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元彼氏とか元々彼氏とか、愛され方とか

元彼氏とは一年前ほど前にお別れをした。

もう一年も経つんだ、と時の流れの早さに呆気を取られる。
渋谷の道玄坂を上りきったちょうどの所に、「あなたとコンビニ」でお馴染みのコンビニエンスストアがある。
渋谷の若者たちはなぜかそこを憩いの場にしていて、よく大勢でタムろしていた。
私達はそこで出逢ったのだ。
多くを語ると、小説ひとつ分が出来上がってしまうので控えめにしておくが、彼と出逢って3ヶ月ほどで私達は付き合い、そして翌月には同棲を始めることになった。

彼はひとつ上で、一見何も考えていなさそうで意外とよく人間の事や未来の事を考えている人だった。
彼とは見掛け倒しで付き合ったわけでも、ノリなんかで付き合ったわけでもない。私達は心で会話し、通じ合っていたように思う。
同棲してからの生活は、本当に楽しかった。
でも次第に私は彼ではなく、自分を見失ってしまったのだ。
そして彼もまた、自分を見失った。
「甘え」というものが全面に出てしまったのだろう。
お互い、自分の思考や意思に忠実すぎて社会から少し外れてしまったようだ。
良い意味で彼とは考え方が一緒だった。
悪い意味で私は彼を引きずりこんでしまったのかもしれない。
このままだと彼の人生をも最悪な方向へ引っ張りかねないと思い、お別れをすることに決めた。
お別れをしてからも彼は私のことを好きでいてくれた。
私も彼のことがすごく好きだった。
そもそも、男としてだけではなく、人間として好きだったからだ。
ひどい振り方をしてしまったにも関わらず彼は私のそばにいてくれようとした。
彼は私の良い理解者であった。
私のことを本気で愛してくれていたが故に私に合わせてくれていたのかもしれない。
本当にたくさん、しつこいくらいの愛をもらった。


元々彼氏とは今のところ人生で最長、三年半という歳月を共にした戦友だ。
高校生活の思い出は彼でみっちりだ。
全ての思い出に彼がいる。
自分の地元や彼の地元、高校時代の最寄駅、学校終わりよく遊んだあの街。
本当に全てに彼がいるのだ。

正直、結婚するとまで思っていた相手だった。
私の青春そのものだった。

そんな彼に、ついに、彼女が出来たようなのだ。
別れてから二年半がたっても彼は自分の事で精一杯なようで、中々女性の影が見えなかったのだがようやくそれが見えた。
知ったのは最近、SNSで”その人”を見かけたからだ。
”その人”はかなりの美人で抜群のスタイルを兼ね備えているような人だった。
まさしく、彼にお似合いだと思った。

ショックだった。
やっぱりやっぱりショックだった。

今戻りたいとか好きとか、そういうのではない、ただ胸がぎゅーっとされて息ができなくなった。
結婚を考えていたような人だから、そうなっても無理はないがそうなる自分も疑問だった。

彼も、私が元彼氏と付き合ったことを知った時は同じ気持ちだったのだろうか。と考える。


彼と別れ元彼氏とも別れてから、
彼とは何度か会った事があった。
復縁する余地やチャンスはいくらでもあったのだ。
彼からの好意も、あったように思える。
しかし、それをしなかった。
なぜなら、私は気づいたからだ。

「彼」に会いたいのではなく「あの頃の彼」に会いたいと思っているのだと。
そして私も「あの頃の自分」あってこその彼だったのだと。

時間の流れの残酷なところはココだ。
今どんなに会いたいと思うからって、もうあの頃の自分の気持ちにもあの頃の彼にも会えないというところだ。
良い意味でも悪い意味でも、私達は大人になってしまった。

「好きだよ」が「好きだったよ」に変わる事は本当に残酷で切ない。
が、生きていく中でコレは免れない。
そしてこれから先も続いていくのだ。



一人の時間が一年も続いているから、時々元彼氏にも会いたくなるし元々彼氏を恋しく思うことだってある。なんとも身勝手で浅はかな考えだが、思ってしまうのだけは許して欲しい。
だけどもうこのどうしようもない感情は胸の内にしまっておかなければならない。

この一年間、正直、愛されたいが為に少しでも「好きかも!」と思った相手とはデートをしてきたが、どの人も駄目だった。
それは相手のせいではなく、私が「愛されたい」と強く願ってしまっていたからかもしれない。
たくさん傷ついたりもした。遊ばりたりもして男性不信になる手前ぐらいまでは病んだりもした。
何に焦っていたのか、私は自分を守りきれていなかった。

そしてようやく気づき、学んだ。
今のこの期間は、しばらくはもう自分からは飛び込まないようにしようと思っている。
恋愛にもお休み期間と稼働期間を与えるのは必要不可欠で、それも自分を守る最善の手段だからだ。


元彼氏との交際も、元々彼氏との交際も、私にとって予想外の「愛され方」だったように思う。
予想外に愛され、予想以上に恋をした。
甘えてしまったり、お互いが成長してしまうのは仕方がない事だ。


きっと、愛されたいなんて常に強く思っている内は愛されないのではないか、と大人になった今、なんとなく感じ取っている。


彼らは私に今でも思い出させるような強力な愛をたくさんくれた。

私には今後、きっと、「予想外の愛され方」をしてくれる人がいつの日か現れてくれるのだろう。(と、願っている。)

変な駆け引きや感情の左右がないくらい、真っ直ぐ愛を告白してくれる者がもし出てくるようなことがあったら、
その時は、ようやく私も動きはじめようと思う。

いっちょ前すぎる考え方だが、これくらいの気持ちでいなきゃすぐに足元をすくわれてしまう。
年齢が上がると共に理想も高くなる傾向があるけれど、1番はやっぱり「しつこいくらい愛をくれる人」がベストなんじゃないか、と考える。

「あの頃」にはもう戻れないけれど、「あの頃」と同じような熱量の人が現れるまで私は自分を守るようにしようと思う。


「愛され方」を教えてくれた
元彼氏と元々彼氏に感謝すると共に、
どうか幸せでありますように、と強く願っています。


(図々しく気持ちの悪い元彼女の誰得なこの文章は、紛れもなく自分の為に書いた文章である。)


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