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投じるように一日を送れば

よく眠るためには、よい満足感が必要。

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再来週あたりから、仕事が本格的に忙しくなる。今はその準備期間にあたるタイミングで、やらねばならないことはあれど期限は少し先…という状態である。先月は別の案件で忙殺されていた反動もあり、ここ最近の私は少し気が緩んでいる。

こんな日があってもいいか、と根詰めずに仕事をした数日間を経て、段々気持ちが悪くなってきた。怠惰にしか過ごせなくなりそうな予感がした上に、余計な不安を抱える隙間が生まれてどんどんネガティブになった。負荷や制約があろうと、心血注いで踏ん張れる時間がないと、結局心は枯渇する。私は対象が何であれ全力投球する時間が好きなのだ。

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先日久しぶりに職場で飲み会があった。元気で思いやりのある面白い人たちで終始涙を流して笑ったけれど、一方で、なんとなく気持ちがついていかない感覚があった。楽しいけれど、削られている。「私の大切にしたいことは、この人たちにとってはどうでもいいことかもしれないな」なんてふとした会話の中で思ってしまったりする。内側をよぎる違和感を無視するようにして私も声を張る。そうして解散後の電車で無性に泣きたい気持ちになる。皆さんのことは大好きだ、けれどここは一番居たい場所ではない。寝不足気味の上のほろ酔いだったけれど、傷つきやすい自身の生きづらさに想いを馳せてしまい上手く眠れなかった。

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そんな日々を過ごした後で、他のことを考える余白がゼロの忙しい日があった。朝から晩までとにかく今自分にできることを考えて動いての繰り返しをして、夜ベッドに潜り込んだと同時に瞼がくっついた。とりわけ長く眠ったわけではなかったけれど、あんなに気持ちよく目が覚めたのは久しぶりだった。身体も使った一日だったので単純に疲れたのもあるけれど、その日のすべてに満足をしていた。制約やプレッシャーが常にマイナスの働きをするわけではないのだとこういうときに実感する。低出力の日も時々必要だけれど、打ち勝とうとしてすべてを出し尽くすような日があってこそなのだ。

心地よいメリハリが戻ってきた、明日からまた自分らしくあれる気がする。
今日もきっと、気持ちよく眠ることができる。

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