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変身

仕事の中身が70°くらい変化した少しあと、感染症が猛威をふるい始めた。時間の使い方が急激に変わり、一体これからどんな自分として生きていきたいのかを半ば強制的に問い直す日々があった。あの頃私の感受性は炭酸のようにほとばしる何かを受け止め続け、いろんな記憶が蘇ったり、えもいわれぬ期待と不安とで揉みくちゃになったりした。私だけじゃないだろう、あの年は間違いなくリセットボタンがあらゆるところで押されていた。

蓋されていた好奇心が急に放たれて、私は思いままに行動を起こした。新しいものに飛びつくことも知らない人たちのもとへ飛び込むことも、圧倒的なわくわくの力がトリガーになって実行できた。次第にディープな極地へと近づき、思いもよらぬ苦しい日々もあったけれど、とはいえ「ニューライフを自ら迎えに行く」という意味では計算内だったとも言える。かすかにでも触れた万物のおかげには違いないけれど、変化し続けた数年間だった。20代前半の私と比べると、随分と逞しくなったに違いない。

そうして、そのまま走り続けるものとばかり思っていた。だがはっきりとわかる、終焉を迎えた。波濤の毎日は過ぎたらしい。それでいいと思っている私がいる。体力やモチベーションの問題ではないのだと思う。変化の先に、もう一つ違う自分がいた。これまでの道のりで育てた価値観を大事に胸に抱きながら、「私自身をしあわせにしていく」ことを選ぼうとしている。今までもずっとそうだったに違いないのだけれど、「誰かのことを想いながら、結果として私も満たされる」という描き方だった。想うこともまなざすこともやめないけれど、自分の心がより潤うことを優先したいと思っている。

一緒にいると心身の体温が上がるような人とふたりきりでいたり、時間にとらわれずに望むまま部屋で過ごしたり、「やらなきゃいけない」を放置することで生まれるゆとりを味わったり。暖炉の火のようなぬくもりに、いま心の目が向いている。そんな願いにせっかく気がついたのだから、無視せず大切にすることにしたのだ。

逞しくなったからこそ、簡単にほつれるか弱さを隠さない。今度はそういう自分で生きてみようと思う。愛すべき、と思えるパーソナリティが見えてくるかもしれない。今は2023年の秋。多層的で味わいのある内側を育てるために、地を耕すには良い時期かもしれない。


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