ちのみゆき

関西在住、奈良・京都・日本とお寺、神社、古墳、遺跡、古典、NMB48が好きな理系。その…

ちのみゆき

関西在住、奈良・京都・日本とお寺、神社、古墳、遺跡、古典、NMB48が好きな理系。その時々に残したいことを書こうと思います。

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  • プログラミングのまとめ

    有用だなと思うプログラミングでの数値計算方法やアルゴリズムなどに関する記事を集めていきます。プログラミング言語は自分で書いたものはExcel VBA、C#、VB.net ですが、それ以外もこだわらずに集めます。

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古今集巻第十八 雑歌下 949番

題しらず よみ人しらず 世の中をいとふ山べの草木とやあなうの花の色に出でにけむ 世の中を嫌って避ける山辺の草木だというのか、ああ憂いが卯の花の色に出たのだろう 「とや」は、「とやいふ」(と言うのか)の略。 「あなうの花」は、「あな憂」(ああ悲しい)、「あな、卯の花」(おお、卯の花)と掛詞になっています。 「色に出でにけむ」(いろにいでにけむ)は、色に出たのだろう、です。色に出るは、顔色に出る、表情に出る意味です。ここでは、卯の花の色に憂いが出ている、と擬人化しています。

    • 古今集巻第十八 雑歌下 948番

      題しらず よみ人しらず 世の中は昔よりやはうかりけむわが身ひとつのためになれるか 世の中は昔よりやは憂かりけむ我が身一つの為になれるか 世の中は以前より憂いが多いものなのか、それとも我が身一つの為に憂いが多くなったのか 最近、嫌なことが多いなあ、でも昔から世の中はそういうものなのかなあ、それとも自分だけに世の中はつらくなったのかなあ、という歌です。 誰でも一番辛いのは自分だと思っていると言うことが、よく表れています。 #古今集, #雑歌下, #世の中, #我が身, #

      • 古今集巻第十八 雑歌下 947番

        題しらず そせい いづこにか世をばいとはむ心こそ野にも山にもまどふべらなれ 素性法師 いずれの場所で世を捨てようか、そう思っても心は野にいても山にいても、惑うものであるようだ 世を捨てるのは心の迷いをなくす為ですが、どこで隠遁生活を送るのか、野であろうと山であろうと、そんなに簡単に迷いを消すことはできない、という意味と思います。野か山かと考えている段階で、すでに迷いがあることになります。 本人の心の迷いを呼んだものと言うよりは、世事がうまくいかないと世を捨てたいと愚痴を

        • 古今集巻第十八 雑歌下 946番

          題しらず ふるのいまみち しりにけむ聞きてもいとへ世の中は波のさわぎに風ぞしくめる 布留今道 知りにけむ聞きても厭へ世の中は波の騒ぎに風ぞ敷くめる 知っているだろうし、そしてこれを聞いて避けなさい、世の中は波が立って騒がしい上に、風も強く吹いて、落ち着くことがない 「しく(敷く、頻く)」は、一面に散らばる、折り重なる、ことです。「頻く」は、「しきりに」とか「しくしく(泣く)」などに通じます。ここでは、強く吹くと訳しました。 「波の騒ぎに」の「に」は、添加の接続助詞「に」

        古今集巻第十八 雑歌下 949番

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        • プログラミングのまとめ
          26本

        記事

          古今集巻第十八 雑歌下 945番

          題しらず これたかのみこ 白雲のたえずたなびく峰にだにすめばすみぬる世にこそありけれ 惟喬親王 白雲の絶えず棚引く峰にだに住めば住みぬる世にこそありけれ 白雲が絶えず棚引く山の峰でさえ、住んでみると住める、そんな日々の暮らしである 惟喬親王(これたかのみこ)は文徳天皇の第一皇子でしたが、母親が三条町(紀静子)でした。紀氏よりも身分の高い藤原氏の藤原明子を母に持つ弟の惟仁親王(これひとのみこ)が即位しました(清和天皇)。失意の惟喬親王は最後は出家して、比叡山の麓の小野に隠

          古今集巻第十八 雑歌下 945番

          古今集巻第十八 雑歌下 944番

          題しらず よみ人しらず 山里はもののわびしきことこそあれ世のうきよりは住みよかりけり 山里は物の侘びしき事こそ有れ、世の憂きよりは住み良かりけり 世間を離れて山里で暮らすのは侘びしいことがあるが、世間の憂いがあるよりは、住み良いものだ 三句目が字余りです。 世を捨てて山里で隠遁するような生活を送ると、何かにつけて侘びしいことが多いものだが、世間の憂いの多さよりは、遥かに暮らしやすい、という歌です。出世、お金、生活苦、仕事、人間関係などの苦しみよりも、自給自足の一人暮らし

          古今集巻第十八 雑歌下 944番

          古今集巻第十八 雑歌下 943番

          題しらず よみ人しらず 世の中にいづらわが身のありてなしあはれとやいはむあなうとやいはむ 世の中にいづら我が身の有りて無し、「あはれ」とや言はむ、「あな憂」とや言はむ この世の中のどこに我が身はあって、ないのか、それを、「あぁおもしろい」と言おうか、「なんと悲しい」と言おうか 世の中と我が身との無常を、有るのか無いのか、良いのか悪いのかと対句で詠んだ歌です。 「いづら」は、「いづこに」と問う言い方です。「どこにありますか」の意味。 #古今集, #雑歌下, #世の中

          古今集巻第十八 雑歌下 943番

          古今集巻第十八 雑歌下 942番

          題しらず よみ人しらず 世の中は夢かうつつかうつつとも夢ともしらずありてなければ 世の中は夢か現か、現とも夢とも知らず、有りて無ければ 世の中は儚い夢なのか、しっかりした現実なのか、私には現実とも夢ともわからない、それは有って無いようなものなので 詠んだ人には、何か出来事が有ったのでしょう。しかしそれを嘆く時に、具体的にそのことには触れずに、夢か現か、有るのか無いのか、と抽象的に歌を詠んでいます。 #古今集, #雑歌下, #世の中, #夢, #現

          古今集巻第十八 雑歌下 942番

          古今集巻第十八 雑歌下 941番

          題しらず よみ人しらず 世の中のうきもつらきもつげなくにまづしるものは涙なりけり 世の中の憂きも辛きも告げなくにまづ知るものは涙なりけり この世の中の憂い(うれい)も辛いことも、誰にも告げていなくても、それを最初に知るものは涙である 誰にも辛さを漏らすことができず、一人耐えて涙を流す様子を詠んだ歌です。辛いなあと思ったときに、その辛さを知って、涙が「辛いんだね、わかっているよ」と出てきてくれる、そういう意味だと思います。 #古今集, #雑歌下, #世の中, #憂き,

          古今集巻第十八 雑歌下 941番

          古今集巻第十八 雑歌下 940番

          題しらず よみ人しらず あはれてふ言の葉ごとにおくつゆは昔をこふる涙なりけり あはれちょう言の葉ごとに置く露は昔を恋ふる涙なりけり 「ああ」と言う嘆きの言葉ごとに、その葉に置く露は、昔を恋い偲んで流す涙なのであろう 言葉、言の葉を、草木の葉に喩えています。言の葉の一つひとつに思い出があり、それを偲んで涙を流す、それを草木の葉っぱの一つひとつに露が下りることになぞらえたものです。 「あはれ」は、素晴らしいと思ったときに漏れる「ああ」という感動詞。「てふ」は「ちょう」と読ん

          古今集巻第十八 雑歌下 940番

          古今集巻第十八 雑歌下 939番

          題しらず 小野小町 あはれてふことこそうたて世の中を思ひはなれぬほだしなりけれ 題知らず 小野小町 あはれと言う言葉こそ、特に世の中への思いを断ち切れないしがらみである わかりにくいです。「あはれ」は、素晴らしい、素敵だ、美しい、などの意味で言う感嘆の言葉です。「お前は美しいね」と言うような恋の言葉は、世の中への執着を断ち切って(思い離れぬ)、静かに暮らしたり、出家したりする気持ちの妨げになる(ほだしなり)ものだと言う意味と思います。 「うたて」は、特に、ひどく、強く、

          古今集巻第十八 雑歌下 939番

          古今集巻第十八 雑歌下 938番

          文屋のやすひで、みかはのぞうになりて、あがた見にはえいでたたじやと、いひやれりける返事によめる 小野小町 わびぬれば身をうき草のねをたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ 文屋康秀、三河の掾(じょう)になりて、県見(あがたみ)には得出で立たじやと言ひやれりける返事(かへりごと)に詠める 小野小町 侘びぬれば身を浮草の根を絶えて誘う水あらば去なむとぞ思ふ 文屋康秀が三河の国の役人になって、地方の見物にやって来ないかと言って来た返事として詠んだ歌 小野小町 寂しい思いをしていたの

          古今集巻第十八 雑歌下 938番

          古今集巻第十八 雑歌下 937番

          かひのかみにて侍りける時、京へまかりのぼりける人につかはしける をののさだき みやこ人いかがととはば山たかみ晴れぬくもゐにわぶとこたへよ 甲斐の守にて侍りける時、京へ罷り登りける人に遣はしける 小野貞樹 都人如何がと問はばやま高み晴れぬ雲居に佗ぶと答へよ 甲斐の守であった時、都へ上る人に託した歌 小野貞樹 都の友人が、甲斐の国は彼はどうしているかと問うたなら、「甲斐は山が高く晴れずに雲がかかっているし、私も都から遠く離れて心が晴れないで寂しく思っている」と答えてくれ 小

          古今集巻第十八 雑歌下 937番

          古今集巻第十八 雑歌下 936番

          題しらず 小野たかむら朝臣 しかりとてそむかれなくに事しあればまづなげかれぬあな憂世の中 題知らず 小野篁朝臣 然りとて背かれなくに事し有ればまづ嘆かれぬあな憂世の中 そうかと言って世を捨てることも出来ないのに。なにか事が起きれば、まずは嘆かわしく思う、ああ悲しい世の中だ 「背く(そむく)」は、背中を向けること。世の中に背中を向ける、つまり世を捨てて出家することです。 「あな憂(あなう)」は、あな+憂、ああ憂鬱だ、です。 小野篁は剛胆な人で、正論を言い張って配流になっ

          古今集巻第十八 雑歌下 936番

          古今集巻第十八 雑歌下 935番

          題しらず 読人しらず 雁のくる峰の朝霧はれずのみ思ひつきせぬ世の中のうさ 題知らず 詠み人知らず 雁が飛んでくる峰の朝霧はただもう晴れない、そのようにつらい思いは晴れること無く尽きないのがこの世の憂いである 上の句の二句は「はれず」の序詞です。朝霧の中を飛ぶ雁も先が見えないのに飛んでいるのだろう、この私もこの世の憂いは晴れることなく暮らしている、という歌です。 #古今集, #雑歌下, #雁, #峰, #朝霧, #世の中

          古今集巻第十八 雑歌下 935番

          古今集巻第十八 雑歌下 934番

          題しらず 読人しらず いく世しもあらじわが身をなぞもかくあまのかるもに思ひみだるる 題知らず 詠み人知らず 幾世しも有らじ我が身を何ぞもかく海人の刈る藻に思ひ乱るる もう幾年もこの世にはいないだろう我が身なのに、どうしてこのような海人が刈る藻のように、思いが乱れるのだろう 自分の思いを、海人が刈った藻が、絡まって乱れている様子に喩えています。思いが乱れるのは、和歌では一般的に恋ですが、雑歌の巻に入っているので、悩みの原因は、老いや暮し向き、出世などかもしれません。 #

          古今集巻第十八 雑歌下 934番