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明治新政府の無分別行為は許されるのか?

「廃城令」に物申す

著書・「奥の枝道 山口・萩編」では、
石垣しか残らない「萩城跡」の天守台や長櫓の跡をみた時の怒りの思いをぶつけています。

これは明治に発令された「廃城令」により、「城」を単なる領主である武士の住まいだと位置づけで、明治維新により中央集権国家となって廃藩置県も施行された時点では不要だという考えの政策です。

長州藩も倒幕~新政府樹立の中心的存在だったため、率先して城を壊したそうなのです。

この愛郷心に欠ける極端な行為はどういう事でしょう。

きれいサッパリ前向きなのはいい事かも知れません。
しかし、私にはすごく心にわだかまりが残ります。

これは単に「城」を機能的な面からしか見ず、その建築美や技法の値打ちなど微塵も念頭にない行為だからです。

元々は日本各地には3千もの城がありましたが、徳川幕府による「一国一城令」により170にまでに減りました。

全部を残す事は、なかなか難しいとは思いますが、
自ら壊す必要はあったか?と思うのです。

日本人であるなら、先人たちが培ってきた「文化的価値」を城に見出す事がどうしてできなかったのでしょうか?



法隆寺の礎石が豪邸の庭石になっている事実


「廃城令」だけではありません。
廃仏毀釈はいぶつきしゃくも、日本人にとって恥ずべき明治維新の政策だと思っています。

今回♭のぶさんの記事を見て、
また新たな怒りが沸いてきたので、ここに意見を述べたいと思います。

法隆寺の礎石が、遠く離れた兵庫県神戸市の住吉川沿いに建つ豪邸の庭石として発見されたというのです。

これは何を意味するか?

明治初めの政策のひとつである「廃仏毀釈」が原因なのです。

それは、明治維新という革命動乱の中で、薩長による新政権が実行した西洋かぶれ政策による無分別な破壊活動のことを指します。

日本古来から残るおびただしい数の貴重な仏像や寺院が破壊されたあげく、僧侶たちは激しい弾圧を受け、ほとんどが神官に変わるか、還俗げんぞくを強要されました。



明治維新の汚点


日本が誇る美術画の「浮世絵」もそうだったように、貴重な仏教経典も包装紙として使われた後、ゴミと扱われ、塔頭たっちゅう五重塔ごじゅうのとうたきぎにするため破格の安値で売り捌かれました。(十円だったという話もある。)


これらの政策のどさくさに紛れて、価値の高い宝物も略奪され、二束三文で庶民たちの手に渡りました。

日本における四大寺に数えられる奈良の「興福寺」の寺地は、元々は現在の奈良公園から奈良ホテル一帯に及び、当時は東大寺よりも広大だったと、何かの本で読んだ事があります。


同じく四大寺の一つで、かつてはその格式と規模を誇った内山永久寺に至っては徹底的に破壊されて、その痕跡さえありません。


日本民族に浸透して独自に進化し、誇るべきはずの伝統文化や伝統芸術の生みの親でもある仏教は、宗教的にも文化的にも徹底的に弾圧されたのです。

これらは薩長らによる明治維新が恥ずべき汚点ではないのか?

千年以上もの間、大切に創り上げられた自国固有の伝統文化を自ら否定し、破壊したという、品性に欠ける下劣な行為だと言わざるを得ません。



神仏習合にみる日本人の大らかさ


以前も記事にしましたが、
歴史的には宗教が戦争の火種となりはしましたが、本来の日本人の宗教の取り入れ方は、大雑把なものなのです。

▽関連記事▽

千年以上の長い時間をかけて穏やかに神仏習合という信仰のカタチを維持し続けてきました。

日本古来の神道
インド伝来の仏教

私たち日本民族は、それら双方を認めて融合できる大らかな多様性を持ち、政治的な影響による混乱期を経験しながらも、
長期的にはそれぞれの生存空間を守ってきました。


何度か書いていますが、
私には宗教に関して、強い信仰心はありません。

しかしこれらの明治政府が犯した所業は、民族としての過ちです。

歴史的や文化的な観点では、日本人が持つ強制的な「価値観の逆転」を意味し、自ら民族としての存在を否定した行為であるという自覚はなかったのではないでしょうか。



岡倉天心の精魂こめた努力

とはいえ、
規模は縮小されたものの、興福寺は残り、私たちは仏像を今も目にする事ができます。

それは、これらの仏像修復に精魂込めて尽力した、
官僚・思想家・美術史家である岡倉天心のおかげなのです。
彼の献身的な活動努力がなかったら、現代、興福寺での仏像鑑賞は実現できていなかったのです。

興福寺の「宝物殿」に行かれた方はわかっていただけるとは思いますが、
たくさんの貴重な仏像の中に、ひときわ異彩を放つ、あの「阿修羅像」と初対面した時、身体の奥から震えるような感動がありました。

決して私は、宗教にも仏像にも特に興味や執着のない人間ですが、
なにかこう、魂に直接作用するものを感じずにはいられなかったのです。

この感覚こそが、私の中の民族としての大らかさではなかったかと、思えるのです


民族の魂を否定するようなこれらの行為は明らかに失策であり、
また、これらを残してくれた岡倉天心への感謝の気持ちは忘れてはいけないのです。


「阿修羅像」出典:興福寺HP








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