借りパク奇譚(20)
「本日はお休みのところ、ご苦労様でした。東京から3時間ですか。遠路遥々、ありがとうございます」
おれの『旅立ちの儀』は亮潤様のその言葉から始まった。はて、東京から来たこと、3時間かかったことなど話しただろうか? 山田か? いや、山田の面談はこの後だからそれはない。
「竹中さんから情報を抜きました。最近の記憶なので、簡単にそれができました」
おれの思考が早いか、亮潤はそう続けた。
「はあ……」
「コツさえ抑えればこういったことは誰にでもできます」
「……コツですか……」
「ええ、今やったことは比較的簡単な部類でしょうか」
少し微笑みが混じっているが、亮潤は真顔だった。
釈然としないまま、おれは微笑をつくる。
「多少なりとも信じていただくため、もう一つお付き合いいただけますか?」
おれが全く信用していないことを察してか、亮潤は続けた。
「はい」
「奥様の名前を頭に思い浮かべて下さい」
……そもそもおれは結婚しているなんて言ってない。金属アレルギーだから指輪もつけてない。既に引っかかるが、おれは言われた通り、我が細君の名前を頭の中に思い浮かべる。
「菜津穂さんですね」
間髪入れずいい当てる亮潤。
「ええ……」
なんとなく当てるだろうなと思ったから、そこまで驚かなかった。ただ、それでも亮潤の謎の力を信じられたわけではなかった。そもそもおれは元来、「手相」も「 おみくじ」も「風水」も「前世」 や「ソウルメイト」や「カルマ」も、「天国」 や 「地獄」 だって本気で信じていない。そういうことを言うやつは大概胡散臭いのだ。東京から来たことや、妻の名前など、その気になれば、いくらだって調べられることではないか。しかし……再び炎の周りを回っている時に見たあの風景がよみがえる。おれだけではない、山田も見たというあの風景。あれは一体何だったのか?……おれはなんと続けたらいいかわからず口籠った。
「ごもっともな反応かと思います。ただ、現代の常識、また科学と呼ばれているものはまだまだ万全ではない。科学は宇宙の仕組みの1パーセントも説明していないのも事実です」
「ええ、確かにそう思います」
それに関して異論はない。
「ぶしつけにすみませんでした。ただ、このあとの説明のために、竹中さんが敬遠している世界、科学的根拠が全くない世界のことを、少し身近に感じていただく必要があったんです」
「はあ」
「今回の『懺悔の門』はいささか特殊でした。単純な借りパクの禊というわけではなかった。先ほども言いました通り、参加者全員が非常に厄介なことに巻き込まれていました。そしてそれは、皆さんが悔しくも借りることになった『モノ』が影響しているんです」
急に空気が張り詰める。亮潤が次に、重大なことを言うであろうことがわかった。
「竹中さんは『文庫本』を借りました。そしてそれによって人から時間を奪われることになったんです」
「……どういうことでしょうか?」
話の意味が全く分からず、戸惑いながらおれは聞き返す。時間を奪われる? 時間奪いの話はクロエの話ではなかったか?
「そうです。クロエさんの話にあった時間奪いの話です。大学で新歓コンパに参加したあの日以来、竹中さんは時間を奪われ続けていたんです」
「……すみません、文庫を借りたことと、時間を奪われることの因果関係がよくわかりません」
一向に的を得ない亮潤の話におれは少し苛立っていた。
「こういったことは『鍵』と『鍵穴』に例えられます。「トオル」と呼ばれる人物が竹中さんの鍵穴に合う鍵で竹中さんの門を開けました。そして、時間を奪えるようにしたんです。そして、その時に鍵として作用したのが例の『文庫本』になります」
この人は一体何をいっているんだろう? 正直そう思った。ただ、亮潤の顔は相変わらず真剣そのものだった。
「……すみません。やっぱりわからない……鍵が開けられ、私は時間を奪われている??」
「はい。どうやらトオルという男にはそういった力があるようです。対象となる人間の扉を開けることによって時間を奪う。信じられないかもしれませんが世の中にはそういったことができる人間が一定数いるんです。クロエさんの話にあった組織はおそらく、そういた力を持った人間が集まり、専門的にそれをやっている組織のようです」
「……私自身、人から時間を奪われていると感じたことはありません」
そう言いつつ、おれはクロエが地下鉄で出会ったという老人の『本人は無自覚』という言葉を思い出していた。
「はい、本人が自分それに気がつくことは不可能です。とくにそんな世界があることも知らない竹中さんのような人ならなおさらです」
「……」
おれは口籠る。どう言い返したらいいのか。言葉が見つからない。時間を奪うなんて、やっぱり到底信じられない。第一トオルさんは何が楽しく初対面のおれから時間を奪う必要があったというのか。
「なぜ、竹中さんを選んでのかはわかりません、ただ、トオルという男はまさにあの日、それをしたんです。鍵を開け、時間を奪う目的で竹さんに文庫本を貸しつけた」
「……」
次から次へと読心術か……おれは一言も発していないのだ。
「ところで失礼ですが竹中さん、竹中さんは結構なのんべえですよね」
亮潤が急に話題を変えてくる。
「……おっしゃる通りです」
確かにおれは毎日酒を飲む。一度に飲む量もかなり多いと思う。まあそれは、酒への耐性が強く、ある程度の量を飲まないと酔いがやってこないからなのだが。
「竹中さんはなぜ自分がそんなにお酒を飲むのか、考えたことはありますか? もしなければ、今、少し考えてみていただけますか」
なぜ? 当然そんなことは考えたことがなかった。
なぜって……それはズバリ、酔っ払いたいからだ。脳を麻痺させ、ウェーイとなってワールドイズマイン。それだけだ。
いやいや、自分で考えたわりに、なんとも国語力が足りない回答である。もうちょっとまともな理由があるはずだ。
「酒の味が好き?」 いや、特別そんなことはない。味ならむしろ、緑茶やジャスミン茶の方が好きかもしれない。「酒の場が好き?」 いや、おれは独りでだって平気で飲む。むしろ人数だけ集めた、締まりのない飲み会は大嫌いだ。
であればやはり、ポイントは「ウェーイ」だろうか? では何故ウェーイが必要なのか? ストレス社会で戦うサラリーマンだから? うーむ、なんかしっくりこないな。大体おれはヤケ酒はキライだ。逆に怒り悲しみが増幅する。やけ酒はウェーイとは真逆の状態へと誘われる。ウェーイとはつまり……通常モードからご機嫌モードへの飛躍。いや待て待て、おれは通常モードでもそれなりにご機嫌じゃないのか? おれは機嫌の良い人間なのだ。ならば、酒によって、さらなるご機嫌を目指しているのだろうか?? いや、なんか違うな。
大体酒ってのはウェーイの時はいいが、冷めた時にはそれとは真逆のものを連れてくるではないか。次の日に酒が残った時のあのダルさ、酒のせいで寝坊してしまった時の、あの胸が締め付けられるような感覚と冷たい汗。そう、酒のせいで寝起きに3万円を脅し取られることだってあるのだ。では一体、おれはなぜ毎日酒を喰らうのか?…………わからない───
「お酒を飲み、眠くなって寝てしまう。主にその時、竹中さんは時間を奪われています」
(21)に続く
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