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#12【自己紹介】5 自分探しとしての旅とIQ検査

今朝はごく親しい知人が、内田也哉子さんと中野信子さんの対談について「読んだけどつまらなかった」と話題を出したので、「そっか、わたしは面白く感じたよ」と伝えたら、「どうせ自分はバカだからわからないのだ」と言われて怒られてしまいました。しょぼん。
「わたしは面白かった」と言っただけで、他人様の頭の良し悪しのことなんて一言も言ってないのに。言い方が悪かったのかなぁ。いやー、そんなことないと思うんだけどなぁ。自分がバカだとかいうくらいなら「なぜ面白くなかったのか」を力説してくれれば良かったのになぁ。それか、「ふーん、そうなんだ」って終わらせてくれても良かった。
……っていうか、その前に私が「ふーん、そうなんだ」って言えばよかったのか。私は面白いと感じたことを表明してはいけないのか……?内田也哉子さんと中野信子さんを面白いと思うのはいけないの?

↓↓「ふーん、そうなんだ」についてはこちら

お目汚し失礼しました。
自分が感じる生きづらさを可視化できたらと思い、できるだけタイムリーに記録していこうと思いました。
一つひとつは上記みたいに些細なことだけれど常にそこにある、紙やすりで常に少しずつ削られるような、マジックテープが意図しないときにザラザラくっついちゃうみたいな、利き手と逆の手で文字を書くようなひっかかり、もどかしさがあります。

レッツ自分探し

めちゃくちゃダサい見出しですみません(苦笑)。
今日は自分探しの話をしてみます。もはや手垢がつきすぎた感のある言葉です。
でも、くらたは、自分探ししたい人は気が済むまですればいいと思っています。
面白いと思ったことを表明しちゃいけないのか、わたしが面白いと思うものはそんなに奇異なものなのか、なんて日常的に考えていると、自分探ししたくもなるのです。

環境を変えて自分の輪郭を探す ひとり旅

不朽の名作『ハチミツとクローバー』(羽海野チカ/集英社)で、主人公の竹本くんは、孤独や葛藤の中、「自分探し」の旅に出ます。

ひとり旅、くらたもたまにしますが、見知らぬ土地にぽーんとひとりで放り出される感じはとてもすきです。
ある県庁所在地でひとり焼肉していたら、その土地のちびっこに「ひとりで焼肉してもいいのー?」と聞かれたのはちょっと恥ずかしかったけど、ひとりだと、「自分バカだから」とか「バカにしてるのか」とか言われるおそれがないのは気楽です。
↓↓ 旅行中に当時の恋人に「バカにしてるのか」と怒られた話(IQ検査の話もあり)

2013年ごろにTBSで放送されていた『林修の生きざま大辞典』で酒井雄哉さんを取り上げたとき、林先生は「千日回峰行(ひとりで山を走り続ける修行)は考える時間『しか』ない」と言っていました。
ひとり旅は千日回峰行ほど過酷ではありませんが、話し相手がないので考える時間しかないのは同じ。

そこで自分が何を見て何を感じてどうふるまうのか、何から解放されて何を思い出すのか。日常にいてはわからない自分の新しい一面を知ることができます。

自分の中を深掘りしていく IQ検査

大人のIQは「WAIS」という検査で調べることができます。くらたは2023年に「WAIS-IV」を受検しました。
結果に影響するので検査内容について他言することはできません。結構突っ込んだ内容を公開している人もいるので、お知りになりたい方は検索してみてください。
相対的な検査のためこの結果が絶対的な知性の指標にはならないとも言われていますが、母集団の平均から離れるほど生きづらさを感じやすい傾向があることはわかると思うので、母集団の取り方さえ間違ってなければ参考にしても良いのかなーとくらたは思いました。そして母集団をどうやって取っているのかは確認してません。すみません。プロに任せてます。すみません。

くらたは、検査は大変だったし脳みそ疲れましたが、「脳の能力ってこういう側面に分類できて、さらにその能力の高低はこうやって測るのか」ということを知れたのは面白かったです。指摘された得意不得意、注意すべきことも納得しかありませんでした。

くらたが思うに、自分の身長・体重については、多くの人が知っているのではないでしょうか。血圧、骨格筋率、体脂肪率、骨密度、近年では酸素飽和度まで、わりと手軽に自分の数値について計測することができます。
その中で、なぜか脳だけがいまだにブラックボックス。現代においては、脳のコンディションの良しあしがパフォーマンスに直結することは周知の事実です。睡眠不足のとき、あわてているとき、強く感情が揺さぶられているとき、重要な判断をしないというのは多くの人が実践しているライフハックでしょう。
そんな中で、相対値であっても、脳の数値を計測しようとすることはそんなに奇異なことではないように思います。相対値であっても、個人内の視標差などで得意不得意や注意すべきことがわかるので。
知性についてはいまだに解明されてない、定義が定まっていないかもしれませんが、だからといって現在使われている指標がまったく無価値という断じるのも極端かなぁと、くらたは感じています。

少なくとも、くらたがもし20代のころの自分に会えるなら、占い師に払った数万でWAIS受けろと言いたいくらいには、受けて良かったと思っています。

「普通が一番」? 研修で会った人

研修や講演会なども、場合によっては自分探しのツールになります。
内容によるのはもちろんですが、受ける側の姿勢こそ重要という事例を一つ。

数年前、職場の研修で同じグループになった保育士のアラフィフくらいの女性が、
「自分も夫も子どもも平凡だけど、そういう『普通』が一番だと最近感じた。『普通』で良かった」
と発言しました。どうしてそう思うのか尋ねると、
「受け持ちのクラスの子を見ていると、『普通』じゃない家庭って結構あるんですよ」
とのこと。ご本人は気づいておられませんでしたがその穏やかならざる回答に、『普通じゃない』とはどういうことか更問すると、保護者がシングルであったり、子どもに特性があったりすること、とのことでした。
彼女が今まで平穏無事な生活を送ってこられたことが窺える回答に、彼女の幸運を寿ぐとともに、多様性が叫ばれて久しい昨今子どもに関わる専門家がそんなに解像度粗めのガビガビの『普通』という言葉を使うのかぁ……という思いを禁じ得ませんでした。

彼女は自分が何か奇異な発言をしているという認識はなさそうでした。ほんとに悪気なく思ったから言ってる感じ。もしかしたら、自分の家族は特別な要素はないと謙遜しているくらいの感じかも知れない。

受け持ちの子に何か特性があったり保護者がシングルだったりしたときに『普通じゃない』ってフィルターで見ている人に、子ども預けたくないなあ子どもいないけど……と思いながら、研修はぬるっと終了しました。

ともあれ、自分が納得できることが大事

現在公開中の映画『窓ぎわのトットちゃん』では、学校のボットン便所にお気に入りの財布を落としたトットちゃんが、長い柄杓で下水を掻き出して財布を探す場面があります。服や顔まで汚して汚物を掻き出すトットちゃん。校長先生もそれを咎めず、終わったらきれいに戻しておくようにだけ言います。
結局、財布は見つからないのですが、トットちゃんがママに言ったことには、
「いいの。いっぱい探したから」
結果はどうあれ、自分が納得できるまでやってみることの効用を描く素敵なシーンだと思いました。

(トットちゃん大変良かったので、もしご興味のある方はぜひ。感想もまた書きたいと思っています。)

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