、内容を吟味し、一番時間と手間をかけて仕上げた原稿になりました。
復帰作なので気合が入っております!!
ただ、実際に読んでみると、
「詞書がごちゃごちゃしてて、かなり読みにくいなあ…。」
と感じます。
しかもその詞書のほとんどが出自不明というか、「え、ほんとにこんなことあるの」という現実ばかりで、テレビや新聞ばかり読んでいる人には、正直なにが起こっているのか、一体西側諸国や、イスラエルは何を考えているのか、まったく見えない、と思う…。
ということで、ほとんどの詞書の背景にある、ことばの「出典と考察」を、現代短歌社さんの許可をいただき、この「note」に「補註」として掲載する
ことにしました。全部「私が調べた範囲」や、「情報収集方法」が乗っておりますので、ぜひこちらもあわせてご参考にしていただければ幸いです。
「本文」は雑誌に載っておりますので、ぜひ「現代短歌」7月号をご一読ください。
パレスチナ問題の「善悪」を言うのはすごい簡単なんだけど、それだけでは済まされない大戦後の屈折はどの国の歴史にもあって、それは日本も当然抱えているので、とても言語化が難しいです…。私も「安易に「平和」とか「戦争反対」とか言うと旧来の「左翼」と勘違いされるし、それは絶対嫌だ」という意識は、正直感じるな、と思いました。
これがいまの私の「日本からのまなざし」であり、「日本へのまなざし」です。
前置きが長くなりました。ご一読いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
「パレスチナは自由になる」 ー補注
1.成立に至るまで
※現代短歌社さんとのやり取り前の初稿と、実際に掲載された最終稿ではまったく短歌が異なっています。なので、初稿の脚注をそのまま書くと、わけがわからなくなります。
もともとは「調べた内容や感じたことを全部歌にしたい」という思いがあり、そのために「たくさん注を入れる」というコンセプトだったので、提出したものはタイトルも全然違い、「注の隙間に歌を入れる」感覚で歌を作っていました。
ところが「注が一つも入らない」となって、絞っていく過程で、「歌を補うために詞書を入れる」というより作品中心のスタイルに変えました。(それでも詞書が多いです)
また、初稿の詞書は、「引用を省かずそのまま乗せる」というアカデミックな形式にこだわりましたが、紙幅に制約があり、かなり妥協して「自分が感じた」視点で引用を噛み砕きながら、詞書を入れるスタイルに変更しています。
歌も、「注なしで、現実の強さに負けない独立したもの」を目指し、初稿から全部入れ替えています。
今回は以前の補注をもとに、内容を入れ替え、さらにnote用、Webページ用に「読み物」としても読めるような内容にしたつもりです。
2.一首目~三首目
参考: ダイアナ・ファラー「イスラエルの「ガザ虐殺」に抗議する日本人デモ参加者、日本の無関心と向き合う」
※古澤裕介さんは、「ひとり抗議行動」というイメージで、「抗議する自分と、素通りする日本人たち」という図式を、インスタグラムに投稿しています。お名前を検索すると、俳優をやられている方らしく、まさに自分自身の身体で、日本の「パレスチナへの無関心」を体現している「表現」になっていると思います。
参考:Arab News Japan(アラブニュースジャパン)のインスタグラム
続いて、その「ひとり抗議行動」にイスラエル支持の外国人がクレームを付け、古澤さんを罵倒する様子。イスラエルの問題に関しては、無批判に「イスラエル支持」の欧米の方は多い気がします。「日本でこういう事が起こっているが、日本人は無関心で全く関与しようとしない」という事実が私のこの問題のモチーフです。
3.六首目
ナチスのホロコーストに関わった収容所の所長、アドルフ・アイヒマンを、無理やりイスラエルの諜報機関(モサド)が拉致し、本国で裁判にかけた「アイヒマン裁判」(1961年)。ドイツ系ユダヤ人の女性思想家ハンナ・アーレントはこの時、「悪の凡庸さ」という言い方でアイヒマンを表現し一大センセーションになりました。
しかし、その影でイスラエルの女性の政治家、ゴルダ・メイア(当時の外相)が、
「私たちがされたことが明らかになった今、私たちが何をしても、世界の誰一人として私たちを批判する権利はない」
と語ったそうです。この日本語訳が掲載されていることが確認できるのは、以下の書籍です。
またどうも日本語圏では、同じ翻訳を孫引きしたのか、以下のような記事がありました。
もしほんとうにこの発言がなされていたのなら「悪の凡庸さ」以上の大問題です。
「あなたたちがナチス・ドイツでホロコーストを味わった苦しみは心から理解するが、それがそのままあなたたちがアラブ人に何をしてもいいということにならない」
と、ホロコーストに関与してない、日本に生まれた私は、はっきりそう指摘したいのですが…。
残念ながら英語圏の記事をいくら参照しても、「この発言がいつされたか」という明確な記載が見つけられないのです。
ところが、ヘブライ語では、ちょっと事情が変わってきます。
SHULAMIT,Aloni:שולמית אלוני | איפה הסגולה שלנו(Shulamit Aloni | Where's our virtue) Haaretz Daily Newspaper Ltd.2009-8-14、(2024年4月26日閲覧)
こちらは。2009年、イスラエルの政治家、シュラミット・アローニ(1928~2014)がハアレツ(Haaretz)という新聞に書いたオピニオン(社説)記事です。
ヘブライ語なのでよくわからないのですが、私はこういうとき、
「google翻訳」を使ってヘブライ語のページを全部一度英語に直し、その英文を「DeepL翻訳」を使って、スムーズな日本語に直すという作業
で、内容を把握します。
まず背景から言うと、シュラミット・アローニは、イスラエルに生まれながら人権を擁護し、イスラエルのパレスチナへの取り扱いに非常に批判的な政治家でした。彼女は1年だけですが、パレスチナとの和平を主導し、暗殺されてしまったイツハク・ラビン首相のもとで敎育大臣を努めます。
「ハーレツ」の記事での彼女のヘブライ語をDeepL翻訳すると、
「アイヒマン裁判の後、ゴルダ・メイアは金言を述べた。「彼らが私たちに何をしたかを皆が知った今、私たちは何をすることも許され、誰も私たちを訪ねてきて何をすべきかを指図する権利はない」。もうひとつの金言は、第一次レバノン戦争時、ベイルート大空爆の前夜に首相だったメナケム・ベギンが言ったものだ。「彼ら(西欧諸国)はユダヤ人の殺害と抹殺を止めるために何もしなかった。」ベギンもドレスデン攻撃を非難した。」
「特に独立戦争で戦った人たちは、私たちがここに理想郷を築き上げるという確信を持っていた。ダヴィド・ベングリオン(筆者注:イスラエル建国の父)は、私たちは美徳とともにあると繰り返した。今日、私は、私たちの中にどんな美徳があるのかと問いたい。」
わかリにくい翻訳は少しだけ置き換えましたが、建国の理想が変質し、「パレスチナ迫害」に加担するようになったことを嘆く文章でした。ここで、ゴルダ・メイアが「ホロコーストでさんざんされたんだから、アラブで何してもいいよね」という発言をしていた、と指摘しています。
補記すると、次のセンテンスにでてくるメナヘム・ペギン(イスラエル第6代首相)も、和平重視派で、ノーベル平和賞を受賞しています。彼が非難した「ドレスデン爆撃」とは、ドイツ軍の爆撃ではありません。
アメリカ・イギリス連合国軍が「勝敗の帰結は目に見えているのに、ソ連を支援するためという名目だけで」芸術の都であったドレスデンを大規模爆撃し、20,000人以上の民間人を殺害した「連合国軍の戦争犯罪」と言えるものです。
残念ながら、このヘブライ語の記事で、アローニが「メイアがこういっていた」という孫引き発言以外に、英語圏では典拠が見つけられませんでした。(ヘブライ語で検索する技術がないのが残念です)「いつ・どこで」がわからないままメイアの発言を咎めるわけにもいきませんので、メイアの批判をするわけにもいきません。
実際、イギリスの「イスラエル寄り」のメディア「CAMERA」は、このことに噛みつき、「出典がないアローニのメイアの発言を元に、不正確なイスラエルへのイメージをばらまこうとしている」という記事を掲載しているほどです。「メイアが確かにこういった」という事実は現在でも確認できません。
もっとも街頭インタビューなどで、「自分たちは被害者なので何をしても良い」と言ってるイスラエル人もたまに見かけます。歴史的にイスラエル社会に根付いている見方の可能性もありますが…。これはわかりません。
4.七首目
「川から海へ」というスローガンを連呼しただけで、ドイツのベルリンでは、刑事訴追の対象になる、という驚きの発言を目にしたのは、この@SquppingさんのXからでした。
もともとこの「川から海へ」という掛け声は、
「川から海まで、パレスチナは自由になる」
「From river to the sea, Palestine will be free.」
までがひとまとまりの、パレスチナ支持派の人々がデモなどで使う「お決まりのフレーズ」です。ところが、西側諸国はこのフレーズがなぜか大嫌いです。宮野宏樹さんの「アルジャジーラ」の翻訳や、BBCのニュースをご参照ください。
別に反ユダヤ主義的なニュアンスはまったくないと思うのですが、
などなど…。どうも「パレスチナに住む人々の自由」を言うと、「イスラエルをなきものにしようとする願望の現れ」ととらえる西側の人がいて、このフレーズがなぜか「国家によって」弾圧されつつあります。
確かにこのフレーズを作り出したのは、PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長だったりするのですが、そんな極端な憎悪表現(ヘイト)とも思えないのですが…。
冒頭で紹介した、ベルリンでの「from river to the sea」の取り締まりは、世界中からバッシングがありました。
これも「ドイツがどうしてイスラエル寄りなのか」という考察が、水島朝穂さんという憲法学者からなされています。
私の意見を交えて言うと、ドイツは「ナチス・ドイツ」への反省から、国内でナチスのエンブレムや歌で表現するのを「禁止」しています。もともと、戦争を煽る表現を禁止する慣行があるので、公権力が「戦争を煽る」と判断した表現を「禁止しやすい」法的な前例があるのです。そして水島さんが指摘するように、ドイツはかつてユダヤ人を虐殺したという負い目を追っています。
イスラエルに対して最も支援を行っているのは、実は戦後のドイツだという事実があり、それが「先の大戦の反省」からきているのがとても厄介です。「川から海へ」という表現が、ドイツでは表現の自由にあたるのかという議論がなされる事自体、非常に奇異な印象を受けます。
ドイツをはじめ西側諸国が、「ユダヤ人を差別したのを反省」すること自体は悪いことではないです。
しかしそれが「アラブ人になら何をしても良い」という考えに変わり、パレスチナの自由を訴えただけで「反ユダヤ主義」として取り締まるというのは、もはやあらたな人種差別としか言いようがないし、まさに「植民地主義以後」(post-colonial)の新たな人種問題と認定してもいいように思えます。
「アラブの人たちに何をしてもいい」という意識が西側にあるのなら、彼らは「アラブ人の憎悪をかっても仕方がない」と言わざるを得ないです。
5.八首目
さらにいまの「リクード」(イスラエルの民族主義政党)出身のイスラエル首相、ベンヤミン・ネタニヤフは、ときどき危うい発言をします。
こちらの詞書で取り上げた「アマレク発言」は、日本ではyahooニュースでも取り上げられました。
この記事によると、
「ガザに原爆」なんて言葉をつかった閣僚は不謹慎だ、として一時的に閣議に参加させないを処分をした一方、ネタニヤフ自身はこんな事を言っています。
実際出典を確認してみると、イスラエル政府の公式な首相声明で「あきらかに」そう言っていました。
ここには、原文ではこう書いてあります。
これを私の文責でdeepLで翻訳するとこんな感じ。
「私たちの子供たち、妻たち、両親、そして友人たちに対して行った恐ろしい行為に対して、彼らは殺人者たちに報いることを切望している。 私たちの存続のため、さらに付け加えるならば、全人類のために、この悪をこの世から根絶する決意を固めている。すべての国民と国民の指導者たちが彼らを受け入れ、彼らを信じている。アマレクがあなたがたにしたことを思い出しなさい」(申命記25:17)。私たちは思い出し、戦う。」
一応ハマース(ハマス)を悪だと指摘しているのですが、ちょろっと「アマレクがあなたがたにしたことを思い出しなさい」みたいに、ほのめかすように聖書の引用があります。「申命記」は旧約聖書ですが、ユダヤ教では聖典として知られています。
これもおかしな話なのですが、「聖書」は神の言葉なのに、なぜか著作権があって、新共同訳を勝手に使うのは「日本聖書協会」の許諾がいるそうですし、何よりこういう「悪いこと」というか、聖書批判みたいな文脈で著作権がある聖書の訳を使うとあちこちからクレームが来そうなので、既に著作権フリーの聖書の訳をあえて使います。
アマレクびと(アマレク:Amalek)が登場するのはもともと、旧約聖書の第25章「申命記」だそうで、1955年の口語版旧約聖書では、このような記述があります。
これは神がイスラエルの人たちに与えた言葉として記録されていますが…。
なんか過激だなあと思いつつもっと前に「アマレクびと」が登場した記述を調べていくと…。愕然とします。
アマレクを「滅ぼし尽くせ」って書いてあります。このお話では、神は丁寧に「家畜も全部皆殺しにせよ」との「教え」を言うですが、イスラエルの王であったサウルはこの神の教えを理解できず、よさそうな羊や牛はころさずに、さらにはアマレクの王、アガクをいけどりにして、神の前に連れて来る様子が書かれています。ところが神は無情にもこのアガクをずたずたにして殺し、教えが理解できなかったイスラエルの王サウルを許さなかったという記述まであります。
なんかすごいですね…。私には理解できません。もしかして「意訳されてるのか」と思って、英語版の聖書をみても、やはり「destroy amalek」としか書いておらず、まあ、深い解釈にあたると、アマレクびとを皆殺しにするのは実は「ほんとうにイスラエルのためだった」とあり、まあここではあまり踏み込みたくないですが、これをこのまま現代の政治の演説で使うのは、いくらユダヤ教が国教だとしても、「ヤバいんじゃないか」と思います。
例えば、もしこれが「パレスチナ人に対するイスラエル政府の決意」をあらわすものだとしたら、大変危険なもので、現代では「ジェノサイド」に当たると指摘されてもしょうがないのでは…。
実際、南アフリカ共和国は、ジェノサイド条約違反だとしてイスラエルを国際司法裁判所(ICJ)に提訴しました。しかもその証拠にこのネタニヤフの発言を提出することになります。
聖書では、パレスチナの人々は「ペリシテびと」になっており、「アマレクびと」はもはや「どのような人種かを特定するのは難しい」のが現代の聖書解釈だそうです。
歴史書として聖書を見るなら、この「ペリシテびと」は現代にパレスチナ人としてそこに住んでいる人たちの先祖ではありません。すでに古代の民族で、パレスチナ地方を表すことばとして「ペリシテ」が採用された経緯はありますが、今そこに住んでいる「パレスチナの人たち」は、ムスリム(イスラム教徒)であり、アラブ系の人たちです。
西側諸国では「ユダヤ人を私達が迫害した非常に申し訳ない」という思いを抱く一方、だから「イスラエルを作るのは正義で、さらにイスラエルの行動は批判できない」という前提のもとで、結局アラブ人に対する人種差別を生許容しているじゃないか、という批判が出てもしょうがないと思います。
ここにネタニヤフが聖書の問題を持ち込んできて、アメリカの「エヴァンジェリカル(福音派:共和党の支持母体です)」が、「神のおしえでそう書いてあるから、私達はイスラエルを支持します」みたいな「乗っかり」もあって、問題をさらに複雑にしております。
事実いまはバイデンなので民主党ですが、次の選挙でトランプ(または共和党)が勝ったら(彼は熱心なイスラエル支持者で、首都のエルサレムへの移転を世界で初めて承認した大統領です)、パレスチナ問題はさらに深刻になることが予想されます。
終わりに
これで補注は終わりです。なんか長々と色々書いてしまいました。
最近、私は「短歌は韻文なので事実は全て記載出来ないし、短歌で書けないことはしっかり散文で書いたほうがいい」と思うようになりました。
およそ短歌の注とはまったく関係のない歴史の記述のように思いますが、ヨーロッパにはヨーロッパの「罪の意識」があり、アメリカにはアメリカの「事情」があります。
しかし、日本はこんなこと関係ないと言うか、そもそもキリスト教中心の国ではないし、ユダヤ人を虐殺した過去なんてありません。東條英機は「A級戦犯」とか色々言われていますが、ユダヤ人問題に関しては、関東軍参謀だったとき、部下の樋口季一郎の発言に理解を示し、ドイツの抗議を黙殺しました。
樋口はこう主張したとされています。
「ドイツのユダヤ人迫害という国策は、人道上の敵であり、日本満州の両国がこれに協力すれば人倫の道に外れることになります。ヒトラーのお先棒をかついで弱い者いじめをすることを正しいと思われますか」
そして樋口は、ソ連経由で欧州から逃げてくるユダヤ人難民に対して「ヒグチ・ルート」という脱出路を作り、2万人とも言われるユダヤ人難民を、満州へ受け入れる仕組みを整備しました。
(これは独ソ戦がはじまるまで長く機能していたそうです)
歴史的にはイスラエルというかユダヤ人に「それはやっちゃだめでしょ」と言えるのが日本の歴史的なポジションなんです。
ところが日本は今やどうみても「アメリカのポチ」であり、岸田首相はロシアに対して「国際法違反」を主張する一方、イスラエルには「判断する立場にない」というよくわからない表現で、アメリカやヨーロッパのイスラエルへの支持を許容しているとしか思えない。(東京新聞参照)
これは、ロシアからもアラブ世界からも、また第三国からみても、「やっぱ日本ってアメリカのポチだね」とおもわれるほど、情けない態度としか言いようがないです。
世界が足並みが揃わないのは、なんで「ロシアはだめでイスラエルはOKなの」という西側のダブルスタンダードを、ヨーロッパ、アメリカ以外の多くの諸国が、理解出来ないからです。
はっきり、「ロシアもだめなら、イスラエルもだめ」と日本政府は言うべきなのに、アメリカのポチはワンとしか言えない。しかも、ほとんどの国民は眼前の報道ばかり信じて、深く考えず「ガザへの抗議」を素通りするという無関心ぶり。
おそらく、この様子だと、日本国政府は、明治期の国際社会デビュー以来築いてきた「国際法重視」「白人じゃないのになぜか紳士的」「白人以外の多くの国から深い敬意を持たれている」といったイメージや信用を完全に失くすことになるでしょう。
私の中にも屈折があります。「ジェノサイドを阻止せよ」「平和主義」「戦争反対」こういうことを唱えると、なんか旧来の左翼と勘違いされるというか、非常に不本意ながら「ベ平連」とかあの辺の「反戦運動」みたいなイメージとダブるんですよ。
残念ながら、日本の左翼運動は60年安保やその後の全共闘など、現実からずれた妄想で反対運動を行い、完璧に「終わり」ました。左翼は「印象でしか動かない」「ポジショントークしかしない」という見方は、私も持っています。日本人は「反戦運動」というと、「なんとなく左翼」というレッテル貼りをして、無視する傾向にあるんじゃないか。
ただ、こういう事実を黙殺することが「左翼だから」という理由で、無視されるのだとしたら、日本の左翼以外の人たちも相当病んでるな、と思います。
実際、日本の右側のシンクタンクの人も、共通して「イスラエルに関してはOK」みたいな発言をしている人も多いのです。
しかし、問題は右か左か、ではない。
私たちたちは「自分たちが平和であればアメリカが守ってくれる」という
アメリカ中心の戦後秩序のフィルターをとおして世界を見て、今回のガザの虐殺を黙認するのか、
それともそういったフィルターをとって「人道の問題」としてガザ虐殺を批判するのか、それだけです。
反原発とか、平等とか、憲法9条とかはいま、問題ではない。
私たちの「純粋なものの見方」が試されているのだ、とはっきり思います。
ということで、ガザ虐殺に一市民として、一文学者として強く抗議して、この文章を終わります。
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