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たぶん、わたしのはなし。 Vol.5 「愛することは異文化交流。パートナーシップにおけるわがままさ、未来のこと」

パートナーシップ。このトピックに関する悩みは、尽きない。しょうもない、小さなことから、どうしようもない、大きなことまで。それは、みんな同じ経験をしていると思う。私は占いが好きで割とスピっているので、事あるごとにみてもらうのだけど、どの占い師の方にも、だいたい以下のようなことを言われる。
「我慢せずに、対話すること」
「オリジナルであること」
「なるようにしかなりません」

過去に、恋愛において数多もの失敗をしてきたと思う。とても未熟者だった。二十歳なりたての頃に、「信じるだけ馬鹿を見る」という経験をした。信じることは馬鹿がやることだと思った。それからは最低で、色々終わっていたと思う。私に生霊が憑いているとしたら、この時に憑かれたのだと思うし、なんなら自分自身も飛ばしていると思う。大変に申し訳ない。けれど、自分にとって、必要な時間だったと思う。当時の私は、不当な言動や行動をされた場合、全て我慢していた。不満は基本的に言わず、物分かりがいいふりをして、「面倒をみれるのは私だけ」と思い込んだ。まあ、そんなものですよね。所詮人間ですから。そう思わないと、誰とも一緒にいれなかった。精神、非常に、不安定。不満、もやもやを貯金し、満杯になると爆発。関係が破綻すると、自分を責めた。私が我慢できなかったのが、悪い。もっとうまく立ち回れたはず、とか。今考えると、そんなことは無いとわかる。我慢が間違っていたということ。そして、単純に合わなかっただけ、それだけだ。

「もっとわがままになっていいのよ」と今のパートナーに言われた時、あまり意味が理解できなかった。20数年間、“我慢してこその私”でやってきた。けれどそれは、間違っていたスタイルだと今はわかる。ずっと、わがままでよかったのだ。わがままを言わずに、大人になってしまった。わがままのやり方がわからなかっただけなのだ。私は今、わがままを言っているし、相手のわがままも聞いている。わがまま=自分を尊重すること、相手を一番に愛する方法は、自分を一番に愛することだと思う。

一昨日、ZINEを作っている仲間との食事会があったのだけれど、こんな話題が出た(その時は、主に、パレスチナのこと、社会問題、ジェンダー、教育に関する意見交換だった)。日々自分とは違う人、思想、立場があるんだと、自分をアップデートしていかなければいけない。そしてその立場に立てない分、学び続ける必要があるよね、と。

これはもっと身近なところに当てはまり、とりわけパートナーシップ、愛するということに、かなり通づると思う。私の好きな映画に、『Her 世界でひとつの彼女』と『シェイプ・オブ・ウォーター』があるのだけど、これを観ると、愛することは異文化交流なのだとよくわかる。映画はそれぞれ、人間とAI、人間と半魚人が、恋愛をするのだけれど、全く別の生き方をしている二人が共に生きていくためには、相手と自分をお互いに知り、衝突し、何なら良くて何ならダメか、二人で考えること、また、受け入れ、許容し、楽しむこと、二人が二人自身を信じることが重要なのだとわかる。そして、この二つの映画の似ているところがもう一つある。二人を理解し、応援する周囲の人間と、理解できず、非難する周囲の人間がいるということだ。映画は、人間同士の物語ではないので、少し大袈裟になっているかもしれないが、現実でも同じようなことが起こる。違いというものは、怖い。傷つくかもしれないから。違いを受け入れるのは、難しい。そして、周囲のパワーというものは、思ったより大きい。個人が多様で、オリジナルであることが尊重されるのと同様に、私の、そしてあなた方の、パートナーシップも尊重されるべきだと思う。

私は今年27歳になる。同級生たちは結婚していたり、子供がいたりして、祝福するたびに素敵だなと思う。ただ今の自分とは、違う世界のような気もしていて、そう思うことに対しても、違和感が無くなってきている。昔は、何歳くらいまでに結婚したいとか、子供が欲しいとか思ったものだけど、正直私は、今、何が欲しいのか分からない。一方で、制作しながら、子育てをしているママさんに出会ったりすると、すごくいいなと憧れたり、尊敬するのも確かだ。焦っても何にもならないし、そういうのはもう少し時間をかけて、答えを探していきたいというのが今の心境。どんなに考えたり、悩んでも、頑張っても、なるようにしかならないし、全ての選択肢の積み重ねが、私を幸せにしてくれることを知っている。それに、今の私は、今が幸せだ。

最後に、私に「わがままであること」を教えてくれた彼に、心の底からありがとう、と思う。そして私を見つけてくれたこと、一緒にいてくれること。同時に、こんなに小賢しくて、面倒な私に見つかってしまって、気の毒にも思う。私たちはわがままで、正反対で、いつも異文化交流をしている。ぶつかる度に、私は泣いたり、悔しい思いをすることもあるけど、ああ、この人は私とは全く違う人間で、面白いなと、結局私は笑っているのだ。自分の主張と、相手の拘りが丁度ぶつかり合ったりすることがある。多分お互いに、理解できるけど、納得できない、みたいなことも少なくない。そういう時は、遣る瀬ない気持ちになる。ただ、自分にできることしかできないように、相手にもできることを求めるべきなのだと思う。違うからこそ一緒にいるのだとも思う。どのカップルたちも同じように悩みながら、違う問題を抱えている。もはやこの時代には、何が正しいかなんて無くて、自分たちが正しいと信じることが、どこまでも正しいのかもしれない。私も普通の人間なので、これからもずっと一緒にいたいなとか、そういうことは普通に考えてしまう。未来のこと、いつまで一緒にいることができるかどうかなんて、誰にも分からない。「なるようにしかならない」というスタンスで、わがままで、オリジナルな二人を愛していきたい。

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