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性差を超えた母の心

ある人が、それまで何の興味もなかったのに、惹きつけられてどうにも目が離せない存在になることがある。そんな久しぶりの感覚に、心が華やいでいる。

その人のインタビュー記事は『母』の心に溢れていた。ずっと中性的な自分に苦しみ、周りから求められることを一心に叶えようともがいた先に、どうしても消えなかった自分らしさ。それを自分に許すことで、周りの何もかもを包みたいと思えるような母の心をその人は手にしていた。それが記事からジーンと優しく染みるように伝わってくるのである。

最後の4枚目の写真など、本当に美しい。真剣に話す眼差しと、可憐な動きの指先がこの上ない強さと柔らかさを得たと教えてくれる。

氷川きよしさんは、今年で歌手デビュー20周年だという。その大事な年のことを、ご本人はこう称していた。


40代となり、歌い手として「成人」とも言える20年を迎えたことで、歌のジャンルも飛び越え、衣装やメイクなどビジュアル的にも、自分らしい新たなチャレンジができるようになったのかな、と思います。


だれもが認める歌唱力を持ちながら、「20年を経てやっと歌い手として成人」という言葉が氷川さんの言葉として語られたとき、辛いことも幸せなこともたくさんあって、成長したいという思いで全て受け入れてきたんだろうなと、伝わってきた。

芸能の世界で歌を続けてきた中で、批判の言葉が出るたびに落ち込んでいたという氷川さん。でも今の心持ちは1段階剥けたように違っているようだった。


以前はマイナスの評価を目にするたびに落ち込みましたけど、今はへっちゃら。むしろ、そこまで自分のことを考えてくださっているんだと愛おしさすら感じます。
その方たちを母のような気持ちで包み込んであげたい。私は、老若男女すべて「母であれ」と思っています。大地のような寛容さで包み込む母なる心が人間を、そして世の中を平和にするのだと思います。あ、話がそれましたが、私ももう42歳、「自分がどう生きるか」という確固たるものを持ち、それを信じて前に進めばいいと思っています。


人からの批判を受け入れることも、本当の意味で自分らしく生きることも、そんな簡単なことではない。本当の自分の声を掘り出して、血が滲むほど向き合って、どう生きるかを決めていく。その過程を経れたからこそ、人の批判も受け入れることができる。

どう生きるかを決めるとき、自分らしく生きるか、または、自分を人から見られたい形で繕うのか。どちらを選ぶか、その選択自体が重要なのではない。その二つはどちらも間違いじゃない。ただ、それを決めるまでに自分に問いかけ、向き合い、きちんと腹落ちしたのか。それだけが大切だ。


昨年までの20年間でようやく歌手氷川きよしの骨組みができ、ここから本当の意味で氷川きよしを作る作業、ゼロからの再スタートです。母が産んでくれたところから、私という人間が始まったわけで、いわば自分の原点。母を歌うことで原点に立ち返り、再スタートの第一歩を踏み出そうと思います。
今後も表現はさまざまに変化すると思いますが、人間氷川きよしの根本は変わりません。歌に込める“心”こそが大事だという思いも一貫しています。これからも、一人の人間として歌っていきます。


この段落に行き着くまでに、お母様とのエピソードが語られている。小さい頃からの理解者だったこと、その愛情がきちんと氷川さんの中に流れているからこそ、根本をねじ曲げずにこれたのかもしれない。それが幹のように氷川さんの心の中心に、「歌に込める心を一番大事にする」という軸を作った。軸が立ってるからこそ、人を受け入れ、許し、自分も受け入れた。再スタートも切れる。

人の中には巡り巡っているものがあるのだと、このインタビュー記事を読むだけで信じられる。こんなにジワリと染みるような趣のある感動に包まれる記事は久々だ。これを読むことで、私も優しい巡りの世界に連れていってもらえた。そんな読後感だった。






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