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サルティンボッカが食べたくて。 2

 妻が死んだ。事故だった。
 車両同士の衝突事故であり、相手側の信号無視が原因だった。
 結果として、この事故で亡くなったのは妻一人であり、当然損失は妻の方が大きいことになるが、現場検証の結果、妻が事故直前にケイタイを操作していた可能性が発見されたとかで、御定は決して納得のゆくものにはならなかった。過ぎてみれば、結末は、それが全てだった。
 葬儀、妻の親族への報告にと、私なりに気を裂きはしたものの、特に責められる事はなく、子供も出来る前に独り身となってしまった私へは、むしろ同情や哀れみの視線が痛かった。
 仕事も再開した。いつまでも悲嘆にくれているのを許してくれる社会ではないし、私自身、生きてゆくためには仕事をしなければならないことを充分承知していた。
 生きてゆく。
 私という生活圏の中から、妻だけが消えていた。ただそれだけだった。

 「どーもーッ!! サルティンボッカでございます〜。えー、今日はですね。。」
 気晴らしではない。日課と云うべきか。この時間は決まって、妻とTVを見ていた。妻がこの番組を特別好きだったのかは知らない。敢えてチャンネルを変えてる所を見たことがないだけだ。
 「お前、それはちゃうやろ‼」
 その所為か、最近この芸人をよく見る気がする。人気があるのか、単に私のルーティンと嵌ってしまっているだけなのかは知らないが。
 「つまりこの料理には、おじいさんの愛と情熱が注ぎ込まれている、ってわけですね~!!」
 「愛はいらんやろ!! いや、あってもええけどお前が言うとなんか気持ち悪いねん!!」
 「なんでや⁉」
 どっと笑いが起きた。
 妻は、この芸人が好きだったのだろうか。だから急にサルティンボッカなる料理が食べてみたい、などと思い立ったのか。それとも響きに惹かれただけで、この芸人達にはなんの関係もなかったのか。
 「それでもね、僕は思い出すわけですよ。あの、故郷で食べたサルティンボッカの味を。。」
 「お前の故郷広島やろが!!」
 それはそうだ。サルティンボッカはイタリア料理なのだから、この芸人の故郷の味である事はほぼほぼあり得ない。
 ということは、彼らもまた、本当のサルティンボッカを味わったことはないのだろう。なんかそれっぽい料理を作ったことはあるかもしれないが、芸名の由来も、響きとかで決めていたのかもしれない。
 「もしも。。」
 ゆくりなく、声に出していた。
 「もしも妻が、サルティンボッカになんて興味を持たなかったら。。」
 胃から食道を迫り上がってくる吐き気にも似た不快な塊、それとは逆に背中を撫で下ろしてゆく寒気。「もしもそうだったら」は根拠がないからこそ、否定する材料も少な過ぎて、一度顔を擡げたら最後、止める事は出来なかった。
 「もしかしたら、事故の当日、妻がケイタイを弄っていたのは、サルティンボッカを提供している店などをリサーチしていたのだとしたら。。」
 妻は常に有言実行の人だった。私にはないその行動力が、私の目にはとても魅力的に映った。
 実は一度だけ、イタリア料理の専門店へ二人で行ったことがあった。ケイタイで大雑把に「サルティンボッカが食べられる店」と検索したら、近場の駅で店がヒットしたのだ。「こんなお店があったんだね」と裏通りを歩く妻は、期待半分、不安半分といった雰囲気だった。
 店に着くなり店員の男性に「お伺いしたいのですがサルティンボッカは置いてありますか」と訊ねた私。アルバイトらしい若い店員は素っ気なく「当店ではおいておりません」との返事。妻と肩を竦ませてメニューを矯めつ眇めつ眺めるが、どこにもサルティンボッカの文字はない。アルバイトらしい店員ではなく、店長を呼んで話をしてみようか?とも提案してみたが、もしかしたら聞いてくれるかもしれないけど、一見さんでそこまで図々しい事は言えないよ、と妻。その日は確かに味に間違いはない料理と飲み物を堪能し、程々に満足して帰宅したものの、妻の性格からして、あれ一回の訪問で諦めたり、吹っ切れたりしていた理由はないだろうことは容易に想像がついた。
 「それでは明日はこいつの故郷の広島へ遊びにゆきたいと思います!! それでは皆様ごきげんよ〜!!」
 TVの中の芸人が視聴者へ向けて大きく手を振っていた。そこで番組は終わり、四角く切り抜かれた枠の内側からは、車、健康飲料、保険、ゲームにネットビジネス。この世の中には楽しい事しかないじゃないか、そうでしょう⁉ と正面から叫んでくるかのようなコマーシャルが続け様に流れ出していた。
 窓の外から射し込む陽射しは暖かく、穏やかで、一見すると本当に、そうなんだ!! と思い込んでしまいたくなりそうだった。コンビニで買った新商品の炭酸飲料を、あんなに爽やかに飲んだ事はない。居酒屋で焼酎の水割りをあんなに楽しそうに飲んでいる人を見たことはない。
 いつの間にか力んでしまっていた拳を解くと、折りたたまれていた爪がズキズキと痛んだ。
 「広島か。わりと近いな」
 私は立ち上がると玄関へと向かった。行きがけにキッチンから包丁を一本拝借し、鞄の中へ押し込んでいた。

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