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ハウ・トゥ・サバイブ ベルリン移民に聞く ジャスィとアスィール(パレスチナ) -1 「パレスチナの多様性を発信したい」

10か月間、無権利状態だった

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E: じゃあ自己紹介をお願いします。

J: 私の名前はJassiで、コンテンポラリーダンスを学んでます。
21歳でパレスチナ出身。

ベルリンに3年住んでいて、今はパレスチナの文化を発信するオーガニゼーション(団体、組織)で働いています。
それはパリに拠点があってパレスチナの人々の視点やカルチャーの情報を収集して発信してるの。 
それはバーチャル(オンライン)でもやってます。

A:  私はAseelです。
私もパレスチナ出身でパリに去年の11月に来たの。
過去の6か月間私はずっとあちこちお泊りが歩いてた。
で、終着駅がここ(Jassiのベルリンの家)で、ここに1ヶ月半います。

E: 君ものその団体のために働いているの?

A:  そのオーガニゼーションのために働いているんじゃなくて、私たちがそのオーガニゼーションそのものよ。
私たちが運営してるの。
私はフランスで難民として認定されたから私たちは物理的にはフランスにより拠点だけど、でも、ベルリンでもやりたいと思ってる。
でもそれは政治的なことに重点を置いたものではなくて、異なるバックグラウンドやマインドセットを持ったマイノリティが 安心して、好きな自分の考えてることや自分の好きなことを自由に発信できるようなものを作ろうとしてるのね。
なのでそれはオンラインで、どこにいようと参加できるの。
どこにいようとこのコレクティブに参加できる。
それが私たちがやろうとしてることのアイデアよ。
私は25歳で国際的な人権について勉強してる。
パレスチナからフランスに完全に移住する前にもフランスで国際的な人権について学んでて、フランスで博士課程を終了したいと思ってるの。
パレスチナは私には単純に狭すぎてね。 
フランス一国も私には狭く感じるけど、ヨーロッパはちょうどいいサイズかな。 
今はヨーロッパの地に足をつけて新しい人生を始めようとしてるところ。
過去を忘れることはないけど未来も見据えて、パレスチナ人のアイデンティティを持ちつつ、現地の社会に適合してフランス語の勉強もして博士課程も終了をしたいと思ってる。

E: もうフランス語は十分しゃべるの?

A: いや、全然! 
フランスに一年いるけど、コロナで外に出られなくなって。
フランス語の授業を取っていたけど、A1(最も初級のクラス)の2ヶ月目にコロナが来たの。
コロナ以来、夏の間、店とかは空いてたけど、学校は閉まってて、それから私はあちこち泊まり歩いてた。
私は周りの人からフランス語を学んで、今では人が話しているフランス語は割と分かるし簡単なメールくらいなら書ける。 
でも、できれば2月にまたフランス語にフランス語の学校に行けるようになりたい。
私はすぐにまたフランスに戻るから。

E: じゃあ当面はパリを拠点にするんだね?

A: うん。
夢はこのオーガニゼーションがパリ以外の場所にも、ベルリンやパレスチナにすら出来ればなと思ってる。

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(携帯の待ち受け画面。スカーフを巻いてたばこを吸うモナリザ)

E: そうなんだ。
でもパリを拠点にしてるのは、パリにはパレスチナからの難民がすごく多いから?

A: ううん、パレスチナからの難民の数はパリは一番少ないよ。 
パリの人は私がパレスチナの難民だと分かると明らかにショックを受けているみたい。 
パリにはシリアの難民は沢山いるし、歴史的にアルジェリア人やモロッコ人にやチュニジア人はたくさんいて、ニューウェイブは主にシリア人。
パレスチナ人のディアスポラは歴史的にアメリカやイギリスに行くことが多いのね。
だって過去にイギリスの植民地だったことがあるから英語が第2言語で、多くはフランス語圏には行かない。

J: でも不思議なことに一番パレスチナ人ディアスポラが多いのはチリなの。

E: なんで、スペイン語の国でしょ?

A: なんでかは知らないけど、実際そう。
最大の人口ではないと思うけど、確かにパレスチナ人がチリにはたくさんいるわ。
でも別の国パスポートを取ってからパレスチナに戻ってくるパターンで一番多いのはアメリカに住んでたパレスチナ人よ。
彼らはしばしば外国で成功しててすごくお金持ちになって帰ってくる 。

E: Aseelはおおむね、フランスでの生活を楽しんでる?

A: うん、それなりにね。
今回フランスで難民申請する前にもパリには留学で来ていたことがあってその時からパリは大好きよ 。
でも今回来た時は、最初の頃はほとんどホームレス状態で、書類がなかったので働くことも学校に行くこともできなかった。
2ヶ月前にようやく書類をもらえて難民として認定されたけど、その前の10か月間は無権利状態でさ。
移動も制限されてて、泊まるところもない中、サイドジョブをしてどうにか凌いでた。
だけどようやく書類をもらえてついに権利を獲得したのでこれから大学にも行ってプロジェクトも進めたいと思ってる。 

E: でもその間どうやって泊まる所を見つけてたの?
友達の家に泊めてもらってたとか?

A: 最初はフランス人の友達の家に泊まってた。
彼女はパレスチナに留学していたことがあってそこで知り合いだったので最初はその家に泊めてもらってた。
一か月半そこに止めてもらった後また、友達やいろんな人に聞いて回って今度は年配のフランス人女性の家に7ヶ月間止めてもらった。
旅に出てまた別の友達の家に一か月泊めてもらってた。 
で、その後フランスに戻って別の友達の家に1、2ヶ月とめてもらってた。 
で、Jassiとフランスのナンシーの近くの町であったんだけど、そこでロックダウンが始まったのでベルリンにきたの。 

E:  Jassiはなんでフランスに行ってたの?

J: その頃まだAseelは難民として認定されていなくてフランスに居住する権利もなくて、フランス国外には出られない状態だったの。
 私はベルリンの大学でこれまで2年間学んでいてその時はキプロスの大学に交換留学で行く予定になっていたんだけど、それもロックダウンで延期になって、授業はオンラインだったから、どこにいたって授業を受けることはできたから、バケーションと仕事と隔離生活を兼ねてフランスにいってたの。

A: 私たちは二人ともパレスチナに住んでいた時はよく会っていたんだけど過去3年間、ずっと違う場所にいてさ。 
で、私はまだ難民認定されてなくてフランス国外に出られないし部屋も借りられない状態だったから、Jassiがフランスに来てくれて、(フランス北部の)ナンシーにアパートを短期間だけ借りて一緒に住むことにしたんだ。

・フランス・ドイツ国境で逮捕される

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(ジャスィ)

J:  そのアパートに2ヶ月住む予定だったんだけど、途中でロックダウンが来て、私はフランスに閉じ込められるのは困るから、ナンシーでのバカンスは切り上げて1ヶ月でドイツに戻ることになったの。
その時にはAseelにはもう正式に難民認定が降りててドイツにも行けるようになったから、全て問題ないはずだった。

A:  でもそうじゃなかった(笑)

J:  ううん、私たち自身は何も問題なかったよ。
ただ運が悪かっただけ。

A:  私たち国境で捕まったの。

E:  なんで?

A: うーんとねぇ…
まず最初にJassiはアメリカ人なの。

E: アメリカ人?

J: アメリカのパスポートも持ってるの。
私は半分アメリカ人よ。

A: 半分アメリカ人で、半分パレスチナ人。
で、彼女を救ったのはアメリカのパスポート。

Jassiのアメリカのパスポートにはドイツのビザもちゃんとあったのに、私はパスポートを持っていなくて、ただフランスの役所からの難民認定証だけ持ってたんだけど、警官はそれだけじゃダメだっていうのよ。

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(アスィール)

E: 今はパスポートを持ってないの?

A: 実はこっそり今でも持ってるんだけど、法的にはもう私のパレスチナのパスポートはないことになってる。
難民として申請したら、フランスのイミグレからの難民認定証をもらう代わりに、自国のパスポートとかは没収されるのよ。
だから、私はもう法律的にはパレスチナ人じゃないの。
シリア人がドイツに難民申請したとしても、シリア国籍は失うよ。

E: そうなのか、全然知らなかった。

A: 法律上は、私は国籍を取得するまで6年間はパレスチナに入国できないんだ。
もし入国したらフランスで発行された難民認定証などの公的書類は全部没収される。
厳密には今、居住する権利があるのはフランスだけなのね。
電車に乗っていた時は既に難民認定はされていたんだけど、IDを所持していなかったの。
それで警察は私たちを電車の外に出して、私はドイツの留置所で一晩過ごした。
で、私はドイツに今後3年間、入国禁止だと言われた。

J: でも彼女は国際法を勉強していて、こういう難民に関する法律もよく知っていたから、自分にはドイツに合法的に入国する権利があって、今後3年入国禁止なんてあり得ないって主張したんだけど、警察は聞きいれなかった。
で、こういう問題専門の弁護士が警察に、彼女に合法的にドイツに入国する権利があるのは事実だって話をつけてくれて、それで彼女は解放されたの。

E: あ、じゃあ、ドイツの警察の方が法律をちゃんと知らなかったんだね。
ドイツではよくあるね。

A: どこの国でもよくあるわよ、悲しいことに。
おまけに多くの人は自分たちの権利を知らない。
でも私は知っていたから警官にも言ったの。
私は法的に認められたEUの難民なんだから、ドイツに入国する権利もあるんだって。
でもEUって結局、こういう目に見えないボーダーがあるのよね、メンタリティの。
今、私はフランス市民だから、EU市民なんだって。

E: その弁護士は無料だったのかい?それとも雇ったの?

A: 私のドイツ人の友達のお義母さんがベルリンの大学の教授で、その人はすごくラブリーな人で、私の家族も知っていて、パレスチナにも来たことがあって、私がベルリンにきた時はいつもディナーに連れてってくれる人なんだけど、その人に電話したら「弁護士を雇ってあげるわ」って言ってくれてその辺、全部やってくれたのよ。


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Part.2に続く。


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