現代女性の基礎知識主催(エルドラド)

働き人、ステップファミリー、神旦那などと言われることも、傍若無人、と見せかけて…。

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最近の記事

美味しいにこしたことはないでしょ。

あと、どんなに生きても3、40年。 1年365日✖️3食✖️30年=32850回の食事の機会がある。 しかない。とも言える。 そう考えるとせっかくだから美味しいに越したことないでしょ。って 思うわけです。 なんなら人類は長らく飢えとの戦いをしてきたわけで、そういう意味では少しぐらい食事抜くぐらいの方が適している。健康的。ファンダメンタル。 と言えるわけで、腹八分に医者いらずなどというわけだし、 質素に慎ましくしつつ食べる時は美味しいものを少しづつ。 出来れば旬のものを。

    • もやは、戦後ではない。

      というのは1956年の経済白書で宣言されたフレーズで有名です。 太平洋戦争の後、焼け野原からみるみるうちに回復して戦前の経済規模を上回ったタイミングでの発言だったわけでさぁね。 それから20年余り高度経済成長ということで、日本はどんどん発展、躍進を遂げて世界指折りの経済力を持つ先進国となりました。 何か誇らしいというか面映いというか、それは素晴らしいことだった。 良い時代だったと言えるのかもしれません。 細かいことを言い出すと中々の分量になってしまうので、各々のディテー

      • やんごとない時間

        普通に生活してて、皇室のやんごとなき方々と何か直接的に関わる事など中々無い。 ことあるごとに皇居に行ったり行事ごとにアグレッシブに対峙すれば別かもしれないが、通常そうそうチャンスは無いし、なんとしても生きてるうちに一度くらいは…と意気込んでいる人も、正直自分の周りにはいないかなと。 実はもうかれこれ十数年前に、 とあるイベントのプロデューサーを仰せつかっていたことがあり、その催しには、皇室の女性達が臨席賜わることとなっていたのだ。 皇后さま、雅子さま、紀子さま、華子さまが

        • 短編小説のような人生

          濃ゆい人生歩んでいることは間違いない。 しかしながらなんというか繋がってないというか… 第一章〇〇編が終わると、 何やら全然違うテーマの世界で生きている感じが強い。 連続性に欠けるのよ。我ながらこれで良いのか?と今更ながら思うことも多い。 自伝でも書けば、なにか通底するテーマみたいなものが見えるのかもしれないが、ざっと振り返ると同じ監督がとった作品とは思えない仕上がりだ。 田舎から都会へ舞台がどんどん変わるし、学生時代は天才、神童かっていうところからドロップアウトクズ

          スマトラセンチメンタル

          そういえば先日、 といっても一月位前かな? 神保町の共栄堂に例のスマトラカレーを食しに行った。 かれこれずいぶん久しぶりだったけど店構えも何もかも変わらず… いやちょっと待てーい。と お水を高ーいところから注ぐ姿が優雅だった、確か中で厨房仕切っている大将の弟さんだったか… いないじゃないの。 なんだかなぁー…一介のカレー屋にしてまるでホテルマンのような身のこなしでホールを仕切り、杉下右京ばりのポット捌きで水のおかわりを注いでいたあの姿が無いじゃないの! と、衝撃を受

          うちの嫁はファスティングの先生

          まぁ、色々と肩書きの多い家人なわけだけどその中でもファスティングマイスターという資格的なものを持っていて、尚且つタイトル的には住んでるエリアの支部長ってやつになっている。 おまけに2018年度のファスティングフォーラムでグランプリを受賞したりもしている。 要するに断食のプロだったりする。 そうするとだね、色々と一般家庭とは違うアレコレというのが起こる。 まずもって、当たり前なのだけど、 定期的に嫁がご飯を食べなくなります。 それから食事の質にこだわるようになります。

          うちの嫁はファスティングの先生

          安芸高田市新喜劇

          動画ご覧になった方も多いと思うが、安芸高田の石丸市長と16人の議員のやり取りがちょっと度を越して面白い事になっている。 詳しくは動画をご覧下さいということなのだが、僕らの国のまつりごとがいかにして行われていて、 如何なる問題を抱えているか。 まるで教材の如く。 いや、何かカリカチュアした4コマ漫画か寸劇のように現代日本が詰まっている地方議会の風景。 地方行政とか言われても興味ない人は橋田壽賀子脚本の連ドラでも見るつもりで少しだけ齧ってみるといい。 理想を掲げ、頑張ろうと

          馬力のある人

          と言われたい。 エネルギーに溢れた人でも良い。 ま、だいたい同じか。 太陽のような人、或いは会うと元気になるとか… そういう類の人は一定数いて、実際にお会いするとなんというか得した気分になる。 逆に何か吸い取られる感のある人、どんよりした空気の人、 愚痴っぽい人、そんなんはなったらいけないと常々思っています。 思ってるだけではいけないので、 人と会う時は出来るだけ出力高めて、尚且つ口角上げてニコニコ、パワーモリモリとなるよう、あるいは快、不快のうちの快の感情を持ってもら

          勝ち筋は割とみんな

          物事うまくいかないな。 時に人間関係、 時に事業、 どうすればうまく行くか。 お困りの皆さん実は勝ち筋を知っている場合が非常に多い。 「こうすれば良くなるのはわかっている」という御仁はホント多い。 しかし、家庭が、お金が、体調が、死んだ親父の遺言が、頭が痛い、尻が痒いとそれはもう様々な言い訳のオンパレードで勝ち筋を進まない。 わかっちゃいるのに…ってやつ。 つまりは勝ち筋を進むことがストレスだということなんだと思う。 乱暴に言うと「めんどくさい」「気が進まない」って

          フェアネスを胸に

          迷った時の指標は公平性だったりするのは、やっぱり天秤座故の特徴なんでしょうかね。 自分なりのルールや決め事を心の中に決め事として誰でも持っているのだと思うのだけど、比較的それに対して真摯に向き合っていて、それでいてフェアネスに拘ってると自覚している。 誰もが誰かの大切な人で、そういう意味で人に優劣など簡単につけられないと思うと同時に、頑張ってるやつは報われてほしいと思うし、テキトーなやつはそれなりで良いんじゃ無いかとも思う。 それが自分の中でのフェアネスであって…ある時

          濃いめで

          片親、親との同居経験無し、私生児、寒村出身、グレた、乱れた生活、家庭崩壊、二重生活、不倫裁判敗訴、有責配偶者、起業、倒産、極貧生活、生活保護、裁判まみれ、自分の父親を訴える、裁判所からの立ち退き命令、財産差押え… 自分のちょっとしたネガティブなトピックの一部をひと言でまとめて並べてみるとこんな感じになる。 良くぞ靴を揃えたり、梁にロープかけたりしなかったもんだと思う。 もちろん今日現在は屋根のある家で暮らせているし、仕事もできているので、何ら不自由はないってほどでもない

          愛してるって最近

          最近も何も、欧米家庭並みにウチでは飛び交うやりとり。 つーか、こちとら昭和男子でバチバチの大和男なわけで以前はそんなこと口にしたら安くなるわーってなもんだったのは事実。 しかし環境、そして習慣というのは強いモノで…家人が二言目にはどころか一言目には「ねぇ愛してる?」ってなもんだからすぐに習慣化が出来てしまった。 愛を伝える。 しかも言葉にして、というのはもちろん照れくさいし、なんなら抵抗感も未だにあるかもしれない。 でも、その抵抗感の正体ってなんだろう?って考えると実は

          夜に書いたラブレター

          集中すれば良いものが出来るのか? シーンとした真夜中にギンギンに冴えた状態で書いたラブレターは大概の場合翌日の普通のテンションの時に見るとちょっと直視できないぐらいに恥ずかしい。 そんな経験誰しもあると思う。 ラブレターに限らず、企画書だろうがなんだろうが書いている時の自身のテンションみたいなものをしっかりと見定めないと、独りよがりなものになることってしばしばある。 しかし、裏を返すとそういうテンションじゃないと書けないこと、出ない言葉、熱さ、みたいなものも確かにあるわ

          もしかしてだけど

          近頃やっぱり、凄い勢いで花粉が飛んでるみたいです。 僕の花粉症は40歳ぐらいから発症というか、不承不承認めざるを得なかったというか…鼻水、くしゃみから始まって、あっという間に目ん玉取り出して洗いたいぜ!みたいな状態になってしまった。その間ほんと2、3シーズン足らず。 その後も 我が体内の免疫チームの事実誤認による働き過ぎはとどまるところを知らず、最近ではついに顔まで痒くなってしまうようになった。 ちょっとした発見。同時にそんなことってあるー?っていう不思議な感じ。 花粉で

          春はあけぼの

          ということでなく、 第64代横綱、曙太郎が逝去されました。( ; ; ) そんな強い思い入れはないのかもしれないが… 相撲→格闘技→プロレスと流れていく中で人の良さというか、そういったものをダダ漏れさせながら世をさった感じで。 良い人で不器用だったのでは?と想像してしまいます。 周りの期待に応えようとするがあまり、損な役回りを受けることもあったり、なんというか立ち回りがもう少し上手であればもっと傍目に幸せな人生を歩めたのではないかと、 想像を膨らませてしまったりします。

          俺は田舎のプレスリー

          まぁ、百姓の倅では無い。 北海道の寒村出身で、人口より野良犬の数の方が少し多いくらいだった。 半農半漁の長閑な町で、出かける時に施錠することもあまり無かったと記憶している。長期で開ける時だけあちこち「じょっぴんかる」=鍵をかけるようなそんなレベル。 そんなんで、いちいち細かい田舎者エピソードをあげてもキリがないくらいの子供時代を過ごした。 一つとても自分自身の形成過程として 良かったんじゃないかなと思えるのは、じわじわと都会に出ていくことになったというその過程が今思い出