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社会不安症の娘について②


学校とのやりとりは電話と書類等のやりとりだけになった。

わたしも子供も正直ホッとした。
こうあるべきこうしなきゃの圧迫された威圧感から解放されて徐々に親子関係もよくなっていった。

間にクラスの子から手紙を貰ったりしていたが、返事を書いたりすることはなかった。
先生に書かされたその手紙は子供達には意味のないただの紙だった。

小学校からの仲のいい友達は気にかけて何度かうちにきてくれた。
気分がいい時は会って、一緒に散歩したりしていた。

お風呂も入れず着替えもままならない娘達も段々と身支度ができるようになるまで回復した。2年要し、3年生になっていた。

その頃、先生からまめに連絡がくるようになった。進学を考えないといけない時期だった。

先生から学校に臨床心理士の先生がいるので、カウンセリングを受けたらいいのではないかと薦められ、親子で通うことになった。
子供を学校に連れていくのは容易ではなかったが、高校へは行ってほしいというわたしの強い思いが学校へと足を運ばせた。

何度か親子でカウンセリングを受け、教室とは別の部屋で、子供たちは高校入学に必要な面接や作文の書き方などを学ぶようになった。

高校への入学願書は話し合いの結果、私立ひとつ、その後、県立の定時制を受けるよう段取りをして予定をたてた。

子供は乗り気ではなかったが、わたしは何もしないよりは行動すべきだと思っていた。

私立の入試の日、子供たちは支度を済ませてなんとか車まで乗ってくれたので、試験会場の校門前まで送って行った。

問題はここからだった。

車から降りない。

次々に、入試を受ける子供たちが歩いてきたり、バスに乗り校門をくぐっていく。

横目でただその様子を見つめ時間が過ぎていった。

子供たちは泣いている。
微動だにしない。

慌てて担任の先生に電話した。
電話したところで、どうしようもできないことはわかっていた。
ことの次第を話し電話を切った。

受けられる状態じゃないと悟った時、自然と
わたしも一緒に泣いていた。

入試開始の時間が来た後もしばらくその場、
車の中に留まり、3人で泣きわめいた。

わたしは、子供たちに過度に期待を持ち過ぎてしまっていたのだ。
現実と理想のギャップに苛まれ、
感情的になり、怒鳴ってしまった。

泣いても怒鳴っても何も変われないのに。

わたしが入試に来たわけではない。
どうにもならないことはある。

今では、そんなこともあったなぁの話だが、
あの時の失望感と虚しさは、もがいていたからこその体験だったと思う。

あの時は責めてごめんね。
よく頑張ったよ。







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