マガジンのカバー画像

社会不安症の双子

8
双子の娘の話。 子は親の背中を見て育つ。 子は親の鏡。 娘の為でもあり、自分の為でもある。 全ての行動に意味がある。
運営しているクリエイター

記事一覧

事件?

ピンポーン

夜中の0時半頃インターホンがなり、
玄関ドアを叩く音がした。
布団で横になっていたわたしは飛び起きた。

もしかしたら下の階の子が助けにきたのかも!そう思ったからだ。

「暴れているのはこちらのお宅ですか?」

わたし「下の階だと思います」

「ありがとうございます。警察です。」

誰かが通報したのだろう。
こんな寝静まる時間帯にものすごい物音と叫び声がずっと響いていたのだ。
誰も何

もっとみる

傍観者

仕事のストレスを抱え、帰ってきた日は
さすがにいつも元気なわたしだって病むことはある。

たまたまそう行った日と子どもの負が重なった時は、連動してさらに堕ちる。

家族とはそんなものだ。

最近あった中3少女の通魔刺傷事件。

うちのお姉ちゃんが、その事件をきっかけに
精神状態が不安定になっている。

たまたまうちの下の階に住んでいて、問題沙汰の多い家庭が似たような家族環境だったことが原因にある。

もっとみる
双子の娘

双子の娘

わたしは、シングルマザー。
うちの娘は19歳の双子の一卵性双生児でどちらも社会不安障害を持っておりひきこもりです。
ほぼほぼ、うちから出ません。
中学生1年生の頃からそんな感じです。

義務教育はなかなか自由にさせてくれませんでした。
わたしの負担も子ども自身の負担も非常に大きかったように思います。

他所からすれば、甘やかしに見えるかもしれませんが、親のわたしからすれば、自分の判断で自分の好きな

もっとみる

社会不安症の娘について⑤

病院はわたしが、近くの精神科を検索してなるべく大きくて信頼できそうなところを選んだ。

初診の日は、わたしの立ち会いで診察を受けた。女の先生に診てもらいたいとお姉ちゃんが言っていたので、担当医に希望を伝えた。

先生「少し考えます」

と、だけ返事があり妙な感覚だった。

診察後の待合室、ぼーっと会計までの間待っていると、壁紙に目がいった。

そこには、病院の先生の名前が一覧表になって掲示してあっ

もっとみる

社会不安症の娘について④

わたしが子供たちの為にできることはなんだろう。

子供たちが不登校になってからの間、
そればかりいつも考えていた。

どうにかしてあげたい、そう単純な親心からだった。

役所の福祉課に相談に行ったり、不登校親の会に参加したり、自立支援センターなどにもわたしひとりで足を運んだ。

ただ、どこでも状況説明と話をするだけ。

セミナーに関しては、境遇の同じような悩みをもった人の話を聞いて共感するだけで、

もっとみる

社会不安症の娘について③

私立の入試を受けられなかったことは、
その後も親子3人の尾をひいた。

でも、わたしは希望を捨てなかった。
悔やんでも仕方ない。
定時制の高校にかけよう。

子供たちを励まし、勇気づけ、
失敗したっていいじゃないか。
そう前回の経験で思えたことが、わたしの盾になった。

結果的に、思いが通じたのか定時制の高校に入学するまで至った。

とりあえず、入学できてよかった。
でもこれからは子供達次第。

もっとみる
社会不安症の娘について②

社会不安症の娘について②

学校とのやりとりは電話と書類等のやりとりだけになった。

わたしも子供も正直ホッとした。
こうあるべきこうしなきゃの圧迫された威圧感から解放されて徐々に親子関係もよくなっていった。

間にクラスの子から手紙を貰ったりしていたが、返事を書いたりすることはなかった。
先生に書かされたその手紙は子供達には意味のないただの紙だった。

小学校からの仲のいい友達は気にかけて何度かうちにきてくれた。
気分がい

もっとみる
社会不安症の娘について➀

社会不安症の娘について➀

わたしの子供は双子の19歳女の子。
2人とも社会不安障害を持っています。

中学1年生の夏休み明けから不登校になり、
初めの頃は先生が送迎の迎えにきたりしていた。
強引に家の中に入ってきて学校にくるよう説得する。
支度ができないのに行けるわけがない。
余計に部屋から出てこず布団にくるまり、
インターホンが鳴る音にもビクつくようになった。

初めのうちは、わたしが頼りないが故に子供の為に懸命に接して

もっとみる