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#43 日の名残り



記憶が溶ける。
それもほんと不意に。

現実世界にいたはずが、いるはずのはずが、
まったく違うところへ。

ただの空想癖だと思っていた。

この不思議な感覚、現象が、
村上龍さん著「空港にて」での一遍、
『披露宴会場にて』で描かれ、同じ感覚を味わっている人がいたことに嬉しくなっていたし、現実と追憶との境目の繋ぎ合わせがまるっきり同じもので、わかるわかる!そうそうこの感じ!とジタバタ嬉しくなっていた。

いつ読んだのかその記憶はおぼろげだけれども、
読んだ際のあの嬉しさは今でもはっきりくっきりと覚えている。

最近も記憶が溶けて、時間の経過感覚をなくすことが。
おまけに夢でのことを引きずっていると、
疲れの度合いが増す夕方には、記憶と夢と現実が混ざり合い境目があやふやになって現実への着地に手こずるなんてことが。

溶け出す記憶はいつだって、
後悔のような、自分の不甲斐なさを露呈している場面。
あともう少し、勇気があったら。
あともう少し、自分にやさしくしていたら。
あともう少し、言葉を持ち寄れていたら。
そんな悔恨の思いが込み上げたりする。




静かな時間を求めて。
美しいものにくるまれたくて。
ぬくもり、優しさを探して。
穏やかで安心する言葉たちに身をゆだねたくて。

そんな気持ちで一冊の本を手にする。
ゆっくり読む。浸る。そして潤される。

" 過ぎ去りし思い出は、輝きを増して胸のなかで生き続ける "

" 二度とは戻らぬ日々への追憶、思慕、
そして悔恨 "


綺麗なものに触れたかったの。
心の平穏さを取り戻したかったの。
自分の中にあるものをどうにか浄化したくて、
カズオ・イシグロさんの『日の名残り』を再読。

そして、読み終えて思う。

あーーー、好みだなあと。
この読後感、込み上げる感情。
時間も忘れて浸れる余韻がただただ心地良い。


主人公スティーブンスへの思いが募る。

どこまでもひたむきに真面目に
あるべき執事の姿、品格を追い求め

仕事に誇りを持ち、
仕事に全てを捧げ、
仕事こそすべてだったスティーブンス。

人生における様々な出来事、
親の最期を看取ることも、
恋心でさえも抑えて封印する姿はあまりに切なく、もどかしい。

人生の夕暮れにさしかかった時、
過ぎ去りし日々を振り返っては、
これまで押し殺していた自分の思いや感情、誤りに気付き、もしかしたらあったかもしれないもう一つの人生の存在に、あともどりさせられない時間に、心が張り裂ける痛みを味わう。

ハイライトはいくつもあるが、なんと言っても
夕方の桟橋でのシーンだ。
様々なものが込み上げ涙を流す場面が印象的であり、美しい。

ここでも、" 涙 " や " 頬をつたう " " 瞼から "といったような描写がない。
(スティーブンスは過去でもそうだが、自分の涙は表現としてもあらわさないし、だれかの言葉によっても決して認めまい、なの。ここがまたスティーブンスの性格、品格たるものをあらわしてるのよね)
桟橋で出会った陽気な男性が差し出すハンカチ一枚。ここが良い。
これだけで、十分すぎるから。

これまでのスティーブンスの回想、
今に至るまでの心境、記憶の断片を繋ぎ合わせながらたどり着いた事実、見えた景色から十分すぎるほど気持ちが伝わり、同じタイミングで熱いものが込み上げ滲んでくるのだから。

人生を見つめ直した時に、
心から信じてきたものの揺らぎが自分自身への空虚さに繋がり、さらには目を伏せていた、押し殺していた感情が引き裂いてしまった、気づくには遅すぎた恋心。
時間を経てあまりにもさまざまな感情が押し寄せるスティーブンスに感情移入しないでいられなかった。

追いかける記憶。
掴み損ねてしまったもの。
かつての栄光。
いつまでも続くと思っていた時間。

そんなもう戻ってはこない確かなもの、あまりにもかなしい後悔に一緒になって心は引き裂かれる。

それだけではないの。

ミス・ケントンと再会を果たした翌日、五日目が描かれないところにも、これまた胸が締めつけられるものがあって。。

五日目だけが空白なの。何も描かれず、触れられもしないの。スティーブンスの胸の中にしかないものなの。

一体どれほどの後悔の波が押し寄せてきていたのだろう。
空白こそ最大の悲痛な叫びでもあり、偉大なる執事としての品格を貫く場面でもある、そこにひたすら胸が打たれていた。

偉大な執事は、紳士がスーツを着るように執事職を身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるような真似は、たとえごろつき相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にいたしません。それを脱ぐのは、みずから脱ごうと思ったとき以外にはなく、それは自分が完全に一人だけのときにかぎられます。
まさに「品格」の問題なのです。


そして、
ようやく会えたミス・ケントンと過ごした時間、交わした言葉。

バス停での降りつづく雨は
ふたりの心情を表しているかのようだった。
特にスティーブンスが流せない堪える涙を
代わりに流してくれているかのような、そんな心打たれるシーンであった。

ここでも感情と理性のせめぎ合いで、
内に秘めたるものを必死に抑え込みながらも
自分とミス・ケントンの本心に近づこうとする
スティーブンスなりの精一杯の歩み。
それに応えるミス・ケントン。

ミス・ケントンの涙には、遠回しで不器用な愛情表現に触れようやく確かめられたもの、そして時間の経過という代償に堪えきれないものがあったと思う。

かつて、扉越しで涙しているミス・ケントンから逃げてしまっていたスティーブンスが、ここでは視線を合わせて涙を受け止め、しあわせを願う言葉が生まれたことに切なさもありながらあたたかな気持ちにもなれた。


報われないことも、
誤解を恐れず言ってしまえば
いいように使われ、やる気の消失から価値を生み出せない見出せなくなることも、
根底にある思いをうまく伝えられず間違った解釈のまま裏腹な状況に陥ることも、
誤ちに気づくことも、
信じているものに裏切られてしまうことも、
ぜんぶぜんぶ人生の中で起こりうること。

それが何かを犠牲にして献身的に時間を費やしたものであっても。

そんな人生における苦味も無味も味わったことがある人には、スティーヴンスの言葉がこれほど沁みるものはないと思う。

私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう。



そして、忘れてなどいない
桟橋で出会った男性からの言葉。

「後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。何だって? 昔ほどうまく仕事ができない? みんな同じさ。いつかは休むときが来るんだよ。わしを見てごらん。隠退してから、楽しくて仕方がない。そりゃ、あんたもわしも、必ずしももう若いとは言えんが、それでも前を向きつづけなくちゃいかん」

「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。」

こんな素敵な言葉から、
終わりのないたらればとの向き合い方、
人生における夕暮れ時との向き合い方をしっかり教わる。

そして、自らの仕事への誇りを失わず、
品格を失わずに前を向くラストに胸をつかまれる。静かな感動が待っている。

ダーリントン卿に仕えていたことを話せるようになり、また新しい主人を喜ばそうと前を向く姿に、やわらかなあたたかい希望が感じられた。


野暮なことを言ってしまうかもしれないけれど。
いつか、服や鎧を脱ぐことは叶わなくても
せめてもカジュアルな服装になれて
会議といった形式をとらず、
恋心を隠さず、
リラックスして一緒にココアを飲む時間、
好きな本について語れる時間、
健気に真摯に仕えてきた英国執事にゴールデンアワーのような、そんなまばゆい時間が訪れてほしいと願った。



カズオ・イシグロさんが魅せる筆致の品格、
訳者の土屋政雄さんが表現された品格の佇まい、口調そのものにうっとりする。

夕暮れ時の沁み入る美しさを教えてもらえるのが本作。

わたしは静かで美しい、
落ち着いた時間がゆっくりと流れる小説に浸る時間が好きである。
改めてそう思わせてくれたのが、カズオ・イシグロさんでした。










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