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ぐるぐる巻きの愛 エッセイ#19

「ぐるぐる巻きになってるー!笑」

と、夫が笑っている。

なにやら見てみると…

日本に帰国したとき、父がお土産に持してくれたウィスキーが、

頑丈な箱の中から、プチプチでさらにぐるぐる巻きにされて登場したのが、面白かったようだ。

ぐるぐる巻きのウィスキーのルックスはかなり面白くて、笑いが込み上げる一方で、愛を感じてしんみりもした。

日本に帰国して、しばらく実家に滞在していたとき、父が愛飲しているイチローズモルトのウィスキーを、夫も気に入った。

その姿を見て、父がお土産に同じウィスキーを持たせてくれたのだ。

その時の父の言葉がよみがえる。

「酒屋の親父に、アメリカに持っていくから、しっかり包装してくれって頼んでおいたから。

そしたら、しっかりやってくれたみたいで、

酒屋の親父も、これなら海を渡っても大丈夫だ!って自信げに言っていたよ。」

アメリカに戻っても、お気に入りの日本のウィスキーを飲めるように、気を利かせてくれた父の愛情と、

海を渡っても大丈夫なように!としっかり包装してくれた親父さんの愛情。

二人の愛情が、ウィスキーの箱にしっかり収まったいた。

遠く離れたアメリカの地で、残り香のように感じる愛情のカタチ。

こういう愛情って、「日本っぽい」と私は思う。

海外に住んでいると、いろんな「日本っぽい愛情」に気づく。

たとえば、日本の商品のパッケージ。

お菓子の紙製の箱とか、調味料の中蓋とか、日本の製品は本当に開けやすくできている。

自分の商品を買ってくれたその先で、見えないところで、お客さんがどのような体験をするのか?に、思いが馳せられているのを感じる。きめ細やかに。

日本の製品の、ちょっとしたユーザビリティの高さは素晴らしいと思う。

日本は、便座も温かいし。
(海外だと、高級ホテルでも便座が温かいところはあまりない)

「当たり前」の反対は、「有難い」とよく言うけれど、

アメリカに住むことで、日本での「当たり前」が、当たり前じゃなかったことに気付かされる瞬間がたくさんある。

つまり、日本での「当たり前」が「有難い」ことだったと知る瞬間。

自分の「当たり前」という思い込みが崩れていって、

目に映る景色の中に、「有難い」がどんどんと増えていくこと。

これは、自分が今までいた世界を飛び出して、

海外移住という経験をして良かったなと思えることの一つだ。

海の向こうへ無事に辿り着いた、ぐるぐる巻きのウィスキーを眺めながら、しみじみと感じた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます♡