「お悩み相談の答え方」について僕なりに考えてみた

今回も「宿題」にお答えさせていただこうと思います。

【強化指定豆腐メンタル】さんが考える、適切な相談の乗り方
そもそもアドバイスをすべきか、相談の受け手側の感情の必要性の是非、【強化指定豆腐メンタル】さんが相談に乗る時に考えていることなど、何でも!

友人の一人が送ってくれたものです。
ずばり、相談において大切にすべき心構えやコツについて、ということですね。

よく言われるのは、最も重要なのは「共感」であって、相手の話にひたすら耳を傾けること、否定せずにとにかく受け入れることが大切である、ということです。
僕もこの点には賛成というか、たしかに相談や愚痴を聞くときにはそういう構え方になっているなぁと感じます。
基本的なことについては↓のサイトがよくまとめておられると思うので、よければ目を通してみてください。

ただ、わざわざ僕に「宿題」を寄せてくださっている以上、あえて基本のキについて今一度教えてほしい、書いてほしいと思って尋ねてくださったわけじゃないだろうと思うんですね。
買い被りかもしれませんがそんなことはないと信じたい。買い被りだったらどうしようね……。

ということで (?)、せっかくなので今回は、人から相談をもらったときに僕自身が大切にしているポイントを、いくつかお伝えしてみたいと思います。
この「宿題」のコーナー (?) をスタートして3ヶ月足らずですが、早くもかなり真剣なお悩みやご相談も寄せていただけるようになっており、「相談相手」としてそれなりの信頼をいただけているのではないかな、と自負しています。
信頼できる聞き手になるにはどんなことができるのか、僕なりに考えてみましたので、よろしければお付き合いください。

それでは、どうぞ。

文章ならではのポイント

せっかくなので最初にこの点から。
もちろん対面で直接話す聞くかたちで誰かの相談に乗ることもあるのですが、最近はもっぱら文章化された相談を寄せてもらうパターンばかりなので、そこで特に気をつけているところについて書いてみます。
というのも、文章を通した相談って、対面や電話でなされる愚痴や相談と大きく違うポイントがあるからなんですね(基礎の基礎は同じだと思いますが)。

相談の効用の大なるものとしてしばしば挙げられるのが、「カタルシス効果」というものです。
これは、思う存分最後まで自分の思いを言葉にし、それを誰かに聞いてもらえたこと自体がもたらす「すっきり感」のこと。あれか!とピンときた人も少なくないでしょう。
よく「相談する人は意見なんて求めていない、ただ話を聞いてもらいたいだけなんだ」なんて言われますが、これは相談のカタルシス効果に着目した見方と言えます。

文章を通した相談の最も特徴的な点は、この「話すことそのものがもたらすカタルシス効果」を、相談者はそれほど求めていないというところです。

相談を文章化して伝えることができている時点で、相談する人の想いや悩みというのはそれなりに整理されているはずです。それならなぜ文章化した相談を誰かに寄せるのかといえば、それはやはり何らかの答えを求めているからだろうと僕は思います。
自分としては散々考えつくしてしまったから他の人の見解や意見を知りたい、というケースや、あるいは自力では悩みの正体そのものを掴みきれなくて埒が明かないから人の手を借りたい、といったケースなど、いろいろあるとは思いますが、いずれにせよ、「考えられるところまでは考えた、でもどうにもならない」といったん認めたうえでなされるのが文章を通した相談であるというのが、大きな傾向だと僕は見ています。
直接の会話のかたちでなされる相談が、相談する人が話すことそのものによって混乱した考えや感情を整理していくプロセスとしての機能を重視されるのとは、少し異なるように思います。

わざわざ他の人に宛ててまとまった文章を書いて相談を投げかける人たちは、相談した相手に、その人なりの意見や見解を求めているからこそそうするのではないでしょうか。
だとすると、相手の言葉を繰り返しながら傾聴する、共感を示す、といった相談の基本的なテクニックだけを実行したのでは不十分ということになると思います。
せっかくこの私に尋ねてくれたからには、という構えで、思い切って自分なりの回答を伝えてしまってよいのではないでしょうか。

もちろん、文章だったら思うがまま自分の意見を押しつけていいとか、そういう話ではありません。
留意すべき点はいろいろあるはずですし、基本はやはり対面的なコミュニケーションと同じだろうと思います。
以後、思いつく限りでいくつか挙げてみます。

字面だけを見ない

文章形式の相談だけでなく、口下手な人からじかに相談を聞いているときなどにも言えることかもしれません。
悩みや問題について語る言葉そのものだけを追って判断を下すのはやめたほうがいい、ということです。

しょっちゅういろんな記事で書いていることだと自覚していますが、やっぱり問題の文脈を見逃さないのは大事だと思うんですね。
「彼女とうまくいっていなくて……」という悩みだったら、それまでの付き合いなどの経緯や、どううまくいっていないのかといった問題の具体的な状況をきちんとふまえて考えなくてはいけないし、相談者の性格や感情にも目を配るべきだと思います。
関係を良い方向に変えるためのヒントを求めているのか、別れに踏み切るための後押しを欲しがっているのか、状況をどう理解していいのかわからず混乱しているのか、いずれであったとしても話の聞き方やかけるべき言葉は変わってくるでしょう。

双方向的にやりとりができるケースだったら、相談者からそのあたりの細かい状況は積極的に聞き出していくべきだと思います。
問題の見通しも立てやすくなりますし、相談者自身の気持ちや問題認識の整理にもつながっていくはずです。
言葉をかけたり解決策を提示するのはそのあと、むしろ最後の最後でいいんです。
字面だけを追っていては見えてこない問題の内実を、相談者と一緒に解きほぐすことが、相談を受け止めることの八割方を占めると僕は思います。

二人の「あいだ」を探る

相談を聞く側だったはずの人が、アドバイスのつもりで自分の苦労話を披露しはじめて、結局相談する側はろくにしゃべれず余計にモヤモヤを募らせ……なんていうのは、相談の形としては最低レベルに等しい。相談を聞くコツというものについて考えたことのある人は、おおむね認識していることだと思います。

ただ、「僕の話」に終始するのは論外としても、相手にとってのベストな正解をその場で見つけようというのもまた、けっこう無理のある話だと思うんですね。
わざわざ頼って相談を持ちかけてくれている相手だとしても結局は他人なのであって、よっぽど身近な相手でないかぎり、3割もわかっていれば上々じゃないかと思うのです。
あらゆる事情が手に取るようにわかっている相手でないのなら、状況説明等々からむやみに推し量って「あなたはこうすべきだ」「僕だったらこうする」などとは言わないほうが無難でしょう。
何かしらの分野の専門家やインストラクターといった立場の人が、その分野の事柄について診断を下していくのとはわけが違うのであって、あくまで自分は素人にすぎない物事について発言しているんだということは、自覚しておいたほうがよいと思います。

では、そうだとして、具体的にどんな回答を心がけるとよいのか。
これはあくまで本当に個人的な考え方にすぎませんが、僕自身が心がけているのは、自分にも相手にもある程度当てはまる共通部分的な回答を提示することです。
そしてもう一つは、「あなたはこうすべきだ」「僕だったらこうする」という個別的なアドバイスより一段階高いレイヤー、つまり具体的な行動に先立つ発想の部分について話をする、ということです。

歌において、ある音が正確に歌えないとき、直前の音をきちんと歌うことを心がけると、それだけで次ぐ音の問題が不思議と解決することがあるように、問題というのはしばしば、その手前に着目すると案外すんなり考える糸口が見えてくるものです。
「『時間がなくてやりたいことができない』って言ってるけど、逆にどういう状態だったら『時間がある』って言えるんだろう?」だったり、「『意志が弱くて何をやっても続かない』と言うものの、そもそもまず意志が強ければ継続ってできるものだろうか?」だったりというように、問題を一歩退いたところから見てみると、言えることは色々出てきます。

しかも、退いたところからの物言いになればなるほど、個人の境遇の違いが乗り超えられ、誰にでも普遍的に当てはめられる「真理」に近づいていくと言えます。主語が大きくなっていく、と言ってもいいかもしれません。
もちろん主語が大きくなりすぎれば、毒にも薬にもならないアイデアしか語れなくなるという問題はありますが、自分と相手の共通部分をうまくすくい出して、「私たちのような人間は……」と考えていけば、それなりに実効的なアイデアが出せるのではないかと思います。
自分にも相手にも当てはまることならば、独りよがりな自分語りになってしまうことも、相手に対する過度な憶測に陥ることも避けやすくなりますから、問題を抽象化して二人の「あいだ」を探るのは有効だと、僕は考えています。

相談されたことを重く捉えすぎない

相談された悩みや問題に対して実効的なアイデアを提示するには、という話をしてきましたが、とはいえそのアイデアによって相手が変われなかった、相手の問題が解決しなかったからといって、落胆する必要は別にないと思います。
たしかに、共感を寄せることや相手の境遇を可能な限りで汲み取ったうえで真摯に考えることは大切ですが、あくまでも問題を乗り越えるのは相談者自身であり、相談される側が求められているのはその手助けまでにすぎません。

手助けそのものは真剣に行う、けれどもたかが手助けで、1から10まで相手の行動が変わるとは期待しない
どんなにいいアドバイスができたと手応えがあったときでも、そこはドライであるように、僕自身は努めています。

人間というのはいきなり変われないものです。今いる場所から一歩動くだけでも、ものすごく難しい。
相談された側ができるのはせいぜい、その一歩を踏み出すための腹の足しになるかならないかの言葉を贈ることだけです。

これは、相談なんかにまともに答えてもしょうがない、という意味ではありません。
そうではなく、役に立つかどうかわからないからこそ、少しでも役に立てばという気持ちで真摯に考えるのが大切なのだと思います。
それは当事者の一人として問題に立ち向かう姿勢とは少し違うかもしれません。
でも、その少し違ったスタンスこそが、当事者である本人の気持ちをもかえって軽くするということは、きっとあると思います。「私にはこんなことしか言えないけど〜」というスタンスで発せられる言葉は、軽いからこそ受け止められやすいはずです。

相談というのは、相手に自分の思い通りの行動をとらせるために聞き、答えるものではありません。
あくまでも、相手が自力で問題を乗り越え、気持ちを軽くするための手助けとして行うものです。
そこまでしか僕たちにはできない、だからその範疇で最大限できることをしよう。
そんな心持ちで臨むと、自然とちょうどいい姿勢に落ち着いていけるのではないかと、僕は考えています。

おわりに

少々抽象度の高い話に終始してしまいました。
ノウハウというよりは僕自身の心がけの話なので、どこまでみなさんのお役に立つかわかりませんが、よろしければ参考にしてみてください。

問題解決そのものについて過去に書いた記事もありますので、こちらもよければご参照いただければと思います。
結局のところお悩み相談におけるスタンスの良し悪しというのは、問題解決のフレームの精緻さ×相談者との距離感で決まるのかなぁと思ったりもするので、多少はお役に立つかもしれません。

それでは、今日はこのへんで!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?