千鳥千夜行

人を救うのはいつも、創られた物語と一匹の猫である。

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最近の記事

コラム「しらす」

 ずっと、もし生まれ変わっても、しらすにだけはなりたくないな~(;´∀`)  って思っていたんですよね。  パシャはお店で使っている業務用のしらすなんですけど、これをホテルパン(飲食店で一般的なステンレスの入れ物)にうつして使うんですが、その時にも、めちゃめちゃガンバって掻き出さない限り、袋の中に残るしらすは10匹以上。更に、使っている内に落ちてしまうしらすもいるし、新しく補充する時に、ホテルパンに残っているしらすなんて50〜100匹はいます。  同じような製品で、ほう

    • 救霊師りむと 壱の巻 加筆修正版

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      • コラム「おもちゃコーナーでぎゃん泣きする子供の心理が分かった」

         わたしは、普段ファミリーレストランで生計をたてているんですけど、ファミレスとかってレジ前にオモチャコーナーがあったりするじゃないですか。うちにもそーいった物が置いてありまして、先日の事、食事を終えたご家族が会計にレジへいらっしゃった時に、小学生に上がるか上がらないかくらいの女の子が一言、  「さぁ、何を買おうかな? 〇〇ちゃんはどれにする?」  と、ぬいぐるみ等を選び始めたんです。  そんなことを他所に淡々と会計を済ませたお父さんが、  「買わないよ、ぬいぐるみなんてもうい

        • コラム「嘘」

           「嘘」  わたしは嘘がキライです。  でも世界には、必要な嘘、優しい嘘、楽しい嘘、なんてモノもたくさんあって、  なんか自分でも本当に「嘘」がキライなのか分からなくなって来たので(笑)しばらく前から、敢えて嘘を使って生活してみました(笑)  とはいえわたしに使える限界は、当たり障りのない嘘、なんですけどね(^_^;)  例えば、最近なら、シュトラ(うちのネコ)が逃げた回数を2度目なのに初めてです、って言ってみたり、先週行った喫茶店のデザートを昨日食べた、って話たり

        コラム「しらす」

          コラム「なるほど。」

           なるほど、は理解それと、共感の意味合いを持つ言葉だと思うのですが、それを「感想」の意味で使われるのが嫌いです。  きっかけは、ネットで怪談を話す番組を見た時でした。芸能人が自身の恐ろしい体験談を語り合う、対談形式の番組で、メインのコメンテーター(怪談に詳しいらしい)がいて、実際に体験談を話す芸能人は毎回変わるようでした。  一人一人自身の体験談を語ってゆくのですが、話を聴き終えると、そのメインコメンテーターが、だいたいのシーンで「あーなるほどね~」とか「なるほどなるほど〜」

          コラム「なるほど。」

          サルティンボッカが食べたくて。 6

           ひさびさに充足した食事を過ごせた気がした。  ゆったりと流れる穏やかな時間。途中、会計をして店を出てゆく客、慣れた雰囲気で来店する客、入れ替わりが繰り返されたので、多少長居をしてしまったかもしれない。  「これ、生ハムを焼いちゃうってある意味斬新だよね」  きっと妻ならそう言った。私はクスリとし「そうだね」と返した。  まっさらになった皿を見つめて味の余韻に浸る。寂しさはなかった。  店の入口付近の席に独り腰掛け続けた怪しい東洋人に対して、店員の男性は嫌な顔一つせずお会計を

          サルティンボッカが食べたくて。 6

          サルティンボッカが食べたくて。 5

           堪らず号泣し、崩れて、入口で蹲る奇っ怪な東洋人にも、店員の方は優しく接してくれた。  「妻が。。」  辛うじて言葉になったのはそれだけだったし、日本語では意味すらも伝わらなかっただろうが、窓際のテーブルを指差す私を抱き起こし、妻がいた対面の席へと座らせてくれたのだった。  いまだ止まらない嗚咽と涙で滲む向かいの席には、当然ながら誰も居ない。しかし、優しく射し込む白いカーテンを透した陽射しの中には、ちゃんと、そこに妻がいた空気を宿していると思えた。  「Are You OK?

          サルティンボッカが食べたくて。 5

          サルティンボッカが食べたくて。 4

           私はいま、舗装されていない土の道を歩いていた。空港からタクシーを拾い、翻訳機だよりの拙い英語を駆使し、運転手の男性に「オススメのサルティンボッカが食べられる店がある街まで」と伝えた。走るタクシーが一旦郊外へ出た時には少しだけ焦ったが、すぐに別の街が見えてきて、歩きたいからと途中で降ろしてもらうことにした。  私は今、イタリアにいる。  広島での足で、そのまま空港へと向かった。パスポートは車のダッシュボードに入れたままであったし、道すがら会社へ電話をしたのは我ながら律儀だと思

          サルティンボッカが食べたくて。 4

          コラム「被災について」

           地震に会われた方、希望を失わずにがんばってください。必ず良いことが返ってきます。こんな事が二度と起きないように。  わたしはこーいった意見や投稿、報道が嫌いです。    少し前には戦争関連で同じよーなSNS発信をよく見かけましてね。  戦争反対、早く集結しますよーに、、そんな事は、言われなくても皆分かっているんですよ。本当に災害に会われた方を心配しているのなら、永遠に、事態が集結するまで、その投稿を続けてみろよ。  たいていの投稿者が、心配だ、不安だ、的な投稿をした次の日に

          コラム「被災について」

          サルティンボッカが食べたくて。 3

           例の番組が生放送であることは知っていた。  次回の放送が何処で行われるかを予告するのも通例で、そのため、毎回画面の端には、同意の上で見物人や野次馬が映り込むのだ。ただ、詳しい撮影場所まで告知するのはその時々であり、大きな街であればなお、混乱を避けるため、今回もあの芸人は広島、としか言わなかったし、小さな漁村だったりすると逆に、市町村自体で、放送が行われる事を宣伝していたりもするらしかった。  なので、一言で広島、といっても広い県内で、撮影の開始時間も分からずに、その場所を特

          サルティンボッカが食べたくて。 3

          サルティンボッカが食べたくて。 2

           妻が死んだ。事故だった。  車両同士の衝突事故であり、相手側の信号無視が原因だった。  結果として、この事故で亡くなったのは妻一人であり、当然損失は妻の方が大きいことになるが、現場検証の結果、妻が事故直前にケイタイを操作していた可能性が発見されたとかで、御定は決して納得のゆくものにはならなかった。過ぎてみれば、結末は、それが全てだった。  葬儀、妻の親族への報告にと、私なりに気を裂きはしたものの、特に責められる事はなく、子供も出来る前に独り身となってしまった私へは、むしろ同

          サルティンボッカが食べたくて。 2

          サルティンボッカが食べたくて。

           「さ、サルがどーしたって?」  私は、今しがた耳にした言葉、その中に含まれた単語の響きに、率直な声を返していた。  「猿じゃないわよ、サルティンボッカ。確かに、サルは入っているけどね」  それに対して妻は、眉をハの字に苦笑しつつ、分かっていたけどね、といったふうに訂正した。  穏やかな時間がゆるゆると流れる昼下がり。今日は日曜ということもあり、私も妻も仕事は休みで、狭いながらも綺麗に片づいた、とは言い切れない食卓に列んで、お笑い芸人が田舎街を紹介して回る近頃では定番となった

          サルティンボッカが食べたくて。