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日本の100名城制覇!(千葉県編/佐倉城、本佐倉城、大多喜城)

【佐倉城】

佐倉城は、京成佐倉駅から徒歩約20分の場所にあり、「日本100名城」に選ばれています。

地元豪族の千葉氏の一族が築城をはじめ、1610年に土井利勝が入封して大修築しました。

石垣を用いず、すべて土塁で曲輪や掘割などが築造されました。

以後は、江戸の東を固めるお城として代々有力な譜代大名の居城となり、幕末期の藩主・堀田正睦を筆頭に歴代城主の多くが老中など幕府の要職に就きました。

現在、本丸跡は佐倉城址公園として整備されています。

そして、佐倉城址公園には日米修好通商条約を締結した堀田正睦とタウンゼント・ハリスの像が建立されています。


ちなみに、佐倉城から徒歩5分ほどで国立歴史民俗博物館に行けるので、お城に訪れる際は博物館に立ち寄ることもオススメです。

【本佐倉城】

本佐倉城は、京成本線「大佐倉駅」から徒歩約10分の場所にあり、「続日本100名城」に選ばれています。

下総守護の千葉輔胤によって文明年間(1469~1486年)に築城されました。

輔胤は享徳の乱に端を発する関東動乱のなかで千葉氏の家督を継ぎ、千葉氏の居城であった千葉城が戦場となって荒廃したため、新たな居城として本佐倉城を築きました。

以後当主9代が居城して栄えましたが、1590年に転機が訪れます。

豊臣秀吉が小田原攻めを行い、小田原北条氏の支配下に入っていた千葉氏も北条氏とともに滅亡しました。

現在、本佐倉城は、貴重な文化財として国の史跡に指定されています。

【大多喜城】

大多喜城は、いすみ鉄道「大多喜駅」から徒歩約15分の場所にあり、「続日本100名城」に選ばれています。

大多喜駅のホームでは、さっそく本多忠勝が出迎えてくれました。

本多忠勝像

中世の大多喜は、史料のなかでは小多喜(おたき)とされ、大多喜城も小多喜城と呼ばれていたようです。

一般的には、1590年の豊臣秀吉による小田原平定後、本多忠勝が小多喜城を大改修して大多喜城を築いたと考えられています。

ちなみに、大多喜城に向かう道中、「本多忠勝を大河ドラマに!」という幟がたくさん掲げられていました。

城主は、本多氏のあと最終的に松平氏に引き継がれ、松平氏が9代続いたあと明治の廃藩置県を迎えました。

大多喜城の天守は荘厳ですごくかっこよかったです。

大多喜城

ちなみに、千葉県にはこんなにたくさんのお城があるようです(スゴい!)

YouTubeにも動画を投稿したのでぜひご覧ください🙇


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