助手席
スヌーピーの、チャーリーブラウンの言葉で好きな言葉がある。
これは、いつの日かペーパードライバーを卒業して親や友達をアッシーなんかにせずに運転席で車を乗りこなせばいいだけという話、では無い。
私には10個歳の離れた姉がいる。
「規則速度厳守」で40km道路を38kmでちびちび走っていた姉が、今では2児の母。速度なんてお構い無しに車をぶんぶん乗りこなし、家事と仕事の両立を器用にしている。
私はといえば、免許をとって約2日で父の車を自走できないまでにした「早期発見型運転不向き女」だ。
これがまた、早期発見でよかったなと思いながら高校を卒業すると共に取った自由への大きな切符は約30万円する”身分証明書”とだけなって終わったのかと自分に落胆する。
“Can’t自走事故”の後は、両親共々すぐに駆けつけてくれて、結局母の車で家に戻った。
酷く叱られるかと思っていたが、そんな事もなくただ、正気では無い顔で「お前はもう絶対に運転するな」とだけ告げられ私の自由への高額な切符は2日にして灰になり塵になった。
自分でももう運転する気力もできる自信も無く、誰かの命を横に乗せてハンドルを握るだなんてまっぴらだと思った。
母と父が運転する、このなんでもない助手席や後部座席が自分にはお似合いだし、一生これがいいとまで思った日だった。
助手席から流れる景色にこれほどまでに安心した日は無かった。
それから3年ほど経つが今でも運転出来ず終いだしこの助手席の安心感はペーパードライバーである日数が増せば増すほど大きくなっていってる気がする。
姉が言っていた、「愛(子供達)を乗せてるからねえ、生活もあるし、今度は自分がハンドルを握る側になっちゃったんだ、なってしまったからには乗りこなしていかなきゃ」と。
ハンドルを握る責任感は大人になれば自然と誰でも出てくるものだと、なんとなく思っていたけれど、そうではないみたいだ。
愛を乗せている、運んでいる。運ぶ側になっている。と気づいた時に同時に生まれる”責任”ってやつがハンドルを握る覚悟に繋がるのだと気づいた。
22歳にもなって、相変わらずアッシーは父か母だ。(出来るだけ下心がありそうな足は使わないように努力してきた結果だ)
助手席からの眺めもほとんど変わらない。
いつでも寝れるし、好きな時に背中もかける。
歳的には大人になってしまったが、15歳の頃と車に乗っている時の心情はなんら変わらないのである。
だがここ最近、「お前はもう絶対に運転するな」と言われたあの日から、本当にその通り生きていこうと思っていたけれどそれではいけない気がしてきたのだ。
愛するにも愛されるにも覚悟やら責任が伴う。
それ以前に、私は最近散々「愛されようとするのはやめた」なんて嘆いていたけれど、やっぱり愛は欲しいみたいなのだ。
少なくとも、助手席に誰かを乗せてみたくなっている自分がいるのは確かだ。
でも自分1人だけの判断で道は決められないから、やたら面倒だし好きな時に眠れもしないから窮屈だ。それでも、少しずつ、ハンドルを握る側にまわる練習をしていかなくちゃいけない気がしてならない。
今はまだ誰かを乗せる場面が無いのだとしても。
このチャーリーブラウンの言葉は、小学生ぐらいの時に英語の授業で習った言葉だった(気がする。)
なんとなく今この言葉を思い出したのは、面倒な事から避け人任せな自分を等身大で見るかのように助手席から見えるミラーにうつる自分を見てしまったからだ。
もう事故するのが怖いとかヘタレている場合でもない。”乗せてもらう”より”乗せたい”と思ったなら、少しづつでも。
なんて、気持ちだけいっちょまえに少し大人になった気がしています。気持ちだけ。
そして、ほんとにほんとにいつか、自分の愛を乗せる時が来た時に、その愛もまた私が見てきた父と母のような背中を見て”安心”するのだと思うと尊くて、美しくて。やっぱり同じような安心を届けてあげたいから、今からでも頑張ってみようと思います。
そしてその愛の主となる恋もめげることなく素敵なものを徐々に形にしていきたいと思います。
近くのドンキに行くだけでも、大きなコンビニの駐車場へ駐車を練習しに行くだけでも、ハンドルを握ってみようと思います。
少しずつ、ゆっくり、焦らず。
いつかの愛を乗せるために
(この言葉が今ようやく自分の奥底に響いてきているのは、紛れもなく、生きていく上での様々な愛の形を理解してきたからではないだろうか。と思う。
そう思うと、こんな私のことを助手席に乗せてくれた事のある全ての人達に今、感謝申し上げたい。)
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