[小説] リサコのために|064|十三、再戦 (4)
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これには全員が度肝を抜かれてあんぐりと口をあけて見上げるしかなかった。
さすがの良介も驚いている様子だった。本当にここに何があるのか解っていなかったようだ。
良介が不安そうな表情でリサコの方を見た。
リサコは眉間にシワを寄せた表情で小さく首を振った。
…私にも解らない…。
「今までで一番遅かったよね」
「来ないのかと思ったよ」
巨大な《体系》は相変わらず交互に喋った。
軽い口調が実に《体系》らしく、そして狂気に感じた。
「じゃ、はじめようか」
「リサコ、おいで」
舞台の上にぎゅうぎゅうに体を押し込めたまま、たぶん女の方が少し足を動かした。
彼女の股の間にかろうじて隙間ができる。
「ちょっと待って。これから何をするのかまるでわからないんだけど」
リサコは脳裏の裏、《表層の店》に待機している交代人格たちの様子にも気を配りながら言った。
リサコの中にも《体系》がいる。《表層の店》の面々は《体系》を取り囲むように立っていることが覗い知れた。
リサコの中の《体系》は知らぬ存ぜぬの態度を貫いているようだった。
「入ったらわかるよ」
「説明しても理解できない」
巨大な《体系》たちは問答無用で事を進めようとしているようだった。
リサコは彼らに従うしかないことを悟った。
「わかった。行く。行くけど、いま武器を持っているのは私だけなの。その先には危険はないの?」
胸に抱いた刀をぎゅっと抱きしめながらリサコは言った。
またあのヤギとの闘いみたいなことになったら、今度こそ全滅かもしれない。
「大丈夫、ダイジョブ」
「戦うのはリサコだけだから」
《体系》がいかにも楽しそうに言うと、巨大な女の股の間から普通の人間サイズの腕が五本伸びて来た。
良介が咄嗟に判断してリサコの体を抑えた。
腕は異常なほどにスルスルと伸びて良介以外のメンバーの胸倉を掴んだ。
三メートル以上はあるかというほどの長さの腕だ。
リサコたちは腕に引っ張られてずるずると舞台の方へと引きずられた。
「まて、行くなら俺も行く!」
唯一腕に掴まれていない良介が叫んだ。
「ダメだ。良介、お前には別の対応がある」
「大人しく待ってなさい。リサコはあとで返すから…あ、返すと思うから」
伸びて来た腕は恐ろしいほどに怪力で、リサコたちを《体系》の股の間から舞台の奥へと引きずり込んでしまった。
抵抗するオブシウスたちの声と、リサコの「放して!」という声が最後に体育館にむなしく響いた。
そして彼らは消えてしまった。
良介は慌てて巨大な女の股の間に入ろうとしたが、そこは既にびったりと閉じてしまってびくともしなかった。
リサコたちの気配は全く感じられなかった。彼らは良介が把握できる範囲から外れてしまったのだ。
良介は必死になって《体系》の体の隙間に潜り込もうとした。
「おい、良介。いくらお前でも私の股をこじ開けるのはダメだぞ」
「お前は女の股をこじ開けるような奴じゃないだろう?」
巨大な《体系》の体はびっちりと舞台に収まってしまってびくともしなかった。
「俺だって女の股をこじ開けるくらいはするよ」
良介はうなだれて、今度は体系の足にすがるように力なく体を預けた。
「リサコを返して。リサコを連れて行かないで」
良介は泣き始めた。リサコを取り上げられて、自分がこんなにも情緒不安になるとは驚きだった。
しかしどうしようもなかった。
良介は母親から引き離された子供のように泣いた。
「まあ、そんなに泣くな」
「気の毒な奴だな」
「ほら、管理者がおでましだよ」
「彼と話をするといい」
振り返ると、いつのまにか体育館は照明が消えて真っ暗になっていた。
中央の何もないところにスポットが当たっていた。
その光の中に、ゆっくりと今、ひとりの少年が歩いて姿を見せたところだった。
「やあ、良介。随分とご乱心だね、めずらしい」
少年は見た目にそぐわない大人びた口調で言った。
良介は少年に向き合って立った。
向き合って立つと、二人はそっくり瓜二つだった。
良介自身も今は少年の姿になっているので、向き合って立つ二人はまるで鏡に映った二人のようだった。
「リサコを返してください」
良介は力なく言った。
「まあ、まあ。今はその話をする時じゃないでしょう?」
少年は無慈悲に言った。
「何をするつもりですか?」
「解っているだろう?」
「何もわからないですよ父さん」
良介に父さんと呼ばれて少年はフンと鼻で笑った。
「私のことは思い出したのか」
「リサコをどうする気ですか?」
「どうもしないよ。お前はリサコと一緒にいてどうしたいんだ」
良介は少し黙って考えた。リサコとどうしたいか? 考えてみるとよくわからなかった。
とにかく彼女が側にいないと不安なのだった。
「彼女とどうしたいのかよくわからない…彼女がいないと自分が不完全なような気がする」
今度は管理者が考え込んでいる様子だった。
「ふむ。…恐らく、それが、たぶん、どうやら、感情ってやつなんじゃないかな?」
管理者がコツコツと靴音をたてて良介の周りをゆっくりと歩いた。
彼が歩くと、自然とスポットライトも彼についてまわった。
「どうやら、良介。君はついに、人間になれたということかもしれないよ」
良介はこれにはどう反応してよいのか解らず黙っていた。
「まあ、それはさておき、さっきも言ったとおり今は少し別の話をしたい」
「何の話をするんです?」
良介が対話する意思を示すと、管理者は「ふむ」と頷いて空中に図を出した。
「カオスだよ。カオスについて話をしよう」
管理者が出したのは良介もこれまで何度も確認してきたこの世界の図だった。
「見てごらん。すごいグチャグチャじゃないか」
良介は図を見上げた。まとまりのない世界。それぞれがバラバラで好き勝手に動いている。
さらにそこにヤギが開けた穴がグネグネと走っていた。
「グチャグチャですね…」
「これこそカオスじゃないか? なあ、カオスだと思わないか?」
管理者は良介にカオスだと言わせたいようだった。
「カオスいうにはまだほど遠い気もしますけど」
良介はあえてそう言った。そもそもカオスが何なのかよく解らなかった。
「ずっと君たちを観察していたけどね、実に支離滅裂じゃあないか。それがカオスじゃなくて何だと言うのだ」
「知りませんよ」
「私は結構気に入ったけどね。クラウドに保存してもいいと思うほどだ」
管理者は世界の図をうっとりと眺めた。
「俺はどうしたらいいんですか?」
教えてくれるとは思えなかったけれど、良介は管理者に訊ねた。
自分を作ったのはこの人だということはわかっていた。
だけれども、何を目的で作ったのかわからなかった。
この世界を修復するために作られたのかと思っていたのだけど、良介がやったことは結局この世界をぐちゃぐちゃにしただけだった。
「良介、お前は鍵だ。お前はキーパーソンだ。うまいこと言うだろう? 人間の言い回しだ。比喩ってやつだ。だけど、お前は同時に本当に鍵でもある。鍵は鍵だけじゃ何にもならんだろう。わかるだろう?」
「…わからない…」
良介の返答に管理者はうんざりしたような表情をした。
「わからないのか? 鍵には穴が必要だろう? 良介、おまえはリサコとセックスしたいと思うか?」
唐突な質問に驚いて良介は答えるのを躊躇した。
「それ、何の関係があるんです?」
「関係大ありだ。セックスがしたいのか、したくないのか、それが問題なんだ」
良介は両手で顔をかくすと「したいよ」と小さな声で言った。
「やっぱり、ほら、だから言っただろう」
管理者は誰に言っているのかよくわからない感じで言った。良介に言ったのではないように思えた。
「したいと思うのは当たり前でしょう? ほっといてくれません?」
これ以上この話題を引っ張られるのは勘弁してほしいと思い良介が言った。
だが管理者はますます身を乗り出してこの話を続けたいようだった。
「いや、当たり前ではないのだよ良介。君は実に特異だ。これまでもそうだったけれど、ますます特異だ。なぜなら統計に基づく行動の選択ではないからだ」
…統計に基づく行動の選択…。その言い方が良介は好きになれなかった。
良介が黙っていると、管理者が話を続けた。
「良介、お前はいろいろ気にしないで自分がしたいことをすればいい。この世界はもう破綻している。修復不能だ。セックスしたいならすればいい」
「いやしかし、《体系》が…」
良介は舞台の方に視線を動かし、そこにぎっちり収まっている《体系》を見た。
照明が落とされた暗がりの中で巨大な体系はじっと固まっているようだった。
「あいつのことは気にしなくていい。二重処理だからなのか何なのか、性的コンテンツは全てダメって言っているだけだ。反対に性的コンテンツがダメだから二重処理なのか? まあ、どっちでもいい。どっちにしろ私には理解できない」
「リサコの精神が壊れるからじゃないんですか? そう言っていたような気がしますが」
「いやいや、違うよ」
良介はあっけに取られて舞台の《体系》の方を見た。
暗くてよく見えないが、男の方の眼がギロッとこちらを見たような気がした。聞こえていないフリをしながら話を聞いているのだろう。
「なんだよ…リサコのためじゃないのか…」
良介は《体系》に対して怒りの気持ちが湧くのを感じていた。
…だがしかし、それが結果的にリサコのためになっていたことも事実だった。
「まあ、今回は割と合格点かもしれない。理想のカオスと言ってもよい。ジャッジする者はとっくにいないけれどね。良介、君はあの扉の向こうで待っているといい。私の予想では、リサコはきっと戻って来るよ」
管理者が指さす方を見ると、非常口のランプが灯っていた。その下にドアがある。
あそに行けばリサコに会える気がした。良介はドアに向かって歩き始めた。
「じゃあね、良介。また会える時を楽しみにしているよ」
後ろで管理者が言った。
「じゃあまた、父さん」
良介は振り返らずに言った。きっとまた会う時はいろいろ忘れているだろうなと思った。
なにしろ良介は鍵なのだ。扉が開けば鍵の役割はおしまいだ。
管理者が示したドアは本当にただの非常口に見えた。
良介はゆっくりドアノブを回すとドアをあけ、中に入った。
(つづく)
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