ハウ・トゥ・サバイブ ベルリン移民に聞く ジャスィとアスィール(パレスチナ)-3 「意味不明な4回の投獄」
・パスポート次第で大きく変わる行政の対応
A: 今ではこのパスポートはあくまで私にとっての象徴的な物で、法理的に意味があるのはフランスからもらった書類よ。
フランスで学生だった2016年の後にも、コンフェレンスとかJassiと会うのとかでフランスには何度か来ていて、その履歴も(ビザ取得の)プラスになった。
ヨーロッパに入ってそのままヨーロッパに不法滞在することなく、ビザの期限内に帰国してたからね。
実際、ビザを取るのにはいっぱい書類を用意しないといけないしお金もかかるわ。
ヨーロッパ滞在1日あたり、銀行口座に280ユーロ貯金がないといけない。
なので1週間の滞在だったら280ユーロx7ですごい大金だから、多くの人は銀行の残高証明書を作るために方々からお金を借りて来るの。
でもそれが出来るは少ししかいない。
実際、80%のパレスチナ人は外国にはいけない、だってお金がないし、(人的な)リソースもないし、スキルもない、学生でもない。
私は何度もヨーロッパに来てて、問題なく滞在していた履歴があるから、今回フランスに来た時は私はビザは割と簡単に取れた。
で、無事ビザを取ってフランスに入国して、警察署に行って難民申請したというわけ。
E: Jassiも難民としてドイツに来たの?
J: ううん、私は学生よ。
E: じゃあ君もトップ5の学生だったの?
J: 私は3年前から学生としてベルリンに住んでて、今もそのビザで滞在してるよ。
キプロス(の大学)に行くときはキプロスのビザを取らないといけない。
だってあそこはEU加盟国じゃないから。
E: そうか、じゃあドイツのビザ取るのは難しかった?
J: そんなんことない。
私はアメリカのパスポートも持ってるからあっけないくらい簡単だった。
書類だけそろえて見せたらもう自動的に。
特に何も聞かれなかった。
アメリカの大学も沢山のパレスチナ人の交換留学生を受け入れてるんだけど、彼らはビザがおりなくて行けない人が多いの。
E: アメリカの大学は受け入れてても、アメリカの当局が許可しないってこと?
J: そういうこと。
それがパレスチナのパスポートよ。
そういうことが起こるの。
A: これが私のパレスチナのパスポートよ。で、これがフランスからの書類。
ビザの写真はそれぞれ髪の色が違った。
いくつもビザがあり、中にはドイツのビザもあった。
この時、ドイツにはどういう理由できてたのか聞くと、ワークショップやコンフェレンスやJassiに会うために来ていたそうだ。
ドイツとパレスチナの社会正義をテーマにした交換討論会のようなものだったらしい。
・パレスチナでの4回の投獄
E: 君はシリアやアフガニスタンからの難民ともたくさん交流があるの?
A: パリでは結構知ってる人いるけど、ベルリンでは2、3人だけね。
J: 私はいろんな国からの難民を知ってる。
シリアやアフガニスタンだけじゃなく、イラクとかパキスタンとかからの人も。
E: そっか。兄弟はいる?
A: いるよ、弟が二人と妹が一人、みんなパレスチナに住んでる。
E: 連絡は取り合ってるの?
A :うん、仲はいいよ。
E: どうやって?スカイプとか?
A: Facebookとかインスタグラムよ。
家族とは全部繋がってる。
E: もしプライベート設定でも、Facebookで占領政策に批判的なことを投稿したらまずいの?
A: 私のFacebookは本当に誰だかわからないようにしてる。
写真も他人の写真だし、全部アラビア語で書いてるし、私をFacebookで見つけるのは相当難しくしてるよ。
今でも200人くらいしかFacebook上で友達いないし。
投稿するときはいつもビクビクしてた。
だってそれらがヤバイってことは分かってるから。
実際、私はパレスチナで4回投獄されてるの。
E: 批判的な投稿したから?
A: いろんな理由でよ。
投稿したからだけじゃない。
パレスチナの当局がいかに腐敗しているかを告発する記事も書いたし、腐敗しまくってる麻薬取締部門にインタビューしたりしてたし。
あと、大麻で捕まったり、売春で捕まりそうになったこともある。
あ、でも売春って言ってもね、パレスチナでは売春の定義はヨーロッパよりずいぶん広いのよ。
例えば、ここで私とあなたとJassiが同じアパートにいる。
で、例えば私とJassiがこの部屋で寝て、あなたが別の部屋で寝たとする。
パレスチナではそれも売春と見なされるの。
何故ならあなたとは結婚していないし、あなたは男性なのに同じ家で寝たから。
ふざけて言ってるじゃないよ。
父がどうにか掛け合ってくれて有罪にはならずに済んだけど。
あと警察を襲撃した罪で捕まったこともある。
でも、襲撃って言ってもこっちは二人で向こうは警官10人だったのよ。
警官の方から言いがかりつけてきて抵抗したら逮捕されて、それで裁判所行ったら私たちが10人の警官を襲撃したことになったの。
(捕まったのには)他にもいろんな理由があるんだけど。
例えば私はLGBTQのコミュニティを支援していて、それはパレスチナではベルリンでやるよりもずっとラディカルなことなのね。
私はお酒も飲むし、パーティにも行くし、髪の色もよく変えるし、そういうのはパレスチナでは全部NGなの。
ある日にはパーティの帰りでアルゼンチン人の友達とワイン飲みながら歩いてたり、こういう今着てるみたいな服装で外出したり、草吸いながら歩いてたり、いろいろパレスチナではNGなことをしてた。
そしたらそれが次第に大きな問題になっていったって遂に投獄されちゃったの。
牢屋にぶち込まれて初めて、私はこの国の体制がどのように機能するのかを理解したわ。
最初の頃は泣いてたし、うつ状態になって、ちゃんと息が出来ないくらいだった。
私は1ヶ月Jassiとベルリンで過ごしていて、そこから戻ってきたばかりで、何もマズイことをしてるつもりはなかった。
警察は私の家にドラッグがないか捜索して、マリファナすら出てこなかったのに、それでも逮捕されたのよ。
4回目、つまり最後に投獄された時は3号室に入れてって頼んだの。
そこが私がこれまで入ったよく知ってる部屋だったから。
で、もうここに住むのは無理だってようやく分かったの。
釈放されたとしてもいつまた逮捕されるか分かったもんじゃないし。
そういう訳でここに移住したという成り行きよ。
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Part.4に続く。
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