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サルティンボッカが食べたくて。

 「さ、サルがどーしたって?」
 私は、今しがた耳にした言葉、その中に含まれた単語の響きに、率直な声を返していた。
 「猿じゃないわよ、サルティンボッカ。確かに、サルは入っているけどね」
 それに対して妻は、眉をハの字に苦笑しつつ、分かっていたけどね、といったふうに訂正した。
 穏やかな時間がゆるゆると流れる昼下がり。今日は日曜ということもあり、私も妻も仕事は休みで、狭いながらも綺麗に片づいた、とは言い切れない食卓に列んで、お笑い芸人が田舎街を紹介して回る近頃では定番となったTV番組を観るになく眺めていたところだ。ちなみに、昼食はすでに済んでいる。
 「猿が入っているのか。。その料理?には?」
 「そーいう意味じゃないって」
 重ねてつぶやく私に、妻はげんなりと、唇の端から微笑みを漏らしながら言った。そのままケイタイを取り出し、素早くかの言葉を検索する。
 くるりと向けられた画面には、肉々しい皿盛りの料理が写っていた。肉々しいとは言ったが肉汁の滴るワイルドなものではなく、どちらかといえば素朴なイメージを連想させる見た目をしていた。
 「料理の名前だったのか」
 「最初に食べたい、って言ったでしょッ。それともあなたはわたしが本気で猿をどーこーしたいと思っていたとでも⁉」
 「いや、まあ。。でもこれは、猿の肉を使っているわけじゃないんだろ? イタリア料理なのか」
 「そーみたい。豚肉に生ハムが乗ってるんだって」
 「肉に肉か」
 なるほど。どーりで肉々しい見た目をしているわけだ。私は妻の手元を更に覗き込んだ。
 イタリア、ローマなどの郷土料理で、薄く叩いて伸ばした豚肉に生ハムを乗せて、ハーブや塩漬けの野菜を添えた料理とある。
 「そんなに難しそうな料理じゃないし、簡単に作れそうだ」
 私が顔を上げると、妻は慌てたふうにケイタイの画面を隠した。
 「あー、ダメダメ!! 作るとか再現出来るとかじゃないの‼」
 私はまたしても首を傾げてしまう。
 「どーしてだよ。食べたいんじゃないのか?」
 妻は態とらしく「チッチッチ」と口で言いながら席を立つと、キッチンでお皿に開けたクッキーと、コーヒーを用意して戻ってきた。
 「本場イタリアの焼き菓子とブレンドコーヒーでございます」
 「いや、昨日スーパーで買ってきたカントリーマアムとインスタントコーヒーだよ」
 「ほらね」
 「何が?」
 妻は私の隣に座り直し、大げさに胸を張ってみせながら、用意されたばかりのカントリーマアムを豪快にひと齧りする。
 「偏見かもしれないけどそれはアメリカ人ぽいね」
 「つまり、素朴で単純な料理だからこそ、それっぽい物を食べて、あーこんな感じなんだ〜って言いたくないわけよ、わたしは!」
 なるほど、と私は改めて首肯した。
 この目の前のカントリーマアムであっても、確かアメリカの田舎のクッキーを基にしていたはずだ。しかし私達はアメリカの田舎のクッキーはこーいうものなのか、と思い込むしかないわけで、本当のカントリーマアム(は商品名だが)を知ったことにはならないのだ。
 それならなおのこと、名前すら聞き馴染みのないサルティンボッカなる料理を、レシピを見ながら見様見真似で作ったとしても、それは、あーこーいうものなのか、で終わってしまうということだ。
 つまり、妻の言いたいことは。
 「でもそんな事を言い出したら、世の中のほとんどの物がイメージで満足させられてるんじゃないか?」
 突き詰めてしまえば、時々都市部で催されるイタリアフェア、とかドイツフェスとかに行ったとしても、原材料は日本製かもしれないし、作っているのが本当に現地の人なのかも分からない。地域物産展や輸入販売されている海外のお菓子は間違いなく本物の味だろうが、妻の言うよーに、簡単で素朴な料理の本物を食べる事は、そんなに親しくない同級生の故郷のおばあちゃんが作るカレーを食べさせてもらいにゆく以上に難しいのだろう。
 今の生活を維持するだけで精一杯の私達にはとくに。
 それは妻も承知の事であった。
 「すぐにってわけじゃないよ。今は、ほら、お腹いっぱいだし」
 そー言いながら、妻のカントリーマアムをつまむ手は止まらなかった。私は、申し訳無さに漏れそうになるため息を噛み殺しながら、近くで、むしろ少し足を伸ばすことになっても、本場に近いサルティンボッカを提供している店はないか、後で調べておこう、と心にメモを取りつつ、TVに視線を移した。
 画面の中では相変わらず、お笑い芸人が一般人を巻き込んで、どこまでが台本にあるのか判らない笑いを取っていた。
 その時出ていた芸人のコンビ名が「サルティンボッカ」だと知ったのは、私が妻とそんな会話をしたほぼ一週間後のことだった。

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