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記憶の海を泳ぐ①9月の再開

突然の不意打ちに、僕は意識を失いそうになった。

「大丈夫かよ、お前。そういや大恋愛だったもんな。」
宮本は8年ぶりに会ったボクを見て、心配そうに微笑んだ。
「お前あれから引っ越して転職しちゃったし、全然連絡もよこさないからさ。お前の方が死んじゃったんじゃないのって、時々冗談いったりしてさ。」
相変わらず屈託のない笑顔だった。爽やかな笑顔というのは年を取らないようだ。

「で、本当なのか。それって…」
ボクは動揺を隠せずに宮本を問いただした。
「ああ、お前ってSNSもろくにやらない仙人みたいなヤツだからな。まあ俺は仙人のお前も好きだけどさ。彼女、病気だったんだ。何度か亜紀と一緒に見舞いに行ったよ。お前の話も出てたぜ、その時。」

「何て、何て話したんだ?」
端からみれば奇妙な光景だろう。良質な上下スーツの男と、うだつの上がらないジーンズに無精髭ぶしょうひげ姿の男の会話。しかも髭の男はひどく取り乱している。
「さあ、元気とか、どこで働いてるとか、そんなもんだよ。それよりお前、線香くらい上げに行ってもバチは当たんなんじゃないの?」
「病気のことだって、お前には言わないでくれって、そう頼まれたんだぜ。だから葬儀にも声はかけなかった。それがあの人の意志だからな。」

偶然の再開はそこで終わった。宮本の奥さんと子どもが少し先で手を振っていた。亜紀さんだ。和美と仲の良かった亜紀さん、でも彼女はボクに気付くと、気まずそうに会釈をした。
「じゃあな、聡。行ってやれ。そんな風になるんなら、ちゃんと行って話してこい。分かったか。いいな。」
「落ちついたら、昔みたいに飲みに行こうぜ。お前の話も聞きたいし。コッチは色々心配してんだよ、これでも。分かってくれよ。じゃあな。」
そういうと宮本はボクの肩を叩いて足早に僕のもとを離れた。

9月になったばかり、まだ秋の気配が遠く感じられる頃のことだった。
僕は偶然再会した宮本に和美の死を知らされた。
本当に突然で、僕は意識が遠のくような感覚に襲われてしばらく動けなかった。

今年の春、僕は職場を早期退職した。もともと自由な性格だったのだが、残りの人生では真の自由を求めたい、って何ともお気楽な気分で転職したのだ。そして僕は学生以来のバイクを手に入れた。昔とはエンジン音も安全性も随分と違っていたが、風を切る感覚は同じだった。週末にはあちこちへと出かけては道路沿いの景色を楽しんだ。

翌週の土曜日、ボクは宮本の言葉に導かれるように、藤沢の海岸線を目指していた。そんな大した話でもない。8年も前のことだ。当時ボクは女の人と恋をした。でも彼女には恋人がいて、色々あって、結局はうまくいかなかった。ただ、それだけ。ボクは本気の恋に舞い上がって、傷ついて、立ち直るまでひどく時間がかかった。いや、正直なところ、今も心が落ち着かない。宮本に会った時、僕はそう思い知らされた。

止まっていた時間が、時を刻み始めていた。

第三京浜から横浜新道を通って藤沢の出口で降りると、辺りの景色はすっかり変わっていた。記憶にある目印はどこにも見当たらなかった。残ってたのは警察署とワイン工場くらいだ。僕は目当ての場所もわからずに、辻堂駅の手前辺りで呆然とした。

時の流れは、容赦なくボクの記憶を埋めていた。忘れようとした記憶、思い出さないようにしていた記憶というのは、いざという時に容易に戻ってくることはない。行く当てを見失ったボクは、呆然とするしかなかった。考えればわかるだろ?自分にそう問いかけてはみたが、正直ボクの心はもう平気じゃなかった。実際宮本に会ってからのボクはおかしかった。動悸が一向に収まらず、ずっと胸が締め付けられるように苦しかった。



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