九十歳。実にめでたい

映画『九十歳。何がめでたい』を観に行きました。

なんといっても、最大の見所は客席。お年を召した方たち(特にご婦人方)が、あちこちでワイワイペチャクチャ楽しそうにしていて、アラフィフの私は完全に場違いな感じに。
いつもの映画館では味わえないような異次元空間。それを味わえただけでも、お得感がありました。笑

予告編が流れている間も、あちこちからピーチクパーチクおしゃべりが聞こえていて、上映中は静かになるのかしら…と心配していたら、あら不思議。場内が完全に真っ暗になり、いざ本編が始まると、ちゃんと皆様おとなしくなりました。

映画の感想は、飽きずに楽しめた😊という感じでしょうか。

作家の佐藤愛子と、佐藤愛子の担当をする編集者。この二人が軸となってストーリーが展開するのですが、編集者さんが、「嫌われもの」という設定なんです。
この設定がすごくよかった。

昭和の価値観を引きずる編集者は、情熱がカラ回りするタイプ。勤めている出版社では、部下からパワハラで訴えられ、部署を追い出され、新しい部署でも疎まれる。家に帰れば、亭主関白ぶりに愛想を尽かした妻から離婚届を突きつけられ、頼みの綱の娘からも「お母さんを泣かせた悪人」扱いされる。

要は、八方塞がり。味方ゼロ、という状態に追い込まれるんです。

そんな編集者さんは、「もう年だから」と原稿を書きたがらない佐藤愛子に対しても、うざがらみを続けます。「先生、書いてください」と、昭和くさく、ひたすら情熱だけで、先生を説得し続けます。その結果、佐藤愛子にも嫌われるのですが、もはや失うものは何もない彼は、とにかくあきらめない。嫌われようがなんだろうが、おかまいなし。

この編集者が「書いてください」と佐藤愛子をどんくさく説得し続け、ついに佐藤愛子が根負けして筆をとることになるのですが、映画のラストシーンの授賞式では佐藤愛子が、「書いてよかった」とみたいなことを言って、編集者の方を見ながら微笑みます。ちょっとうろ覚えですが、そんな感じのラストシーンでした。

編集者は、周りから嫌われても、自分の性格を変えようとしなかった。そのせいで孤独を味わう羽目にはなったけれども、でも、情熱がカラ回りする性格を捨てなかったからこそ、佐藤愛子を動かすことができたんだと思います。

もしこの編集者が、「昭和の価値観を捨てて、スマートに生きるぜ」なんて丸くなってしまったら、誇らしいラストシーン(授賞式)にはたどり着けなかったはず。

どんなに損をしても自分の性格を変えない。

佐藤愛子と編集者はこの点が実に共通していて、この映画はそんな「自分を変えられない人々」への応援歌のように私には思えました。

佐藤愛子も、自分の性格ゆえに損をすることがたくさんあった半生らしいのですが、そんな半生を反省しているようで反省していない明るさがあり、そこが人気の秘密なのではないのかしら。

そんな生き方に対して、私は、「九十歳。実にめでたい」と言いたい気持ちです。

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