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『ナラティブ』梶原さい子

 第四歌集。456首。東日本大震災の後の日を生きる。仮設住宅の撤去、未だ還らぬ遺体の捜索、101歳での祖母の逝去、祖父のシベリア抑留経験を辿る旅、定時制高校で働く日々。現実を淡々と語る。〈ナラティブ〉は「語り」。自己の声、他者の声を語る歌集。

水槽は海 海ならば波は来て死にしわたしがガラスに映る

 水族館でペンギンやアザラシやラッコを見る。もちろん、それらの生物が飼われる水槽も目に入る。水槽は海の再現であり、もしかしたら、その海で震災の時に死んだかも知れない自分がガラスに映っている。楽しい行楽の日にも貼りつくように死の意識はそばにある。

届かざるとどかざるとどかざることを思ひて草のかなた 対岸

 どこまでも水に浸かっていた地域。今は仮設住宅が建っている。その中を流れる川は、あの日の海に繋がっている。石を投げても対岸は遠い。投げた石も届けたい思いも対岸には届かない。多分、距離だけでなく、時間にも隔てられているのだ。

鳥なのか獣なのかと訊かれゐる挿絵おそろしをさな心に

 子供の絵本では、鳥には鳥のふり、獣には獣のふりをするこうもりは、卑怯者の代名詞のように扱われるが、そのように自らを何者かと問い詰められることの怖ろしさを作者は子供の頃から感じていたのだろう。そして、現在、ベランダの古タイヤの中にこうもりが巣を作っていた。黒い色を纏って飛び交うこうもりに喪服や祖母の着物を連想する。死んだ祖母はこうもりのように空を飛んでいるのか、という思いが連作で詠われる。

檻の向かう覗いてゐたりしやがむのは小さきわたしと小さきおとうと

 震災で海水に浸かったレジャー施設「南三陸シーサイドパレス」の撤去が決まった。幼い頃、作者と弟は母に連れられ、何度も遊びに行ったのだろう。今でも動物園の檻の向こうにしゃがんでいる幼い自分たちが見えるように思うのだ。心の中の思い出が剥落していくような寂しさ。

走るたび小さく打ちけむランドセルその持ち主のやはらかき背を

 「津波流失物」の一連から。このランドセルは、津波の後に見つかったものを集める収蔵室に保管されている。落としても落ち切らない泥にまみれたランドセル。初句・二句から、元気に走っている小さな小学生が目に浮かぶ。かつては子供の背で軽く跳ねていたのだろうランドセルは、誰も引き取りに来ないまま、五年が経過し、焚き上げられようとしているのだ。

石塊の数かぎりなしもしかしてもしやもしやと拾へる眸(ひとみ)

 まだその身体が見つからず、死者としても数えられていない人々を探す現場。もしかしたら、これが家族の、友の身体かも知れないと思って掘り続ける。そう思ってみれば石の塊は数限りなく、探す日々も限りが無い。心に区切りをつけることができない苦しさ。

ああひとは生まれて死ぬるそのなかにたとへば銀の振り香炉買ふ

 シベリアに抑留された祖父の足跡を追って作者は極東ロシアを訪れた。鎮魂の旅ではあるが、レーニン像、正教会などの語彙に、異国の風物を味わう、旅の心躍りも感じる。「銀の振り香炉」はおそらく正教会の儀式で用いられるものだろう。祖父の抑留された地であるがその地の人々は普通に日常を生きている。作者もその生のある一日に、異国の地を訪れた記念に、振り香炉を買っているのだ。歴史の断面と日常の交差。

同じ向きに並びて座り同じ向きに眠りたる日々細胞(セル)のごとくに

 四年間仮設住宅であった場所が再び更地に戻された。人々は仮設を出て、一歩一歩日常に踏み出していった。しかし仮設に暮らした記憶は消えることは無い。まるで細胞のように細かく区分けして並べられた仮設で、人々は身体の動きさえ似たようなものにならざるを得なかったのだ。

たくさんの目が見ひらいてゐると思ふシンクに水を細くこぼせば

 海に流され死んでいった人々。多くはまだその身体が還って来ていない。台所のシンクに細く水を流せばそれは海に繋がり、海で漂う人々の見開く眼に見つめられるのだ。たくさんの目は、作者の身辺近くに見開いているようにすら思える。

沖からはどう見えてゐる人形(ひとがた)をあなたへ向けて流すわたしは

 心身の穢れを人形へ移し、海へ流す。海で死んでしまったあなたへ向けて流すような気持ちでいる。あなたからそんなわたしはどう見えているか、あなたへ問いかける作者。人形は思うように穢れを浄めてくれるのだろうか。

砂子屋書房 2020年4月 3000円+税


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