アジアの映画館にて
私はしょっちゅう映画館に行くようないわゆる映画ファンではない。コロナ禍以降1回も行ってない。コロナ以前もたぶん年に1回か2回行く程度だったと思う。そんな私も、海外に住んでいればほかにやることもなく、映画でも行くか、ということになり、日本に住んでいる時よりマメに映画館に行くことになった。
これは私が海外にいた2000年ちょっと前から2009年までのおはなし。
その一・北京のニセチケット
北京に留学していたのは1998年と1999年。大学の、外国人向けの中国語コースに入って、北京語を勉強した。毎日午前にみっちりと授業があって、午後の授業は選択制になっていた。街へ出れば毎回それが中国語の勉強になったので、私は文法のクラスと太極拳のクラスのある日以外、午後はプラプラと街に出ることが多かった。
もうだいぶ北京の暮らしにも慣れたある日、バスで街中へ出かけたとき映画の看板を見つけた。ちょうど信号で止まった交差点の一角に、その看板はあった。昭和初期の映画の看板みたいに、ペンキで主演の2人が見つめ合っている絵とタイトルと出演者の名前が描かれていた。女優さんは誰か忘れたが、張国栄(レスリーチャン)主演の『紅色恋人』という映画。
大学の寮に戻り、なにげなく留学仲間にその映画の看板を見たと言ったら
「えーレスリーチャンの映画? 行こうよ!」
と盛り上がり、友人数名と映画館へ行くことになった。
映画館は二環路の西側のほうにあったと思う。その頃の北京は、まだ二環路までしかなくて、その外側はほとんど埃っぽい空き地や畑だった。そして、西側はあまり治安が良くないと言われていた。
北京の街は故宮(紫禁城)を中心にして円を描くように広がっている。現在の北京の地図を見てみると、五だか六まで環状線ができているようだ。つまりそれぐらい街が膨らんで大きくなっているということだ。
地区の治安とはまた別だろうが、誰かが
「映画館のチケットもニセモノがあるから、気をつけてね」
とアドバイスしてくれた。
そう、今の北京は知らないが、当時の北京では、だいたいのものはみなニセモノだったのである(個人の感想です)。私は一度スーパーマーケットのレジでお札を出したら「これは偽物だから受け取れない」と言われて返されたことがある。どこのレジにも偽札検知器みたいなのが置いてあって、50元札とか100元札とかはその機械でチェックされていた。寮の部屋に戻って、ほかのお札と見比べてみたけど、印刷も色も手触りもまったく遜色なく、違いはわからなかった(もしかして、比べたお札も偽札だったのかもしれない)。ほかの友人からも同じような話を聴いたことがあったから、偽札も出来のいいものは普通に流通していた可能性があったと思う。
閑話休題。
映画館は交通の便があまりよくない場所にあったので、タクシーで向かった。私ともう一人は商社マンの男性で社会人、あとの二人は大学生の女の子たち。皆初めての映画館なので、少しドキドキしている。タクシーを降りるとすぐに見知らぬ男が寄ってきて、チケットをひらひらさせながら、私たちに声をかけてきた。
「映画観に来たのか? 券持ってるか? あそこの窓口で買ったら25元するけど、俺なら15元で売ってやる」
「それ本当に入れるの?」
「それ本物のチケットなの?」
「4人分あるの?」
口々に私たちが聞く。皆中国語をしゃべりたいのでとりあえず話す。
「もちろんだ」と男。
ホントかねえ、どうする? と日本語で相談する私たち。
「早くしないと始まっちゃうよ」
男は私たちを焦らせて買わせようとする。そのとき
「ちょっと見せて」
と言って、商社マンの彼が男からチケットを受け取って裏表を確かめると
「俺ちょっと確かめてくる」
と、その券を持って、映画館へ向かった。男は平然と待っている。
しばらくして戻ってくると、果たして
「このチケットじゃ入れないって。だから、買わない」
と、男へチケットを返した。
さぞ決まりが悪いだろうと男のほうを見ると、彼はまったく悪びれず「そうか、じゃ返してくれ」と言って、しれっと取り返したチケットをポケットにしまい、私たちから遠ざかっていった。きっとまた映画を見に来る誰かに声をかけ、同じことを言って使えないチケットを売りつけるのだろう。これがよく言えば中国の懐の深さであり、悪く言えば、というか、普通に言って、ダメなところ。
そんな映画に入るまでのインパクトに負けて、映画館の中がどうだったとかは、実は全く覚えていない。映画は、レスリーチャンがあまりに素敵だったから、割と覚えている。共産党と国民党が争いを続ける上海が舞台で、レスリーは革命家だったか地下活動家を演じていた。レトロな雰囲気のある、中国らしい美しく哀しいお話だった。ちなみに、私はこの映画をきっかけにレスリーチャンのファンになった。彼が香港の俳優だと知って、香港に転職しよう!と勝手に決めたのもこの頃。
しかし私は香港ではなくシンガポールで仕事を見つけることになる。
その二・映画館か冷凍庫か
シンガポールは、日本とまったく変わらない治安の良さ、水道水が飲める、などなど日本人にとって、とても住みやすい国である。私の住んでいた頃は今ほど馬鹿みたいに家賃も高くなかったし、物価も安かった。
そんなシンガポールには、日本と同じようなコンプレックス型の映画館が街の中心地、オーチャードロード沿いにいくつかある。
私がよく行っていたのは、オーチャードロードからは少し外れるが、グレートワールドシティにある映画館だ。家からバス1本で行けたので便利だった。当時、日本の映画館で映画を観るには1500円位だっただろうか? シンガポールでは6ドルとか8ドルとか、円にすると400~500円ぐらいで安かったこともあり、時間が合いさえすれば、よく映画を観に行っていた。
シンガポールの映画は、ほとんど中国語の字幕が入るので、英語より中国語が得意な私にとってはちょうど良い、と言うといかにもトライリンガルみたいだが、実際は耳から入る言語が英語、目で見るのが中国語というのは、慣れるまではどちらも全く頭に入って来ない。笑ってしまうぐらい意味が入ってこない。コツとしては、私の場合は、英語は聞かず中国語字幕を見る。英語が得意な人は英語を聴いていれば事足りる。シンガポール人は…どうしているんだろう? 今度誰かに聞いてみよう。
シンガポールの映画館での注意事項は、ただひとつ。
長袖(ストールでも可)と靴下を持って行くこと。
シンガポールは赤道直下の国で、一年中暑くムシムシしている。そして映画館は、冷凍庫並みにキンキンに冷えている。故にタンクトップに短パン、ビーチサンダルなんかで行ってしまうと、最初は涼しくて気持ちいい。でもそれは初めの30分が限度で、後はもう、誰が殺されようと、地球が滅びようとどうでもよくなって、早く終われ早く終われ、とだけ考えながら残りの時間を過ごすことになる。誇張でも何でも無い、本当に本当に寒いのだ。どうしてあんなに冷やすのか、意味がわからない。足元もキンキンに冷えるので、靴下を履いていないと足先が冷たくなって、最後のほうは椅子に正座か体育座りして映画を見るはめになる。大事なことだから2回言います。長袖と靴下を忘れずに。
その三・アフレコにもほどがあるベトナム
シンガポールでさらに転職し、私は何の縁かベトナムに行くことになった。ホーチミンシティはベトナムの南のほうに位置し、商業が盛んな都市だ。
道路は一面バイクに覆われ、クラクションが一日中鳴り響く。人々は善良で優しく、でも抜け目がない。だいたい男性より女性の方がキビキビと働いている(個人の感想です)。
映画館に行ったのは、1度きり。どこか観光しようと思っても、ベトナム語がわからない。映画は流石に海外から入ってくるから、英語で見られるだろうと思って映画館へ行ったのだ。
登場人物が英語でしゃべる。聞こうと耳を傾ける。そこにかぶさる大音量のベトナム語。何が始まったのかわからず唖然とする私を一人残し、映画は爆音とともに進んでいく。元の英語を普通の音量で流しつつ、それに負けない、さらに大きな音で、ベトナム語が映画館中に流れる。まずその音があまりよくない。大音量すぎて割れたりしている。それに、そのアフレコは、ひとりの人によってなされている。登場人物の使い分けもなく声のトーンも変わらず、まるで原稿を読んでいるような甲高い女の人の声が、普通に流れる映画の音の上にかぶさるのだ。
だいたいベトナム語はわからなかったから何とも言えないが、聞こえてくる感じからしてあまり感情移入しているふうでもなく、淡々と、大音量の女性の声が、英語に重なって響く。これはもう、音だけの問題ではなく、映像すら何かに覆われているように感じてきて、スクリーンが霞んで見えてくる。本当に苦痛以外の何ものでもなかった。頭痛になっただけだった。
ベトナム人は、気にならないのだろうか。後で自分の働く会社のベトナム人に聞いたところ、男の人バージョンもあるらしいが、とにかく一人がずっと全部のセリフを話すのが普通だそうだ。それに慣れているので、特に声に声がかぶさるのも気にならないらしい。
観た映画は『ベンジャミンバトン』だったと思う。その後DVDを買って、部屋でもう一度観た。不思議で切ない、良い話だった。フィッツジェラルドの小説が原作だが、彼らしくないファンタジーで、でも彼らしい哀愁の漂うトーンの映画だった。原作も読んでみたいと思いつつ、いまだに読んでいない。
これで私のアジアの映画館の話はおしまい。
写真は、2010年に上海万博へ行ったときに街で見かけた映画館。この時は短い旅行だったので、映画は観に行かなかったけれど。
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