「町田」にまつわる私の思い出
いつも面白い旅行記を書かれているやんさんの記事を読んでいると、「町田駅」が出てきて、思わす昔の事を思い出しました。
数えてみると、今から45年も前にもなる事に驚愕しながらも、古い記憶を辿って今回の記事を書かせていただきます。
私がまだ17歳前後の頃、この駅に何度が降り立ったことがあります。
当時の駅の様子はあまり記憶に残っていませんが、やんさんの記事内にあるような雰囲気ではなかった事だけはわかります。
その頃、父が内装施工会社、いわゆる工務店を立ち上げて、東京と大阪を拠点に展開していました。
同じ業種のサラリーマンだった父は独立して間もない頃で、ほとんど大阪の自宅には帰らず、1年の大半をこの町田で過ごしていた時期がありました。
私も事務手伝いとして何度か通いましたので、その頃の様々な思い出を、気ままに書き出してみます。
PC担当としてアルバイト通い
社会人に混じってPC講習
高校1年の夏休みに大阪のオフィス街の一つ「本町」でPC操作の講習を受けに行くように父から言わます。
当時は、なぜ私なのか疑問は湧きましたが、世間知らずなりにも、父も身内に事務を任せたいのだと思い、夏休み中に開催されていた「内田洋行」のコンピューター講習に参加しました。
もちろん高校生は私一人。
他はすべて社会人で、一般家庭にはまだPCはなく、それどころか一般企業にもまだ浸透していない時代です。
参加した人全員は全て初心者で、年齢に関係なくみんな同じスタートラインでした。
私がまだ高校生だと知ると、周りからは大変驚かれたのですが、とても気にかけて可愛がってもらえた上、講習内容も、当時の私にとってはすぐに夢中になれるものだったので、5日間の研修は楽しく充実したものでした。
事務員のパートさんではなく、わざわざ高校生の私にPC講習を受けさせるなんて、最初こそ二の足を踏みましたが、後になって思うと、まずは娘に最新の技術を学ばせたいという親心もあったのかなと思います。
とはいえ、大阪の高校に通う私が毎日出勤できるわけもなく、主に使うのは事務員さんだったのですが、私も、しばらくは長期休みになると、一週間単位で通っていたのです。
大きいだけでできることは少ないPC
もちろん、インターネットもWindowsもまだない時代。
私は「MS-DOS」だと思い込んでいましたが、今調べてみるとそれもまだない頃でした。
図体ばかりデカくて、容量も小さく出来ることも限られた、ただの集計機器のようなもので、小さいモニター画面に緑の字のPCでした。
これよりもまだ古い機種で、データ記録には約20cm四方の大きな8インチフロッピーを使い、モニター、本体、プリンターと合わせると、6畳ぐらいの一部屋を使ってしまうほどのスペースが要りました。
この頃を思うと、今使っているノートPCなど、まるで夢の賜物です。
そして、エラーや誘導の文面も今のように日本語ではなく、英語だったので四苦八苦した覚えがあります。
そう、大きいだけでまるで使えないヤツでした。
大阪人として驚いたこと
1,大阪弁にいちいち反応
今の東京ではそんな事はないですが、東京のしかも郊外の町田界隈では、45年前は大阪人は珍しかったのでしょう。
それまで小学校時代から、父がサラリーマン時代にも何度か東京出張があったので、遊びに来たりもしていました。
小学生の時には気にならなかった事も高校生ともなれば、周りの反応に敏感に気付くようになり、いろんな驚きがありました。
・電車内で注目される
ある日、2歳下の妹と電車内の座席で会話をしていると、いつしか周りの人たちが私たちに注目している事に気付きました。
ある人はつり革を持ったまま顔だけを出して、ある人は振り向いて、またある人は体を曲げて隙間から、完全に私たちを見ているのです。
いやいや、決して大きな声でオーバーな会話をしていたではありません。
ただ普通の大阪弁でのやり取りです。
なんでやねん。
ちがうっちゅうねん。
ほんだらこうか?
ちゃうちゃう。
ほんまになぁ。
アホちゃうか。
などなど、大阪だと誰もが普通に使う言葉での会話です。
後日、会社の事務員さんに話すと、
「きっとそれは漫才師かと思われたんじゃない?
だって、私が聞いてても時々笑いそうになるもの。」
と笑顔で言われたのです。
いやいやいや~
普通やから!
素人の日常会話やから!
父などは、周りの目などいっさい気にせず、「でんがな、まんがな」と船場言葉寄りの大阪弁を使いまくっていたのには、さすがにちょっと引きましたが。
2,肉屋に牛肉が並んでいない
商売をしていた我が家は母も忙しい時があり、私は4人姉妹の長女だったので、中学生ぐらいから炊事をすることがありました。
ですから、町田の父の会社に出向いたときは必ず私が夕食を作っていたのです。
ある日、肉じゃがを作ろうと近所のスーパーへ買い物に行ったのですが、精肉店の陳列ケースを何度見ても「牛肉」がありません。
肉屋のおじさんも、私がウロウロしてなかなか注文しないので、不思議に思って声をかけてくれたのです。
「あの…薄切りの牛肉はないのですか?」
もちろん、イントネーションは大阪弁。
これもまた思いっきり大阪訛りなので、必ず聞き返すのですよ💦
2回目で通じて、なんと店奥にある冷蔵庫から肉塊を出してスライスしてくれたのです。
内心。うっそ~!
と驚きましたが、もう要らないとも言えず、大人しく買って帰りましたが、いったここでは肉じゃがとかすき焼きをしないのか?
豚肉でするのか?
それともこの町内だけのことなのか?
いろんな疑問が浮かび、あとで母に言うと、
「そやねん。言わな出してくれへんねん。
豚肉ばっかり食べてはるみたいやねん。」
豚肉が嫌いな母は本当に憎々しげに言っていました。
3,ざるそばの薬味に白ネギ
ラーメンやうどんの出汁が真っ黒なのは、すでに小学校の時に気付いていたのですが、高校生になって訪れた時にざるそばに付く薬味のネギが「白ネギ」だということにも驚きました。
関西では細い方の青ネギか小口ネギを使うので、すき焼きに入れるようなデカイ白ネギが刻まれていたので、面食らったのです。
関東で青ネギを使う事は少ないのかと、当時の私には小さなカルチャーショックでした。
私にとって「町田」とは
これらの事から、同じ日本でありながら、食べ物の素材や言葉が違う外国へ来たような錯覚に陥ったものです。
現在では、大阪のお笑いも浸透して、大阪弁自体も珍しくなくなったのですが、当時はまだ珍しかったようです。
ただし、いまだに大阪人は素人の一般人であっても通常の会話の中に自然にボケとツッコミがあり、お笑いのレベルや種類に違いはあるのかもしれません。
そういえば、長寿番組の「笑点」は私にはまったくウケません。
いったいどこで笑えばいいのかわからない💦
今となっては、新幹線の「新横浜」で下車したあとJR横浜線「町田駅」からどの辺りまで行ったのか、まったく忘れてしまい、住所さえも憶えていません。
しかし、「町田」と言えば、
使えない初期のコンピューターと些細な風習の違いというチグハグな事を同時に思い出してしまうのです。
※トップ画像はACよりDLしました。
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