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どこまでも遠くへ行けたらいいのに

12月。秋は終わり、空気の澄み方が変わる。
大きく息を吸い込むと、肺の中まで冷たくなる。この時期の散歩は気持ちがいい。耳と鼻先がつんとして、自然と早足になる。コートのポケットに突っ込んだ手は中途半端な温度なのに、動いているうちに身体は薄ら火照る。温冷まぜこぜのまま歩く。冬の心地よさ。

何度も書いてしまうけれど、年の瀬が本当に苦手だ。「閉じていく、終えていく」季節に感じる不安。あとは家族の時間が持つ閉塞感。ひとりで過ごす選択ができず結局いつも実家に帰るけれど、歪みを抱えたままの母との関係性に時折息ができなくなる。家族そのものを嫌っているわけでない。それでもひとつの家の中で長く一緒に生活すると考えるだけで涙が込み上げてしまう。

不穏さを紛れさせたくて、外を歩く。雨の予報は逸れて、空に霞んだ青がとても綺麗な昼だった。

私は自分を変えられない。母もきっと変わらない。ならば距離を取るしかない、それがいちばんいいとわかっているのに、実行するのはどうしてこんなに難しいんだろう。優しくしたり優しくされたり、蔑ろにされたり蔑ろにしたり。わだかまりのない親子になることを、私はとうの昔に諦めた。そのつもりでいるけれど、執着を捨てられない自分に気がついている。

風に当たって前髪がはねて揺れる。目は乾いたり潤ったりを繰り返す。胸が詰まってしまって、足はさらに家路から遠のいてゆく。

こんなことばかりを延々とやっている。いい加減、違う景色が見たいのに。自分から近づいては弾ける、粉々になった何かを手のひらで集める、新しい形を作ろうとしたはずがまた元の姿を求めてしまう。正解なんてない、でも今が良くないことはちゃんと知っている。わからない、どうしたらいいのかわからないの。冬の散歩は好きだ、家族は好きだ、母も好きだ、そして嫌いだ。

かなしみと心地よさが完全に分けられないまま、正面からの風に吹かれる。師走を迎えたばかり、すでにこの冬の自分の扱い方に眩暈を覚えている。


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