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堀静香『みじかい曲』(左右社)

 第一歌集。約10年間の作品を収める。「きみ」に向ける気持ちがストレートで心地良い。一冊を通して、平熱を保ち、大仰さを廃した、さりげなく明るい詠い口だが、その底にどこか翳りがあるようにも思えた。結婚、二人の生活、妊娠、出産、子育て、とほぼ時系列に構成されているが、最後の子育ての部分がやや駆け足で、子どもの小さい頃の歌をもう少し読みたいと思った。
 語彙の豊かさに注目した。身巡りの風景や、小さな出来事、またそれにともなう感情が、豊富な語彙を使って的確に描写されている。また語彙を活かした比喩の面白さにも惹かれた。

一日のほんのすこしを降るだけで雨だったって言われるように(P12)
 今日は雨だった、とは言うものの、降っていたのは一日のほんのすこしの間だけ、ということはよくある。それと同じように、ほんのすこし、だけなのにそれが全体に当てはめられることもよくある。すこし泣いただけなのに、ずっと泣いていたように言われたり、など色々思い当たる。それが実際に何だったのか言わないで言い差しで止めているところに余韻がある。

手加減なしのきみの抱擁 そうだった今朝またこんなにまぶしい朝日(P38)
 初句の「手加減なし」から若々しく力強い印象を受けた。相手の手加減の無さを「そうだった」と反復している。朝になればまたまぶしい朝日が部屋の中に差し込んでくる。抱擁も朝日も外から来るものとして捉えられている。一首に「そう」「こんなに」と指示語が二つあるが、どちらも上手く機能している。また後の頁に「ホーローのやかん磨いているときの力強さできみを抱けたら(P77)」という一首があり、抱擁の身体感覚を通して「きみ」との交歓を求める気持ちが描かれている。

いまを手に入れてうれしい ポケットの中で固まるカイロをほぐす(P39)
 人の思考は過去や未来に囚われがちなので、今を大切にできる気持ちは貴重だ。主体は上句の素直な口調で自分が「いま」を手に入れていることを喜び、下句に自分の動作を添える。使い捨てカイロが冷たくなると固まってしまうが、それを手持無沙汰な感じにほぐしている。その具体にリアリティがある。

そうだと気づく春は突然アイロンビーズひっくり返したようなあかるさ(P53)
 初句の「そうだ」は何を指しているのか。春が来た、ということを実感を持って「そうだ」と気づいたのか、それとも他の考え事の答えを「そうだ」と気づいたのか。どちらにしてもその気づきは快いものだったのだろう。表からアイロンをかけて固めたアイロンビーズを、裏からもアイロンをかけるためにひっくり返す。その時の色彩感の明るさが、春の比喩となっている。突然、の驚きも含めて、とても新鮮な比喩だ。7・7・7・8・7の重めの韻律だが、内容からか、軽やかに響く。

カステラがそのまま走っているような二輌編成の列車が止まる(P58)
 黄色と茶色の車体で、コロッとした四角で、小さくて、たった二輌編成。そんな列車が止まる。「きみ」と暮らし始めた町の無人駅だ。上句の比喩がおもちゃの町のような愛らしい印象を与える。それはそのまま主体の町への愛着の表出でもあるのだろう。この歌と前掲出歌を含んだ連作「夜間係留」は、町の描写と「きみ」への想いがバランス良く描き出された、読み応えのある一連だ。

ふいに綿毛が目の前にきて目で追えば乾いた朝の横断歩道(P80)
 何かの植物の種をつけた綿毛が浮遊している。それが信号待ちの一瞬ふいに主体の目の前に現れた。その動きを目に追って行くと、自分の前に続く横断歩道へと流れていく。晴天続きの乾いた空気感。細かい筆致で朝の一コマを描き出す。

自販機の下半分が缶コーヒーみたいなつまらなさの八月よ(P103)
 夏が始まる前のワクワク感はとっくに消え、ある程度、夏のイベントも終わった八月後半と取った。自販機の下半分が全て缶コーヒーで、バラエティが無くつまらない。主体の持つ8月のカレンダーもそんな感じ。お盆の後はもう普通に仕事ばかりが並んでいる。比喩の面白さが味わえる一首。

無音のままのテレビのひかり見つつ剥く滴るほうを手渡しながら(P122)
 テレビを何となくつけているけれど音は消している。そのテレビの画面を見ながら梨を剥く。番組を見ているわけではなく、画面からこぼれる光を見ているだけだ。果汁に溢れた梨を半分に割って剥く。先に剥いた、果汁の滴る方を相手に手渡す。ゆったりした夜の時間が流れて行く。

公園のどの池でみるどの鯉もこころを映したりしないから(P147)
 ~には自分の心が映し出されているようだった、という文学的お決まり表現。主体は自分の目を通して見たものを脚色したりしない。公園にある池のどの池の鯉を見ても、それはただの鯉。そこに自分の心が映ったりはしない。鯉は鯉の生を生き、主体はそれを眺めているだけ。「~しないから」の言い差しが、そんな前提で歌を作ったりはしない、という宣言のようだ。

書かないことはあってもよくて、ながいことほそい蕾のままの木蓮(P155)
 心に浮かんだことを全て、短歌や散文に書くわけではない。アンテナを張って、色々なことをたくさん書いた方がいいだろうけど、書かないことだってある。それはそれでいい。木蓮は咲いたら華やかに開き、一週間ほどで散る。けれどそれ以前には、細い蕾のままで長い時間を過ごすのだ。いつか花が咲くように、心に留めている何かを表現するかもしれないし、しないかもしれないのだ。

 翳りと言っておいて歌を挙げていないので、何首か。
ゆるされなくてもよかったけれどじっと見つめる長い青信号の点滅(P62)
やさしい人をあまり好きではないという指さきで折りたたまれるお札(P67)
みんながみんなだれかを疎んでいるような曇りの昼のこのちぎれ雲(P142)

左右社 2024.6. 定価:1800円+税

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