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「運慶と快慶」を見て、リーダーと職人の生き方を考えた

少し前に(7月29日)放映されたNHKの「運慶と快慶 乱世が生んだ美の革命」を見て考えた。

運慶と快慶は誰でも知っている。日本史で学んだし、東大寺の金剛力士像はほとんどの人が一度は見ているはずだ。

私も知ってはいたが、自分の知識の不確かさに驚いた。私は何となく二人をセットで覚えていて、親子だと思っていた気がする。しかし、全く違った。無知! 運慶は工房の代表であり、快慶は同じ工房の一仏師にすぎなかった。ただ二人とも天才であった。ライバルであり、認め合った関係だった。

二人は工房の皆とともに、みごとな東大寺の金剛力士像をわずか69日で作り上げた後、道を分かつ。このあと、二人でつくった仏像はないという。

番組の内容はここに。

二人がたもとを分かったのは、信仰の違いでもあり、生き方の違いでもあった。

運慶は源頼朝に近づくこととなり、そのもとで仏像を作る。武士にふさわしい、エネルギッシュで力強い像を形作っていく。

一方、快慶は強い信仰を持ち、民衆のために仏像(阿弥陀仏)を作り続けたという。浄土宗の始祖・法然とも関係が深かった。彼は優美で穏やかな仏像を作っていく。また彼自身も僧侶でもあった。

貴族や武士のためではなく、一般の人々のために仏像をつくる。それまで拝む仏像を持てなかった庶民のために、阿弥陀仏を彫る。名もなき民のために寄り添うその生き方は美しく、心にしみる。


運慶は幕府の下で仕事をしていく。だが、私は運慶を権力におもねったとは思っていない。運慶が新しい時代の権力者の依頼で仏像を作ったなら、完成度の高いものを作れたはずだ。

工房の職人たちに仕事を与え、教える。率先して作り、技術を編み出した。

自分の工房の職人たちを率いて、みながいるからこそできる大きな仕事をする。当時貴重な顔料や木材などいい材料を得て、素晴らしい仏像を作っていく。そしてふさわしい場所に置かれる。だから私たちは今、「運慶の作品」として知り、見ることができる。これはとても大事なことだ。

運慶は芸術家であるとともにリーダーであったのだ。

その両方の力を持つ、稀有な存在だっともいえる。


快慶は民のために生きることを選んだ。それは職人であり、人に寄り添う共感性の高い生き方だ。生涯、現場主義という見方もできる。


この二人の生き方は、現代でも人が目指したい二つの道を表している。

運慶は力強いリーダーシップ。

快慶は何というのだろう、一言では難しい。人に寄り添い、人々のために尽くす。アフガニスタンのために尽くした中村哲医師のようだ。

私は快慶の生き方のほうにより惹かれる。そういう人になりたいとも、そういう人にいてほしいとも願う。なるほうに関してはかなり難しいけれど。

でも運慶のような人物に、出てきてほしい。今の時代に必要とされている気がする。

時代の変革期には天才が出る。平安末期から鎌倉への時代の激動の中で二人は生きた。

二人はともに天才的な芸術家であるという特殊性はある。だからこそ、その生き方の違いが際立つ。時代を超えた生き方を考えた。

晩年、運慶は息子の湛慶を快慶に託した。そして湛慶もまた見事に三十三間堂の千手観音像などを作っていく。お互いに認め合い、信頼しあった関係がそこに現れている。

美しいものを見た。

あらためて二人を思いながら、奈良の東大寺の金剛力士像を見たい。








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