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壁画の呪いとマザーテレサ-コルカタ

一度カンボジアからバンコクに行きカオサンロードを歩くと
その日のうちにコルカタへの航空チケットをとった。
ずっと移動の連続。


コルカタに降り立つ時には疲れ切っていた。
換金をすませ空港をでると、いつも通りタクシーの人が声を
かけてくる。
私は1台のタクシーに乗り込んだが、
結論それは白タクだった。


●インド。
10カ国目となる
なあなあの私の旅に
スパイスを入れてきたのは
インド。

中国からタイに下がってきて
インドに行けなかった後悔が
どんどん膨らんでいた。
中国で出会った旅人は
インドは必修科目だって言ったから。
私もインドで試してみたかった。


意気揚々と降り立ったインド、コルカタの空港。
でも不運にもすぐに
恐喝にあう。


サダルストリート(中心部)に向かう料金は
750ルピーだ
と聞いた時
すでに車に閉じ込められてた。
(相場は30ルピーらしい)


払うと言って
相手(2人)を安心させながら
すごく焦った。
彼らは
抵抗しても絶対に逃がさない
そんな狂気を
必死で隠してるみたいだった。



いつもはメーターのつかない車なんて
乗ったりしないのに。
黄色のタクシーしか乗らないのに。
私は飛行機の疲れと
テンポのよいドライバーに
まんまと乗せられちゃってた。
彼らは
今はお祭りの時期だから
バスは動いてないんだよと言った。
750ルピーは普通だよ。
サダルストリートは遠いから!
だって。


車は
駐車場を少しいったガソリンスタンドで停止した。

彼らは車を降りて
金を出せと言ってきた。


私はパニックになって
車の外に一旦出たいと言っていた。
でも
男の人はニヤリと笑って首を横に振る。
いつかのドラマの
悪役みたいだった。
車のドアは何回ためしても開かない。



後部座席の窓から
平凡なコルカタの街が
男の背後に見えた。
私のいる場所は
暗い絶望のなかなのに。
新しい世界は
こんなにも近いのに。
だれも何も気づかないで
スタスタ歩いてく。


開けてと何回も言ったけど。
2人は金を出してからだと
言って聞かない。


私には父も母もいない、と大嘘をかますと
彼らは口数が少なくなった。
他のバッパーから学んだ情に訴える技だった。



そして一気に叫んだ。

OOOOOOOPEN THE DOORRRRR!!!!!



腹の底からのでかい声に
男は一瞬びっくりして
オープン、オープンね
と言って
ポチっと
謎のボタンで
ドアを開けた。



一気に出て
一気に荷物を引き出して(体は出したまま)
一気にそいつらを睨んで
早歩きで歩いて
離れたとこで
今度は普通のタクシーを捕まえた。



保険に入ってないので
最後の最後に誘拐されて殺されるのは
絶対に嫌。
私はそのピンチの最中でも一回
保険のことを考えたので
本当にえらいです。




その後も色々さんざんだった。
男の人達が追っかけてきて
つまんない嘘をついてきては
金を払えと言った。
日本じゃ
大人は嘘をついたらかっこ悪い。
でもインドでは
全くかっこわるくない。
本物の運転手の人を捕まえて、
車をだせといったのに
追ってくる二人組にその人がひるんで
一向に出してくれない。
結局250ルピーを渡すことに。
見えないところで
全てのお金をカバンの中に一瞬でぶちまけて、
空の財布を逆さに見せて
もうないよといったのだ。
それでももう片方の男は満足できずに
一緒にタクシーに乗り込んで
なんとサダルストリートについてきた。
(そこでまた金はらえ言われた)



その人を振り切ったあとも
たくさんのインド人に、案内するよ、
いや俺が案内するよ、とつきまとわれ、
偶然そこを通りかかった森田さんという
日本人が助けてくれた。
保護猫のように、パラゴンゲストハウスという場所まで
一緒に行った。
命の恩人だ。




インドが怖くて怖くて
それからずっと宿から
一人で出れない日が続いた。
私のインドへのキラキラは
一気になくなって
日本に帰ることをたくさん考えた。
コルカタに来たけど
デリーから出ることに決めてたので
列車移動の必要があったし
飛行機の便も決まってた。
だから頑張るしかなかった。
10/03●



インドに降り立ち、始めての宿、パラゴンゲストハウスで私を迎えたのは
恐ろしい壁画だった。
インドに入ると、旅人の中にいかに芸術色のある人がたくさん混じっているかが
よくわかるほど、壁じゅうに、絵が描かれだした。

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〈これが泊まった部屋の絵。。〉


この絵の女の人はカーリーという破壊の神で、コルカタの土地の
女神らしい。こんな風に生首を切ることが、主な仕事みたいだ。


部屋はドミトリーで、ベットをいくつかはさんだ向かいの壁には、
小窓があり、小窓を閉めると陰陽図(丸くて白と黒の勾玉の形が合わさった模様)が合わさるようにそこにも絵が描かれている。
その窓のすぐそばのベッドを使っていたボランティア旅人の長期滞在者、韓国人のソルちゃんがいうには、
この窓を閉めると、なぜだか、部屋の人の具合が悪くなるんだと言い始めた。

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〈そんな怪談話みたいなことが。。〉

ソルちゃん

〈怖すぎる〉


この前も夜中に雨が振り込んできたのでその窓を閉めたら、隣のベットに寝ている人が1ヶ月も入院してしまった、
と話しを続けたソルちゃんに私は、
もし私が泊まっている間に雨がふろうものなら、
ソルちゃん、ベッドを交換しよう、必ず私を起こして!と固く約束させた。
ソルちゃんは私のあまりの必死さにケラケラと笑った。
ソルちゃんは私をからかったのだろうか。
でも人のお世話をするようなボランティアの人が、初対面の旅人を
わざわざびびらす理由がどこにあるのか、私にはわからない。


結局、病気でなくても、雨が降らなくても、
この絵が恐ろしくてほとんど眠ることができなかった。
インド人に嘘をつかれ、金を巻き上げられて、
誰もなにも信用できなくて、いつ誰が寝ている時に殺しに来るかもわからない、
荷物を盗まれるかわからないと思った。
宿のセキュリティーなんてあったものではなかったからだ。
ケモノのように暗闇のなか朝をまった。


●芝さんは私に
インドの道には常に生と死が混在する
と言っていて
その通りだと思った。
死にゆく生き物が、人が
生きようとする生命の横で
荒い息を立てている。
私はそんなインドを
受け入れたくはない。
でもそれがインドの魅力の一つらしい。
私はそんなのは魅力とは
言えない。(言いたくない)
※芝さんはゲストハウスで出会った旅人で、美術の先生。



●死を待つ人の家という
マザーテレサがいた病院を
見学しました。
道に生まれ道に死ぬ人たちの
最期を少しでもましに
してあげる病院です。
患者さんたちには会わなかった
けれど、マザーテレサの記念碑?に
タッチして帰って来ました。
小さい頃にマザーテレサの
伝記を読んで
私もマザーテレサみたいに
なると決めた気がするけど
今は誰の命の助けにもなってない人です。
パラゴンゲストハウスで会ったソルちゃんは
私にとって生きたマザーテレサでした。
ソルちゃんはコリアンから来た
ボランティア旅人で
その病院で3ヶ月も
ボランティアをすると言いました。
彼女はユニセフみたいなところで
働きたいらしいのですが
学校を休学して毎日ボランティアの
日々に、将来を保証するものなんてないのです。
なのに毎日毎日
朝早くにパラゴンのドミを出て
ボランティアに出かけていました。
私も昔はユニセフで将来働くと
決めていた気がするけど
今はソルちゃんの姿を
寝ぼけ眼で見送る
ただの寝てる人です。
私はインドに来て
貧富の差を目の当たりにして
何もできずに毎日ごはんを
食べています。
なにかできる気はしないし
ご飯をたべることも
やめられないです。
だめだなと思うけど
仕方ないことです。●



死を待つ人の家へ。

画像3

〈マザーテレサが働いた部屋とかも見学できた〉


インドにはいって、水を飲めば下痢になるという頭があり
コーラを毎日のんでいた。
コーラに何が入っているか、未だ明らかにされていないらしいが、
のんびりした味では、この土地に狂わされてしまいそうになるのでコーラしか飲めない。
インドで麻薬が流行って日本人が手を出す理由も、
もしかしたら、狂うか、狂わされるかのはざまにあるのかもしれない。
コーラを片手に、敷地内を歩いていると前から来た女性のいかにもマザーテレサみたいな格好の人が近づいてきて一言、
「水を飲みなさい」と言われた。
水なんて飲んでられるか!と思い、何も返さなかった。
でも挨拶もなしに助言を飛ばしてくるあたり、
マザーテレサの愛の真髄に触れたような体験である。
愛とは強引だ。。
今では水を飲むときにそのことを思い出す。
水きらいだったけど、今は好き。



マザーテレサの言葉がたくさん記されている場所があり、
その一つに、「神はあなたの心の中にいる」とありがちな言葉があった。
でもインドに触れた私にとってその言葉はビーンときて、そしてジーンとした。
神とはいるのか、いないのか、そんなことよりも大切なことが
この言葉の中にあると思う。

主語はなんでもいいのだが、つまりそれが外側にはあり得ないという確信だ。
自分の弱さを受け入れようと思えた。
そして言葉がストンと腑に落ちたとき、日本に帰る準備ができた気がした。



沈没宿

パラゴンゲストハウス 
2, Stuart Ln, Colootola, New Market Area, Dharmatala, Taltala, Kolkata, West Bengal 700016 インド

柴さんが宿を後にしてからは千葉さんという人とラッシーをのんだりチョーメンを食べたりした。
ここでのチャイは飲んだ後にコップを地面に叩き落として割って、ふみつぶしてそのままにする。。感染症などの予防らしい。
千葉さんは映画を見るかいとさそってくれたり、河原でインドのカースト上位の人にあった話をしてくれた。
でもインドがこわくて自由に動き回る気が起きない私がいた。

画像4

〈どこか空虚な象〉


画像5

〈とにかくボロい〉


パラゴンゲストハウスのシャワーは
当たり前に水しか出ない。シャワーというか、
湧き水みたいな垂直に流れる水を溜めた桶を、頭からかぶるという、
アイスバケツチャレンジの先駆けとなっている宿。


私はインドに来てから水がこわくて
風呂に入るのをためらい、どんどん体が臭くなって行く。
そして終いには、脇からヨーグルトみたいな、
発酵臭がしだして、甘い匂いをくんくん嗅いで
自分が生きていることを確かめて生活していた。

インドの名物?ラッシーはまさにそんな
ヨーグルトみたいな飲み物。




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