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佐クマサトシ『標準時』(左右社)

 第一歌集。2010年から2023年までの歌を収める。韻律の切れ目に迷う。五七五七七では切れない歌が多い。そこで引いた全ての歌に韻律の切れ目を入れておいた。これは私がそう読んだ、というだけで異論もあるだろうし、私自身も読む度に迷ったりしている。また歌の内容も、分かったり分からなかったり。意味が分からないというより、なぜ短歌にしたのか、意図が分からないなどと思ったりした。構成は、連作というよりは一首ごとの歌に見える。
 そこで本冊に対しては、十首評ではなく、幾つかの項目に分けて考えてみた。
 
1 硬い言葉・・・哲学用語のような硬い言葉が使われている。といって内容が哲学的とは限らない。どうしてこんな硬い言葉が使われるのか気になる。
今ではもう、あなたは横断的に語ることができるし、理解することもできる
(今ではもう、/あなたは横断/的に語る/ことができるし、/理解することもできる 6・8・6・7・11)
 もう、枠組みに囚われず、話したり理解したりできるよ、という内容。「横断的」が硬い。そして「今では」がどんな条件を指すのかが不明。何かを相手に説明してあげて、相手の精神を自由にしてあげた、という前提を感じた。
まったくこんな朝に芸術は応用されて私たちの生活を彩る
(まったくこんな/朝に芸術は/応用されて/私たちの生/活を彩る 7・8・7・8・7)
 生活を豊かにしてくれる芸術。こんな朝でも食器やタオルなどに美しさを感じて、生活の彩りを感じている。「芸術は応用されて」が硬い。唐突に「まったくこんな朝」と始まるが、これにはあまり違和感は無い。朝っていつも「まったく…」と呟きたくなるからだ。
駆けていく猫はわたしの認識の外に向かって駆けていくのだ
(駆けていく/猫はわたしの/認識の/外に向かって/駆けていくのだ 5・7・5・7・7)
 定型。「認識の外」が硬い。猫が自分の目が届かないところへ行ってしまう、という具体的な内容のようでもあり、猫という存在が自分の理解を越えたものだという抽象的な内容のようでもあり。
仮想敵がいるんだろうなって口ぶりにしては美味しすぎるビスケット
(仮想敵が/いるんだろうなって/口ぶりに/しては美味し/すぎるビスケット 6・9・5・6・8)
 この作者に限らず、下句が7・7ではなく6・8という歌を最近よく見るように思う。ざっくり14音という理解だろうか。
 「仮想敵がいる」が硬い。「いる」は「存在する」ではなく「必要だ」、と取った。仲が良くない者同士が団結するには、仮想敵が要るんだろうな、と相手がしゃべっている。「仮想敵」なんて戦いを思わす話の内容にしては、ビスケットは上等でおいしい。そこに落差を感じる主体。

2 下句が三拍子 下句を7・7→14ではなく、5・5・5→15と取った方がいい韻律。まるでワルツのように。ところが、きっちり5・5・5という訳でもない。
外国の言葉で僕は飛行機が遅れている理由を聞いていた
(外国の/言葉で僕は/飛行機が/遅れている/理由を/聞いていた 5・7・5・6・4・5)
 下句が6・4・5と取った。10・5、あるいは6・9と取ってもいいのだろうが、意味の切れ目から切ると、三拍子になってしまう。全体に散文に近い印象。語順を変えると多分、短歌っぽくなるのだろうが、それはそうしないんだ、と思った。
真っ白な食器を新聞紙で包む 新聞紙に貨物船の写真
(真っ白な/食器を新聞/紙で包む /新聞紙に/貨物船/の写真 5・8・5・6・5・4)
 下句6・5・4。これも6・9と取ってもいいし、「新聞紙に貨/物船の写真7・8」と取ってもい。そう取ると従来の韻律に近くなる。
グリーティング・カードの凝った紙細工 PEACE って書いてあってそう思う
(グリーティング・/カードの凝った/紙細工/ PEACEって/書いてあって/そう思う 6・7・5・5・6・5)
 下句5・6・5。これも「PEACEって書いて/あってそう思う8・8」だと従来の韻律に近くなるが、それだと物足りなく感じてしまう。凝った紙細工のカードを見ながら、確かに平和って大事だよね、という認識を持ったのだと取った。

3 時制の表し方・・・時制の表し方は、おそらく認識した順番に、整理せずに歌にしているのだと思う。つまりは意識の流れのまま、ということだ。
空の瓶があってそれをかっこいいと思うさっきまでいた建物の前で
(空の瓶が/あってそれをかっこ/いいと思う/さっきまでいた/建物の前で 6・9・6・7・8)
 韻律的には下句が定型に近い。時間の流れとしては、上句下句の倒置と取った。散文で書くと、「さっきまでいた建物の前で、そこにあった空の瓶をかっこいいと思っている」となるだろうか。認識としては、上句までを現在として、そう言えば、さっきこの建物の中にいたな、と気づいた、という順番だろう。
広告が車体を覆っているバスが右折していく、いま、目で追う
(広告が/車体を覆って/いるバスが/右折していく、/いま、目で追う 5・8・5・7・6)
 ほぼ定型で、結句の字足らずに不全感がある。それが臨場感だと言えばそうだ。「広告が車体を覆っている」というのはバスの形容なのだが、最初から読むと、「広告」が主語で、「車体を覆っている」という述語に見えてしまい、「バス」まで来て、バスの形容と分かるが、そこに動作があるように見えて、次の「右折していく」と二つの動作の順番のような錯覚を受ける。英語の関係代名詞節をそのまま訳したような語順だ。
150年ほど前に描かれた(いま見てる)風景画の中のクルミの木
(150年/ほど前に描かれた/(いま見てる)/風景画の/中のクルミの木 7・9・5・6・8)下句「風景画の中の/クルミの木 9・5」でもいい。ざっくり14ということだろう。
 「150年ほど前に描かれた」風景画、「いま見てる」風景画と形容が二重になっている。時間の順番は書かれた順番だが、カッコに入れて、二つ目の形容を申し添えているような書き方が面白い。しかも言いたいのは風景画そのものではなく、その中のクルミの木、なので、何度も絵を確認しているような気持ちになってくる。

4 従来的な歌・・・韻律的に大きな破調が無く、内容も私が知っている短歌的な読みが通用しそうだ。こうした歌を十首集めて十首評しても良かったんだけど、それではこの歌集を読んだことにはならないかなと思って、1~3までを書いてみた。
やがて家が建つのであろう土地に鳥 私が葉書を出した帰りに
(やがて家が/建つのであろう/土地に鳥/ 私が葉書を/出した帰りに 6・7・5・8・7)
 葉書を出しに行って帰りに気がつくと、分譲地のようなところがあって、もう家が建つらしいことが分かる。けれど今はまだ更地でそこに鳥が来ている。時制の倒置があるし、きっちり定型でも無いが、定型に近い。内容も十分に分かり、味わえる歌。
自分もいつかそうなるかもしれないニュースがやっていて続いてはスポーツ
(自分もいつか/そうなる/かもしれない/ニュースがやっていて/続いてはスポーツ 6・4・6・9・9)
 韻律は破調だが、内容は共感できる。悲惨なニュースを見ていて、自分の身にも起こりそうだと思っていると、テレビのアナウンサーが「続いてはスポーツです」と言い、空想はそこで途切れる。日常の一コマを切り取っている。
誤解された気がするけれどあえて言うほどのことでもなく池に蓮
(誤解された/気がするけれど/あえて言う/ほどのことでも/なく池に蓮 6・7・5・7・7)
 句跨りはあるが、ほぼ定型。誤解されたようだが、正すほどでもない。結句に景色と植物が来るのが、従来の短歌のパターンなのだが、この歌集で見ると、奇妙にダメ押しに響く。
庫内灯点いて消えつつ時間とはつねに真冬の、いいえ、真夏の
(庫内灯/点いて消えつつ/時間とは/つねに真冬の、/いいえ、真夏の 5・7・5・7・7)
 定型。冷蔵庫を開けると庫内灯が点く。閉めようとすると消えていく。自分の過ごしている時間とは。この扉を開けた時のようにいつも真冬のようでもあり、冷蔵庫を包む真夏のようでもある。「時間とは」の思索が1の「硬い言葉」の使用に通じるのかも知れない。

左右社 2023.6. 定価:本体1800円+税

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