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■自衛隊上がりの小児外科医


私は人の話を聞くのが好きなのですが、色々な人の話を聞いていて最も破天荒なキャリアだと思われた医師は、10年以上航空自衛隊に勤務され、学士編入された小児外科医です。私より少し年上ですが、医師としてのキャリアは私の方が少し上になります。
TVの自衛隊特集で見るような勤務地を家族に言わない、1度勤務に出ると数カ月帰ってこられないということを、大学入学後も、医師になってからも、予備自衛官として訓練に行かれています。

自衛隊の勤務は、充実していた。しかし、子どもは簡単に死んでしまう。子どもが死んでいく姿はもう見たくない。とくに医療が発展途上国では、日本では助かるはずの子どもの命が簡単に失われているのが耐えられなかった。だから子どもたちを救うために、小児外科医を目指した。
と、そんなことも彼から聞いたことがあります。

自衛隊を辞められた後も身体を鍛えつつ、医師として上司や同僚から仕事を押し付けられたり、月に20日は当直やオンコールをしている。患者さんからの理不尽なクレームにも一切心が折れない。前向きな彼のそんな姿を見ると、私は彼の心身の強靭さには絶対にかなわないと思いました。

医師になってからのストレスは自分が助けたい子どもの命が救えるのだから、なんてことない。自分がやりたいことができているから幸せなのだと彼は言います。

■彼という人間が出来上がるまで


早く一人前になりたいからと収入が得られる自衛隊の道へと進み、自衛隊で上司からは優しくも厳しくも教わり、育てられた。だから辞めるときには散々引き止められて、何度か翻意したものの結局は、航空自衛隊員として医師の移動や医師の仕事を援助しているうちに医師の仕事のすばらしさに惹かれた心は止められなかったそうです。

自衛隊での仕事のミスは命に関わる可能性がある。だから、見て覚えるではなく、手取り足取り上司が教えてくれる。ときに理不尽な指導もあるが、丁稚奉公だと思えば当たり前だと考えていたそうです。そして今の自分があるのは、そういったすべてがあるからだと考えているそうです。

今、若者に強く言わない。強く言えない風潮があります。私も若手の頃は厳しく指導されていた時代ですから、人を育てるときは、時に厳しく、時に優しく。しっかりと目をかけていくことだと、小児科医として子どもの発達診療を行い、子どもを育てる父親として、彼の言葉が私に突き刺さりました。

とくに彼は移植医療や体の小さい子どもを手術する、外科医志望が減っている中での尊い小児外科医です。医師は診療以外にもデスクワークもあって、残業もある。自衛隊で教わったことは無駄ではないし、通り道だとは思わない。むしろこの道しかありえなかった。成功ばかりではなく失敗もある。むしろ失敗続きである。だから自分でどうすべきかを考えて前に進むことできる。医師という仕事は大変な仕事だよと話す彼は、私の見本です。

ちょっとしたことで、へこたれてしまう私とは違うのです。

■彼の精神の強さ


ただそんな彼も私と同じく酒の席は好きなので、自分が話すよりも人の話を聞いて、いつも最後に私と帰ります。

私は帰ったら歯を磨いて明日に備えて水分補給してから寝ることに努めるのですが、彼はそんな日でも帰ってからの筋トレを休みません。ただ飲酒さらに筋トレは彼の持病である痛風には厳禁なのです。いくら言っても酒の席でテンションの上がった彼は筋トレをしたいという気持ちを抑えられません。そういった一面もある彼です。

また彼の強靭な精神は、彼を休ませません。彼は1週間は病院内を痛風に痛む足を引きずりながらも、表情にはおくびにも出さずに勤務をします。

医師と自衛隊の指導方法を比較するわけにはいきませんが、何事にも人を育てるには一朝一夕にはいかない。彼のような素晴らしい小児外科医となるには、破天荒なキャリアが後押ししているのでしょう。

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