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酒とビンボーの日々 ⑨ボクの若いビンボー

前のレビューで今の若い者たちとのやりとりを書いたので、
今回は僕の若い頃の話をしようと思う。
テクニックもなく、どうすればよいか分からなかった営業時代の話だ。

そもそも論として、若い人たちにこういう自分が若い頃にやっていたことを話すのは現代社会ではタブーである。
そういう身にならない話と言うのは若い者からすればコスパが悪く、アナクロニズムに過ぎないのである。

ただ、人生の先達として言うならば、
そういった先達の話を訊かないというのは自分たちが生きていくことのなかにある「豊かな経験や感動」を一切拒否するということと同じことである。

たしかに僕の若い頃にはパソコンやスマホなど影も形もなかった。
そういうテクノロジーが出てきて視覚化・数値化されたデータが非常に重要視されるようになったりして、その背景と言うものに光が当てられなくなった。

そんな先達の経験則や感情とか、
視覚化・数値化できないものに何の意味があるのか?
そんな考え方をしてしまったら、
哲学や文学はこの世から必要がなくなってしまう。
実際にそんな動きで政治が教育に介入しようとしているのはよく言われていることでもある。

僕はそういう世界に正直うんざりしている。
そんな世界は絶望でしかない。


僕自身の営業一年生の頃の話をする。
臆して何もできなかった一年生時代。

どちらかというと文学青年を気取った似非文学戯作者だった。
そういう小難しい話をちょくちょくして女の子をだまくら化すような卑劣漢だった(笑)

だけど、その時代の僕だって営業で断られるという経験をしたことがなかったので人生経験において本当のハードルが僕の目の前に立ちふさがったのだ。

その頃の会社は販促費などのお金も使えずにいたので、
知恵を絞って考えていくしかなかった。
だって営業販促したいので販促グッズを作ってもいいか、もちろん、デザイナーを使ってやりたいのだが、というと常に却下された。
そんなものを使って営業するくらいなら、営業なんかやめちまえ、くらいのことは言われていたと思う。そんなもん、意味なし!と。
(今、考えたらパワハラだよなぁ~)
その頃の営業部長が営業取締役をやっているのだが、今の若い奴にそんなことを言ったためしはない。これはそのころのことを知っている人間が訊いたら驚きあきれるだろう。まあ、僕も同僚も知っているけど。

だから販促費をかけられないんだから、本当にいろんなことをやったな。

色んな人に出会い、世の中の厳しさと温かさを知った。
なかでも、師弟の温かさを知ったこの件は僕の中でもベスト1位に入る。
今日はそんな話をしよう(笑)

当時、日本一の乗降者数を誇る、「新宿」の担当だった僕は
まだ30代の前半で活きのいい小僧だった。
しょっちゅう同業他社と喧嘩していて、
その界隈では絶対的な優位を誇っていた。

その頃の話だ。

別に自慢をするわけではないが、
ポンコ君がやりたいというならここの場所を君の裁量で任せてもいいと
一番店の一等地を無償で提供してくれた、そういう人がいたのである。
その担当者はIさんといい、
ヤクザみたいな外見で本当にヤクザと喧嘩していて
新宿の街ではちょっとした夜の有名人(?)だった。
僕らの業界ではIさんが仲良くしている若手営業は僕だけだったようだ。
Iさんは本当にいろいろな企画や相談に乗ってくれた。

その人に取り入るのに僕を通して何かしてもらおうとする人が
よくコンタクトをとってきたっけ。
僕にはそんな力はないと断り続けていた。
本当にIさんとはよく飲みに行ったし、ガラガラ声で歌う北島三郎は天下一品だった!
(特にサブちゃんの「祭り」は怖かったなぁ…パンチパーマだったし 笑)

そんなIさんの定年が差し掛かっていたところに新入社員のKさんが入ってきた。
Kさんはすごくまじめで仕事ができる、
しかもマメな人だったので上司や部下に慕われ、
後々その会社では出世することになるのだが、それはまた後のお話し。。

そのKさんに僕の会社の商品を担当させたのだ。
僕が色々提案してKさんが臆しているときに、
Iさんがガラガラ声で
「お前がいいと思うものをやってみろ、
    ポンコのところは質がいいんだから」
と言ったのはうれしかったな。

それでその商品はそのお店でベストを出し、売れに売れた。
その後、Kさんと二人三脚で色んなことをやってみたな。

それから一年くらい後にそのIさんから呼び出しを食らった。
なんだろう?何かやらかしたかな?そんなことをデロデロと考えていたが、
新宿のスナックみたいなところで待ち合わせていたら、
「おう、ポンコきたか」と言われて右手人差し指でちょいちょいと呼ばれ、
「君にな、相談があるんだ」という。
「何ですか?藪から棒に」というと「実はな、Kのことだよ」と。
「Kさんと何かあったんですか?」
「いや、そうじゃねえんだよ」
「では、なにか?」
「実はな…
  あいつのことを見てやってほしいんだ、俺は老い先みじけえからさ
「なに言ってるんすか(笑)」
「そんな格好悪いことできねえよ」
「そんなこと仰らずにですね…」
「いや、あいつ可愛いんだよ、俺の若けえ頃みたいでよ、
  爺が何言ってやがんだよなぁ、ポンコ(笑)」
「なら、アンタがいやあ、いいんだ!」と僕は泣いてしまった。
「アンタがKをそんなに可愛いって思うなら、なおさらですよ!」
「まあ、そういうなよ、俺も感情的になっちまうじゃねえか」とIさんも泣いた。
その夜のことは覚えている。かなり痛飲したな。

そのことを10年後くらいにKさんに話した。
Kさんはその後、瞬く間に出世して北千住の店舗を見てから渋谷の店長に抜擢された。最年少店長就任記録を達成したっけ。

Kさんその話をすると席を外したまま、しばらくトイレから出てこなかった。
かなり経ってから泣きはらした目で現れて、
「ポンコさん、その話はもう禁止ですよ(笑)」と言われた。

「僕だってやっと、胸のつかえがとれたんですよ、
         これはいつか話さないといけないなって」

「そう、今年もう完全に嘱託社員からも足を洗ってお辞めになるんです」
「そんなことを考えておられたなんて、それだけで胸いっぱいです」


こういう話は分かる人にしか話さない。
話すと「ダメだぁ」と言って泣く人がほとんどなんだけど、
話し終えた僕も目を真っ赤にして泣きはらしてしまう。

仕事は人間がやる限り、人間臭くなるものだ。
この人間臭さが通用しなくなったら、僕なんか用済みなんだよね。

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