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#社会起業家
気づきの支援日誌7/3
今日、こちらの事情で一時的に共感的理解の形成に支障をきたした。
ご利用いただいている方にご負担をかけたかもしれず、反省…
暑さには強い方だと思っていたけれど、身体の自律神経系はわずかな異常を検知して、なんとかしようと他者理解より問題解決が優先されるよう、脳のネットワークに少し制限がかかったのだろう。
すぐに気づいて、リモート中にご利用されてる方に断りを入れてから冷房を強めた。
それで、いつも通り
気づきの支援日誌7/2
ここ数年、自分自身の死生観について考えることも増えた。
「会者定離」という言葉だったか? 出会った人とは、いつか必ず別れることになるという言葉があったような…
社会通念的な死生観というか、他者と共通見解を持つための理解というより、自分自身が他者とのさまざまな関わりを通して、自分用の理解として持っている死生観の方。
これは、他者が代わりに把握してくれるような代物ではないから、自分で把握するほかな
気づきの支援日誌6/30
「AをすればBになる」という方法論というか、機械論と呼ばれている考え方って、人間みたいに、それぞれの個体が様々な意味づけを独自にして、物事を複雑に認知して生理的反応を多様に表す存在には向かない。
「Aをすることで、一瞬Bになったけど、それを上回るCとDの特徴が出る」とかもありそうだし、そのCとDの特徴は本人にとって望まないものだったということも、当然考えうることだろう。
たとえば、ランニングを
気づきの支援日誌6/29
偽りのない関わりをすればするほど、自分がこれまで関係してきた人たちや社会との間で培ってきた「当たり前」というか概念パターンに向き合うことになる。
社会生活をおくるうえで役立つものとして、自分が使ってきたものでもあるから、矛盾があれば自己矛盾として感じられるものでもある。
だから、避けたくなるのは当然かもしれない。
そこも含めて、認めることでたくさんのパターンと向き合って、より納得のいくパターンを
気づきの支援日誌6/28
世の中にある接客の研修で教育されるようなサービス接遇的な対応は悪くはないけれど、セッションでは決まった型や流れがあると、実際にそぐわないことで発展性に欠けるし、余計な混乱を招く。あまり縛られないようにしたい。
ここがセッションの独特なところだなといつも思う。
"社会通念として、こういう場面では、こう振る舞う“というのが、交流の中で違和感となるシーンもよくあった。
その方との交流だからこそ作られ
気づきの支援日誌6/27
よくないと思える状況であっても、知り得なかった要素がいくつか表面化してくると、確かにあやうい側面がありながらも、大きな変化のプロセスにあったのだと思い知らされることも多々ある。
しかも、その良い変化はあやうい側面をもカバーし得る特徴を持っていたりする。
定説はあくまで副次的な産物として脇に置き、実際であり現実であるクライエントのまだ見ぬ可能性にオープンでいよう。それに、この姿勢は結構居心地が良
気づきの支援日誌6/26
セッションをご利用くださる方々が表現される事柄について「自分がどのような内容として受け取ったのかに意識を向け、そこに感情移入して言語化していく」という一連のプロセスの質を、もう少し高めていきたい。
普段、さまざまな事柄に触れて何かを認識しているのだから、それを活用して"何をどのように捉えたのか?"について、ノートに書き出して言語化していこう。
気づきの支援日誌6/25
時代の流れによって、言葉の社会的な意味が更新されるように、セッションでもご利用される方の言葉の個人的な意味が更新されている。
日々、その変化の中に関わりを持たせていただいているということに、今日ふと気づいた。
同じ言葉でも意味が増えたり新しくなるのは"今ここ"で体験している感覚をより正確に表現する目的で、「言葉の使い方」の方が変化していくからなのかもしれない。
気づきの支援日誌6/23
同じご利用者さんであっても、同じセッション内容になることはない。これは「今回のことを参考に次回はこう接しよう」という前の事象にもとづいて工夫しようとしても、その工夫は「今ここの瞬間」で絶えず形成されるセッションの流れの中では異物感が出るだけで、うまく進展しない。
その時その時の相互作用によって発展プロセスに身をゆだね、関係性の当事者・参加者として自身の変化ややりとりの変化を観察しながら、対話に役