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【読書】月の裏側(日本文化への視角) その5


出版情報

  • タイトル:月の裏側(日本文化への視角)

  • 著者:クロード・レヴィ=ストロース

  • 翻訳:川田順造

  • 出版社 ‏ : ‎ 中央公論新社 (2014/7/9)

  • 単行本 ‏ : ‎ 176ページ

著者略歴

著者レヴィ=ストロースは著名なフランスの文化人類学者で、代表的な著作は『悲しき熱帯』である。婚姻関係をはじめとする他グループとのやりとりには規則性(構造)がある、と提唱した。構造主義の第一人者でもある。残念なことに2009年に100歳でお亡くなりになっている。生まれたのは1908年。

職人たちとの出会い

 著者は1977年に来日している。その折、さまざまな分野、さまざまな地域に住む職人さんたちに会った。当時、著者は「労働の概念」に関するプロジェクトを始めたところだった。

というのも民族学者が研究する社会すべてに「労働」という言葉が存在するわけではなく、たとえ存在するとしてもフランス語と同じように使われているとは限らなかったり、私たちには労働を表す単語が一つしかないのに別の文化では複数あったりする…さまざまな文明において、手仕事と知的労働、農作業と工芸、そのうちでも定住型と移動型、男の仕事、女の仕事の別などが、どんなやり方で考えられ、さらに名づけられているか…調べることが重要です。

月の裏側 p45

網羅的、総合的に、人間にとって労働はどういうものなのか、調べたかったのだろう。そういう動機の元に著者の数週間にわたる日本での研究旅行は、とても充実したものであったようだ。

やや辺鄙な場所で仕事をしている職人や労働者と会わせて欲しいとお願いしたのです。…東京、大阪、京都そして日本海の隠岐の島にいたるまで、金沢、輪島、高山、岡山、その他の土地での、菓子職人、日本酒の杜氏、陶工、刀鍛冶、織物師、染織家、和服の絵付け師、金箔師、木地師、(沈金から蒔絵までの)あらゆる技法の漆芸家、大工、漁師、邦楽の演奏家、さらに板前にいたるまでの人たちとの出会い…

月の裏側 p46

日本の職人とフランスの職人の技術継承について調査も行い、職人の技術継承には家族システムが重要だと気づき、フランス政府にそのように進言している。

フラクタルを見出す眼差し

 著者は、しばしば日本文化のまったく異なる分野を並列に置き、その中に類似性、あるいは同じ構造を見出している。フラクタルは幾何学の概念で、ある図形の部分と全体が自己相似再帰)になっているものをいう。著者は日本文化にフラクタルを見出しているかのようだ。例えば、哲学や悟りの伝統と、政治思想と、体の使い方。これらはまったく別分野だ。職人の在り方。音楽と料理。そして日本文化、日本全体。日本人である私には懐石料理と地唄や長唄に共通点があると言われても何のことだかさっぱり、だ。だけれど著者には共通するものが見えている。パターン的を異なる分野で見出すのは、著者が構造主義者で、文化人類学者だからだろう。つまり、お手のもの、というわけだ。著者はそのフラクタルを生み出す元(もと)、というか仕組みは、そもそも日本文化に内包されている、という。

神話学と社会学のように異なる領域で、十世紀も十二世紀も前の日本語の文献が、範例として役に立つのはなぜかと言えば、答えはおそらく日本的精神のいくつかの特質のうちに見つかります。…現実のあらゆる側面を、一つ残らず、列挙し、区別し、しかも、それぞれに同じ重要性を持たせるという非常な努力です。職人が同じ注意深さで、内側も外側も、表も裏も、見える部分も見えない部分も扱う、日本の伝統工芸のうちにその精神が認められます。同じことはまた…日本製の小型計算機、蓄音機、時計などは、領域は異なっても、完璧な出来栄えという点で…魅力的なものであり続けます。

月の裏側 p30

現実のあらゆる側面を、一つ残らず、列挙し、区別し、しかも、それぞれに同じ重要性を持たせるという非常な努力』をする。そして、ある日本人の教授が次のように教えてくれる。

日本の職人が自分の使う道具に対して、人に向けるような愛情を持つことがある

月の裏側 p45

日本では人間と自然が協力し合う関係である、とも。

人間と自然がまさに協力し合う性格を持つ関係

月の裏側 p45

これは、西洋の自然に対する姿勢や労働観とは別物だ。

西洋で一般に考えられているような、人間の側だけが能動的で、自然が受動的という関係

月の裏側 p45

 また日本の大工や工芸家たちの鉋(カンナ)がけが、遠くから自分の体へ引き寄せるように行われるのに対して、西洋や中国では自分から離れるように鉋を使う。鋸(ノコギリ)も日本では挽いて使い(自分に引き寄せる)、西洋では押して使う。包丁もそう。和包丁は自分に引き寄せ、洋包丁は押して切る。裁縫も和服の運針は針は動かさず、布を動かす(これはいわば自分=針は動かず、対象=布が引き寄せられる)のに対して、洋裁の手縫は布は動かさず針を動かす(対象=布が動かず、自分=針が動く)。これらは、他の分野でも見られる求心性と相似形になっている、と著者はいう。例えば「行ってきます」という挨拶は「必ずまたここに戻ってきます」という意味を内包している。求心性だ。宗教的な悟りの伝統にも、政治思想にも、この求心性(=外から己に戻る)が見られると著者は指摘する。この求心性も日本文化を彩る大いなるフラクタルのひとつだ。

神様が掃除をし、めでたさを寿ぐ国

 謡の高砂はおめでたい曲として、今でも結婚式などで謡われているのだろうか。の高砂では、長生きの象徴である老夫婦が仲良く松葉を掃いている長寿、平和、夫婦円満。この2人は松の精霊(神様)であって、のちに神様の姿となって、文化を大切にする現在の治世を讃え、感謝し、平和と繁栄を寿ぐ。つまりおめでたい演目なのだ。
 レヴィ=ストロースが初めて観劇した能は高砂だった。彼は神様が掃除をしていること、それが能という芸術に昇華されていることに驚く。このとき彼に能を解説してくれた大学教授は『能の中では労働は詩的な価値をもっている、なぜなら労働が人間と自然のコミュニケーションの一形態を表しているからだ』p45と教えてくれたそうだ。キリスト教世界では労働はアダムとイブが知恵の実を食べた罰として与えられた、という。
 ここで著者が受けた衝撃には、日本と西洋の労働観の違いもあるだろうが、労働の中でも「なぜ掃除!?」ということもあったのではないだろうか。つまり西洋を含む海外と日本では「掃除観」もだいぶ違うのではないか。海外でサッカー観戦後、日本人サポーターが掃除をすることはいつも話題になるし、学校で児童生徒が掃除をすることも話題になる。祝詞の中でも「大祓え」が重要な位置を占めていることも関係があるかもしれない。
 神様が掃除をし、めでたさを寿ぐ国、日本。

労働を通して自分を見つめ直す国民性

 もちろん現在の日本人には労働は罰ゲームみたいなもので、できれば逃れたい、と思っている人もたくさんいることだろう。だけど、どこかで、仕事で人間性が磨かれればいいな、とか、仕事でうまくいけば、それはもちろん自分の手柄だけど、周囲にも感謝だな、と思う人も多いのではないだろうか。あるいは現実はそうでないとしても、「そういうのが理想だよ」と思っている人も多いのでは。生きる手段、と割り切りながらも、仕事に生きがいを求めるのって、どこかで「仕事=生き方」と思っているからではないだろうか。仕事は「外へ」能力を発揮したり働きかけるのと同時に、自分を見つめ直す機会でもある。そういう考え方は、案外共有されているのではないか。つまり、高砂の世界観、労働は罰ではなく尊く幸せなこと、はだいぶ薄くなったかもしれないけれど、十分現代日本にも受け継がれている、といえないだろうか。そしてここでも…著者の言葉を借りれば「求心性」が現れている。労働を通して「自分を見つめ直す」という求心性も受け継がれていると言えるのではないだろうか。


引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。
文中数字については、引用内、引用外に関わらず、漢数字、ローマ数字は、その時々で読みやすいと判断した方を本稿作者の判断で使用しています。

おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために

ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
読んでいない本も掲載していますが、面白そうだったので、ご参考までに。

風姿花伝はすぐ出てくるけど、だいぶ読み進まないと世阿弥という人の紹介がないのは、どうなのかなぁ。

ちょっと長いけどフルでみることができる高砂。下はあらすじ。


和裁の運針のビデオ。もちろんまったく針を動かさずに縫うことはできない。しかし見ている方からすると「針を動かさず布を動かしているように」見える。早い。

こちら洋裁の縫い物ビデオ。見事に針のみを動かし、布は動かさない。

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