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夏の終わりに思う事

先日、主人が、テレビで海のシーンになった時、
「またみんなで天神崎行きたいなぁ」
ふと言うので、ギョッとしました。

息子たちと”海”へ行きたいと言うのです。

そう言えば最後に家族で行ったのはいだったかと思い、写真のフォルダを確認してみると、どうやら2015年の8月が最後だったようです。

今から7年前なので、長男20歳、次男17歳。
なんや思ったより最近やん。。。

当時の息子たちも結構な思春期の年頃だったで、家族で行くことに多少の抵抗はあったようで、父親から無理やり懇願されて行くハメになったのを思い出しました。

もう無理やろ…
結局、あんたが一番行きたいだけやろ。。。


我が家定番の遊び場

息子たちが小さい頃はいろんな所に遠出して、海水浴に出かけました。

たしかこの日は近くの白浜で一泊しましたが、自宅から2時間で行けるので、ふと思いついて日帰りでもよく訪れました。

それだけに「天神崎」は一番思い出深い地となっています。

位置的には和歌山の田辺湾の北に突き出た岬で、砂浜ではなく平らで大きな岩が広がる岩礁海岸なので、所々に入り組んだ地形では熱帯魚や小エビ、ウミウシなど、色とりどりの生物に出会えます。

目印は標高36mの「日和山ひよりやま」で、そこだけこんもりと木々に覆われている様は遠景で眺めるとまるで「ひょっこりひょうたん島」のようなのです。


平らな岩の大地には谷や裂け目も多く、水深はかなりあるのですが透明度が高いため、奥の方までしっかり見えます。

小さい頃は海岸で磯遊びだけだった彼らも、年齢とともにシュノーケリングをし始め、そういう裂け目こそが絶好のポイントで、プカプカと水面を漂いながら水中を物色し、獲物を見つけたら、岩肌に沿って静かに深くまで潜ります。

魚は追い込み役と捕獲役の2人一組です。

小さい頃は、主人と手分けして、しっかり子守をしていましたが、大きくなるにつれてほったらかしです。

一生懸命。日焼けしながら付き添っていたのはいつ頃までだったかなぁ。

我が子たち、毎回体力の続く限り、飽きもせず一日中海に潜りたおし、日帰りの場合は、帰りの有田市内にあるスーパー銭湯でお風呂&夕食を済まして家路につくのがいつものコースでした。



絶妙の自然バランス

平らに広がる岩礁は単調に見えはしますが、実に変化に富んでいます。
大潮の時の干潮差で風景はまったく一変します。

上:満潮時 下:干潮時

満潮時には、岩礁の大部分はすっ かり水面下に隠れて、一見すると同じ場所とは思えないほどの変身を遂げます。
その変化は日々の潮位によって変わるので、ここを訪れる時は潮カレンダーで確認して、なるべく大潮の日を狙ったものです。

沖側の岩礁は、外洋の荒波に洗われている一方、陸地側では多数の入り江が深く入り込んで波も静かなため、沖側と陸地側では種類の違う生物が生息しています。

「和歌山のウユニ塩湖」とも言われている。

天神崎に多くの生物が生息しているのは、天然の地形が大きく影響した自然の仕組みがあるからなのです。

この海岸線に沿って細い道が通り、そのすぐ反対側は森林や山となっています。
山に近い海であるということが多くの海洋生物にとって抜群の環境を作っているのです。

①山側から栄養物質が流れ込む
   ⇩
②海藻やケイ藻など海の植物が食べて成長する
   ⇩
③②が稚魚の餌になるため魚たちの産卵場となる
   ⇩
④稚魚たちは安全でエサの多い岩礁の入り江で成長
   ⇩
⑤沖合に出てさらに成長

中には、幼生ようせい時に沖合でプランクトンとして浮遊して過ごし、再度、静かでエサの多い岩礁地帯に戻ってくるものもあるらしい。

このように、陸地の森⇒海岸の浅瀬⇒沖合は、連携して生態系が出来上がっています。

ここ田辺湾の天神崎は、広大な岩礁をもつ海岸と暖流黒潮にのって運ばれた多くの熱帯系の動植物、そしてそれらを育む森林が、小さいながらも理想の自然環境を作り上げているのです。

和歌山には他にも「三段壁」や「橋杭岩」などの岩の絶景が多い

沖に向かって伸びる岩礁の先端は、長い年月の間に波の浸食によって形づくられたド迫力な自然の彫刻となり、「地球」を感じずにはいられません。



海の兄弟HUNTERハンター

以前、長男の蝉HUNTERぶりを書かせていただきましたが、次男はさほど蝉には執着しませんでした。

その代わり、兄弟でHUNTERぶりを発揮した対象生物はたくさんありました。
・クワガタ、カブトムシ
・ザリガニ
・トカゲ
・ミドリガメ

そして海や川の魚たち。

特に海の熱帯魚たちには兄弟そろって熱中し、一時期は保冷&エアーポンプ月のバッグを用意して、大切に持ち帰り、家の水槽で飼っていた時期がありました。

しかし、どんなに海水の濃度や水温調節をしても、自然環境に敵わず長く飼育することはできませんでした。

鮮やかな色はすぐに褪せて死んでゆくのです。

家での飼育は魚たちにとっては残酷な事だと悟り、2シーズンほどチャレンジしましたが、それ以後は捕獲はしても、思い存分観察したのち、現地で逃がして帰るようになりました。

捕獲した魚たちは、私が憶えているだけで以下の通りです。

チョウチョウウオ
シマスズメダイ
ソラスズメダイ
カタクチイワシ

ある時、カタクチイワシが群れが岩の裂け目になだれ込み、それこそ舞うように銀色に輝く美しい光景を目にしました。

まだ小学生だった長男は、網を一振りするだけで捕まえることができたので、それは持ち帰って、唐揚げにして食べたことがあります。

私たち家族の海の活動期は5月~9月と長く、行く時期や時間によって見かける生物は変わり、その時々に違う表情が見られ、いつまでも飽きないスポットでした。



日本初のナショナル・トラスト運動

1974年、この海岸の森の一部を 別荘地とする開発計画が浮上します。
そうなると森の面積は減り、磯の生物にも大きく影響し、絶妙のバランスを保っていた自然環境が壊れる危機に直面したのです。

天神崎は県立自然公園であるため、田辺市内の高等教員らが中心となり、市民たちの署名を集め、和歌山県知事に訴えましたが、県は開発を止めることができないとの返答でした。

仕方なく取った次の手は、募金活動でこれらの土地を買い取るという市民による地主運動でした。

この運動は偶然にもイギリスで100年以上も前からあった「ナショナルトラスト運動」と同じものだったのです。

最初は田辺市民だけによる募金でしたが、大阪や東京で活動してみると、日本ではまだ珍しい活動だったため、マスコミに採りあげられ一気に全国から募金が集まり、開発予定地を何とか買い取る事ができたのです。

別荘予定地は保全地となり、今も募金活動を続けて天神崎の丘陵地全体の保全を目指しています。

天神崎は全国に先駆けてSDGsの「14・海の豊かさを守ろう」を実践していたのです。

 国際連合広報センター

息子たちがお世話になった海は天神崎だけではありません。
全ての海は、山との連携で自然バランスは保たれています。
私達一人一人が、将来の子供たちの為に考えるべき大きな課題なのです。

私は近い将来に人生を終えますが、せめて自分の子供、孫などの身近な子供たちには自然に触れる体験をさせることで、その素晴らしさを伝えることが何よりも大切だと思います。

そして、次世代の者たちに「絶妙のバランス環境」の大切さを気付かせることが、せめてもの義務だと思うのです。


※トップ画像は防波堤に座り、愛おしそうに天神崎を眺める次男の後ろ姿。


【参考文献】
田辺湾 海洋部の生き物
磯の魚たち
天神崎の自然と保全活動


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