見出し画像

【読書】古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01)


出版情報

  • タイトル:古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01)

  • 訳者:‎ 池澤 夏樹

  • 出版社 ‏ : 河出書房新社 (2014/11/14)

  • 単行本 ‏ : ‎ 402ページ

現代人の情報取得法に配慮した『古事記』

 本書の『読み易さ』をご紹介したく本稿を書いている。この『読み易さ』は、現代人の情報取得法に絶妙に配慮していることからきている。私は古事記を手元に置いて読むのは2冊目なので、他の本のことはわからないまま、『読み易い』を連呼することになる。この寡聞ぶり、厚顔無恥ぶりはぜひ、今の所は笑って許していただきたい。将来、「あ、みんなこういう工夫していたのね」と理解すれば、本稿は取り下げるか、書き直しをさせていただく。それだけ、この『読み易さ』の工夫が衝撃的で、わかりやすかったのだ! この感激ぶりに免じて、お許しいただければ、幸いである。

 みなさん、ご存知の通り、古事記のそもそもの編集者兼執筆者は太安万侶(おおのやすまろ)で、サポートには超記憶力の良い語り部的な稗田阿礼(ひえだのあれ)が控えている。本書を著した池澤夏樹(訳者と表記されている)は、太安万侶に宛てた手紙という体(てい)で書かれた序文の中で、こう言っている。

世に出たテクストは折に触れて大きな声で朗誦されたのではありませんか?まずは持統天皇の前であなたが全巻を何夜もかけて読み上げられた、そういう場面をぼくは想像したいのです。長々しい系譜のところでも、「ああ、自分の祖先だ」と感動して聞いた者が陪審の中にいたはずです。

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p14-p15

 古事記はもともと大勢の前で朗誦されていた。作家の想像力による、この推測。考えたこともなかったけど、この推測、当たっていたら、面白い。こうして訳者 池澤の仕事のひとつは、声に出して朗誦し耳で聞きいていたであろう作品目で追い読んで楽しめる作品変換することになった。これを両立させるのはなかなかに難しい。それを池澤は見事に両立させているのだ。

 では具体的にどういう意図によってどういう工夫がされているかについては、もくじによって『池澤版 古事記の読み易さ』まで飛んで欲しい。いくつか本書のページの写メを掲載した。本書によって古事記と出会うことにするかどうか、本書を読んでみるかどうかの参考にしていただければと思う。これ以降、例によって前置き部分が長くなってしまっている。池澤がどういう動機、意図をもって本書を訳していったか、私の視点から紹介する内容となっている。ご興味があれば、読んでいってください。よろしくお願いします。


 

日本人とは何者か

世界を旅した筆者がたどり着いた問い

 以前『【読書】古事記ワールド案内図』では下記のように池澤夏樹を紹介したので、再掲しよう。

池澤は1988年に芥川賞を受賞している。御年(おんとし)78歳の大ベテランだ。その池澤が古事記を現代語訳し、雄略天皇(ワカタケル)を主人公に小説も書いた。世界を股にかけて翻訳もこなし、旅行、移住もした著者が、現在は北海道に戻って、テーマも日本、しかもど真ん中の古典、古事記に戻ってきた。きっと本人も意識した晩年の集大成なのだろう。

【読書】古事記ワールド案内図

そうしてできたのが本書 池澤版『古事記』である。そもそも池澤は、同じ出版社から『世界文学全集』を出している。売れ行きも良く、読者や批評家からも好評だったのだろう、池澤は、次に『日本文学全集』を出してみないかと編集者の誘いを受ける。 奇しくも『世界文学全集』の完結は東北大震災の前日だという。

池澤:3・11以降、今に至るこの間、大きな政治の変動がありました。日本とは何なのか、本来どういう国だったのか、そもそも日本人を名乗る我々とはいったい何者なのかという問いが湧いた。

池澤夏樹 特別インタビュー  なぜ今、「日本文学全集」なのか?

 この問いは、日本人がよく発する問いだ。レヴィ=ストロースも『月の裏側』の中で、しょっちゅう「日本人とは何者だと思いますか?」と問われたという

池澤:若いとき、ぼくはこの国とうまくいっていなかった。…でもいつでも「日本」のことが気になっている

池澤夏樹 特別インタビュー  なぜ今、「日本文学全集」なのか?

また、この膨大なアンソロジーのために集まった作家仲間たちも

聞き手:二十四人、新釈も含めれば二十八人の人たちが、参加されていますね。
池澤:もしかすると、我々は何者なのかという問いが一種の気運としてぼくらの間にあったのかもしれない。

池澤夏樹 特別インタビュー  なぜ今、「日本文学全集」なのか?

「日本人とは何者か」という問いを発すること自体が、日本人である証(あかし)なのかもしれない。
 「日本人とは何者か」という問いとともに、時を経ては何度でも訳し直される古事記とはそういう書物なのかもしれない。他のnote記事でも何度も書いているが、現代においても古事記は隠れた人気コンテンツなのだ。

古事記が生み出された場と意図

 以下は訳者であり作家 池澤の想像力によって描かれた古事記が生み出された現場の様子である。太安万侶が感じていたであろう古事記編纂に対する思い。ちょっと様子を見てみよう。

古事記編纂の現場:作家の想像力による

 古事記はツギハギだらけ。レヴィ=ストロースを含むさまざまな人がそういっている。

執筆の意図自体が最初から欲張りすぎたものだった。

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p385-p386

 同じように池澤は、その想像力で、古事記編纂の現場の慌ただしさと混乱ぶりを下記のように描いている。

太安万侶において見るべきものは創造性ではなくエディターシップだ。…
まずこの事業を始めようとした時に彼の手元に集まった原資料の量を想像しなければならない。各地の豪族や職能集団はあまり上手でない漢文で書かれた文書をどんどん提出しただろうし、安万侶のもとに参上して滔々と記憶された記録を朗誦する者もいたかもしれない。…有力者たちからの圧力も少なくなかっただろう。

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p386

その混沌とした現場から生み出された作品=古事記を、今度は大事に次世代に継ないでいく。

統一がとれていないからこそ、混乱の中に彼らの息吹が感じられる。これ以上整理してしまっては何か大事なものが失われると太安万侶はわかっていた。それは彼の時代にはもうなかったものだから、彼はこれを慎重な手つきで扱った。文学者としてだけでなく歴史家としても正しい姿勢だろう。

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p396-p397

そう考えると、本居宣長が慎重な手つきを精一杯大事にしたことの意味もわかる壊れ物を壊さないように次の世代に手渡す

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p397

そのように大事に読み継がれてきた古事記。私たちもその壊れもののような文学歴史作品である古事記を大事に扱い、次世代に継ないでいきたい。そういう思いが湧いてくる。

混沌から秩序へ:弱者の視点を大事にしつつ

『古事記』ぜんたいを貫くのは混乱から秩序へという流れである。

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p388

ページをめくるにつれて国家という、「青人草」が安心して豊かに暮らせる安定した機構が造られてゆく。それはまるで太古の霧の中を歩いているうちに、少しずつ立派な建造物が現れるのを目の当たりにするようだ。

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p388-p389

つまり…池澤は、古事記を「王朝の正当性を表すための文学」だと捉えていない。しかし、「安心して豊かに暮らせる国家(である日本)」を顕彰する歴史文学だ、というのである。それだけで、とてもとてもうれしくなるのは私だけだろうか?日本に生まれて感謝する。当たり前とも言える感情を千年以上前の人と共有する。それは次の千年も同じ気持ちを持ってもらえるように継ないでいきたい、という気持ちを起こさせる。

言うまでもなく『古事記』はその建物を顕彰するためにこそ書かれたのであり、太安万侶の編集の意図には安定した国家で暮らす幸福感を伝えたいという思いが籠っていた。彼が権力の中枢近くにあって繁栄を享受できる特権的な立場にあったことを差し引いても、彼の世界観の基礎に豊かで幸福な社会という観念があったのは否定できない。

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p389

 池澤は潔い(いさぎよい)。左翼である池澤としては国家とか権力というものに敏感であらざるを得ないだろう。しかし池澤は、太安万侶に共感し、その想いを汲み取り「安定した国家で暮らす幸福感」と述べている。まるで安万侶が感じている幸福感をそのまま池澤も感じているかのように。海外での暮らしが長い池澤。その池澤の「安定した国家で暮らす幸福感」という言葉は重い。この言葉から池澤の日本という国家への感謝が読み取れはしないだろうか?この言葉は時を超えている。古代国家が曲がりなりにも、同じ『日本』として厳然として現代まで続いているのだ。池澤は「安定した国家で暮らす幸福感を現代日本にも感じているのではないだろうか?若いころは折り合いが悪かったとしても。古代から連綿と「安定した国家で暮らす幸福感」を日本に住む人々が感じてきた。それはマルクス史観からの決別とは言わずとも、マルクス史観とは別の歴史の見方がありうる、ことを池澤が受け入れている証(あかし)と言えないだろうか。私は池澤の、その潔さに脱帽する。深く首を垂れ、敬意を表したい。日本に生まれて感謝する。次の千年の世を生きる人々にも同じ気持ちを持ってもらいたい。その祈りの輪を共有する。左翼 池澤は王朝の正当性の文学は認められなくても、(天皇のもとで)「安心して豊かに暮らせる国家(である日本)」を顕彰する。少なくとも太安万侶の意図はそこにある。そう表現できる池澤は、繰り返しになるが、潔いと思うのだ。心を扱う作家は、魂には嘘がつけない。私にはそんなふうに感じられる。


 さらに…古事記の不思議さは、天津神のことよりも出雲での国づくりについて詳しく述べていること。また、天皇でもない、そして志なかばで逝去したヤマトタケルについて詳細に記述していることにある。

こうして見てきてわかるとおり「下巻」で顕著なのは敗者たちへの共感である。…その先には選択と排除が待っており、敗者には死が強いられる。『古事記』には負けた側への同情の色が濃い

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p392-p393

負けた側への同情の色が濃い」こともまた、客観的にみて「王朝の正当性」を説く物語に古事記を位置付けるのをためらう理由のひとつかもしれない。

おおよそこの国の君主は古代以来ずっと政敵への報復に消極的で、反逆者当人は殺しても一族を根絶やしにすることはしなかった。…こんなのんきな王権は他に例を見ない

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p393

こうしたこと全体が、縄文時代一万年の豊かさと平和の土台があればこそ、と考えるのはロマンチックが過ぎるだろうか。


池澤版 古事記の読みやすさ

 池澤版 古事記はサクサク読めるスピード感を大切にしている。つまり池澤によって必要な情報があらかじめ分類されていて視覚情報として処理しやすいように十分な工夫がなされている。

速いことは『古事記』の特徴の一つかもしれない。すべての事件が速やかに起こりあっという間に終わる。

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p390

古事記の文章は、およそ次の3つに分類される。

まずは中心となる「神話・伝説」
次に、延々と神名・人名が羅列される「系譜」
そして、「歌謡」

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p8

ここで一番扱いに工夫が必要なのは、神名・人名だ。神名・人名が文章の中に紛れ込んでいると、もうそれだけで、混乱が大きくなる。そこで

神の名・人の名をきちんと意味まで含めて読み取るために、羅列の部分はいちいち改行して箇条書きのようにしました。また、世代が変わるごと等に一字下げました。…
(神の名・人の名は漢字表記の後)下に丸カッコにいれてカタカナで記す。それも意味がわかるようにできるかぎり分節化して示す

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p12

(神の名・人の名は)2回目には漢字の表記の横に振り仮名を振り、3回目からは主要部分だけを独立させて片仮名だけにしました。

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p13

池澤がこういう工夫をしたのは、神名・人名に大きな意味があり、「味わい深い」と考えてのことだという。
 「歌謡」については、万葉仮名からの読み下し文を記載した後、現代語訳を併記している。これは「繰り返しが多く、大勢の中で朗誦されていた歌謡をその味わいのまま記載することで、当時の空気を伝えたい」と池澤が考えての上だろう。後に現代語訳が控えていると思えば、案外読み下し文を「読もう」と思えるし、少しだとしても意味を受け取ることができ、存外に楽しめる。

初出の名前は、一行書き

 初出の名前は、大胆に文章から飛び出して、一行まるまるを使って記載されている。それだけで「あ、名前は重要なのだ」と視覚に訴えてくる。そして名前の中の区切りがわかるように中ぐろを加えている。これも大変ありがたい。とにかく神様の名前も、登場人物の名前も長い。名前が長いことが古事記の特徴なのだ。カタカナでふりがなが振ってあるだけでは、パッとみて何が何だか、わからない。まるで何かの呪文のようだ。初心者の気持ちを萎えさせる。それに十分な代物なのである。古事記に出てくる名前というものは。そういう中で、中ぐろがあるだけで意味を理解しながら読むことができそうだ、という感触を与えてくれる。とりあえず読み進んでみよう、という気持ちになる。大袈裟に言えば、読者をそっと勇気づけてくれる。そして2回目は万葉仮名にカタカナの振り仮名を振り、3回目以降はカタカナのみで表記されている。こうしたこと全体が池澤版 古事記の読みやすさにつながっている。

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p196

並神(ならびがみ)はペアであることがわかるように

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p26-p27

親子関係は字下げで表現

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p263

繰り返しは箇条書きで

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p264

歌謡は読み下し文と現代語訳を併記

古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01) p84-p85

写真がダサくて申し訳ありません。それでも、こういう工夫があるからこそ、サクサク読める、ということをなんとか伝えたくて。

古事記は「安心して豊かに暮らせる国家(である日本)」を顕彰する歴史文学だ。それだけで、とてもとてもうれしくなるのは私だけだろうか?日本に生まれて感謝する。当たり前とも言える感情を千年以上前の人と共有する。それは次の千年も同じ気持ちを持ってもらえるように継ないでいきたい、という気持ちを起こさせる。その気持ちを共有する輪の中にいる人々が日本人だ、ということではないだろうか。



引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。
文中数字については、引用内、引用外に関わらず、漢数字、ローマ数字は、その時々で読みやすいと判断した方を本稿作者の判断で使用しています。

あ、そういえば、今週もいただいたんです。アクセスして読んでスキしてくださったみなさまのおかげです。ありがとうございます。
【読書】古事記ワールド案内図 です。よかったら。

2023/10/10 スクリーンショット



おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために

ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。

上記リンクは池澤夏樹のインタビュー記事です。結構ボリュームがあります。

池澤によるアンソロジーの日本文学全集

池澤によるアンソロジーの世界文学全集

池澤夏樹の父、福永武彦による古事記。池澤が日本文学全集を、ひいては古事記を手掛けたくなったのは、同じく作家である父の存在も大きいのでは?

初心者の方には評判良いようです。

訓読文/現代語訳/本文(漢字)の三種の文が掲載されているとのこと。

三浦佑之の古事記

絵柄がかわいいととっつきやすいと思ふ


この記事が参加している募集

読書感想文

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?