比叡山と高野山の違いは何だろう? 秀才エリートVS天才カリスマ
過去に、比叡山も高野山も紀行した時、どちらも日本仏教にける聖地ではあるのですが、それぞれ感じた印象はまったく違うと思いました。
単純な発想として、比叡山を開いた最澄と高野山の空海の仲が悪かったから?
開山した二人の性格の違いがそうさせたのか?
全く違う雰囲気を持っています。
一言でいうと、比叡山はレストランもなければコンビニもない「近寄りがたいほどの霊山」だし、
高野山はコンビニや飲食店も土産物屋もある普通の街で「身近な庶民の霊山」という感じです。
もちろん宗派の違いこそが最たるものなのですが、行ってきた当初はわかったつもりでいたのですが、いざそれを思い起こそうにも、「あれ?
?なんやったけ??」とつまづき、ちゃんと整理できないのです。
今後、執筆する機会もあるので知識のない私でも理解できるように、ここで私なりに整理しておきたいと思います。
↑↑比叡山延暦寺・大講堂(行った時に根本中堂は工事中)
↓↓高野山・金剛峯寺
宗派の違い
密教というのはその字のごとく秘密仏教の事で、ここから派生して、天台密教である天台宗が最澄、真言密教の真言宗が空海です。
そしてそのご本尊は、
大日如来と釈迦如来を
同一視しているのが天台密教。
別々だとして、大日如来こそ最高位であるとするのが真言密教です。
天台宗は、様々の教法の中の教えの一つであり、それらが融合する事で、全ての教えを包括するという考え方で、ここから派生したたくさんの宗派ができました。
代表的なのは、
・法然の浄土宗
・親鸞の浄土真宗
・栄西の臨済宗
・道元の曹洞宗
・日蓮の日蓮宗
これらの事から比叡山は「日本仏教の母山」と言われる。
最澄は天皇より「伝教大師」の称号を賜る。
真言宗は、ダイレクトに“密教の宗派”で、三密の修行をすることで即身成仏(生きたまま仏となる)ができると説きます。
・身密(手で印を結ぶ)
・口密(真言を唱える)
・意密(心に本尊を念ずる)
これらが真言宗の根幹で、基本中の基本でそれ以外はない。
空海は天皇より「弘法大師」の称号を賜る。
要するに、
最澄は何でも自由に唱えていいよ~唱えれば誰でも仏様になれる。
空海はこれしかないという一念のみで、生きながら悟りを開いて仏になる。
双方の基本理念は大きく違うのです。
エリート僧とカリスマ僧が学んだもの
さて、この二人。
804年、遣唐使として唐へ留学するのですが、
早くから当時の桓武天皇に認められていた最澄は無条件に国費留学生として推薦され、期待されての旅立ちでした。
しかし、空海はというと、中国語の堪能さや薬の知識の豊富さを武器に、最澄より7歳年下で全くの無名僧にもかかわらず、自らの能力のみで渡航権を得て、私費での推薦枠でした。
最澄は、天台教学を学び、自らも悟りを開きながら人々に教えを説く菩薩という意味の大乗菩薩戒を授かります。
空海は、密教の高僧である青龍寺の恵果より、一目で後継者として認められて、それまで誰にも伝授できなかった密教のすべてを空海に託します。
最澄はさらに自分の持つ宗派を掘り下げて勉強し、
空海は全くの新しい宗派の開拓に臨み、
それぞれの成果を持って帰国したのでした。
秀才と天才のプライド
唐へ行く時点では二人の立場には、雲泥の差があったのですが、
帰国後、それは一変します。
国内の皇族や貴族たちが、空海の持ち帰った真言密教に関心を寄せるようになってきました。
密教そのものに、着目していなかった最澄は俄かに焦りだします。
え?そんなにも良いものなの?
救われるの?
自分の認識の無さに気づくのです。
そしてここが最澄の偉いところなのですが、
7歳も年下で格下である空海に弟子入りしようと決心します。
が、そこはすでに比叡山で開山し、多くの弟子を抱える身なので、空海の所には行けなので、経典を貸してほしいと手紙を出しますが、空海は体験こそが修行だと断ります。
仕方なく、最澄は一番弟子を自分の代わりに修行に向かわせて、弟子から伝授しようとしますが、結局その大事な一番弟子も返してもらえなかったのです。
この事があって以来、2人の溝は完全に深くなり、大きく道を違えたのです。
というか、最初の基本理念から違っていたのは明白ですし、
横着して密教を大成しようとした最澄も最澄だし、
相手の立場に歩み寄れず、融通が利かない空海も空海だと思う。
秀才エリートの最澄と天才カリスマの空海の双方のバッチバチの火花が見えるようで、後世の私から見たら、
大人げない
の一言に尽きるのです。
しかし、なんせエリートとカリスマの双方がそのプライドを捨ててしまったら、すでにそうではなくなるし、
だからこそ、凡人ではなかったという事ですね。
「御朱印」は芸術的!
両山の御朱印はすごく芸術的!
というのも紀行のなかで数々の寺社の御朱印を見てきたのですが、中にはひっくり返るほど、下手なところもあったのです。
いくら由緒正しいとか、歴史深いとかアナウンスしていても、御朱印をみてガックリすることもしばしばありました。
しかし、比叡山も高野山もどちらも、どのお堂も、なかなかの「書」でしたが、私の独断と偏見で言わせてもらうと断然、高野山の「書」の方が芸術的センスは一枚上でした。
やっぱり弘法大師は筆の達人だけあって、書道の伝統も引き継がれているのかな。
その中から、2点ずつ紹介します。
●比叡山延暦寺
東塔 「五智如来」
大講堂 「大日如来」
●高野山
壇上伽藍・金堂 「薬師如来」
金剛峯寺 「遍照金剛」
サポートいただけましたら、歴史探訪並びに本の執筆のための取材費に役立てたいと思います。 どうぞご協力よろしくお願いします。